山奥(しんざん・みやま)
一般的には生い茂った山間部のうち、人の手が入っていない原生林や人があまり立ち入らないような暗い山林・渓谷周辺などを示す場合が多い。
より強調した形で「深山幽谷」(しんざんゆうこく)と表現される事もある。
山名
標高約790m。
現在は日帰り登山コースとして整備されている。
余談であるが京都府側には付近に「美山(みやま)」という地域もあり、茅葺屋根の集落の里山が広がっている。
名前
深山早苗(『トゥルーラブストーリー2』)
深山琥太郎(『深山さんちのベルテイン』)
深山雪見(『ONE~輝く季節へ~』)
「ミヤマクワガタ」の漢字表記での略称。
軍用機
米国のダグラス社が開発した旅客機のDC-4Eを1937年に大日本航空名義で入手し、これを基に「十三試大型陸上攻撃機」として中島飛行機が開発した攻撃機(爆撃機)である。
設計主務者は松村健一で、連合国側のコードネームは「Liz」。
日本海軍では前例のない大型陸上機であった事から試作6機が製造されただけに終わった。
試作1、2号機はエンジンに三菱重工業の「火星」一二型を搭載し、DC-4Eとほぼ同等の1500馬力四発であった。
試作3~6号機はエンジンに本来予定していた中島「護」一一型を搭載し、1800馬力四発となるものの、護が所定の出力が出ないなどうまくいかず、この4機は試験後に輸送機「深山改」として用いられた。
そもそもDC-4E自体が失敗作で、複雑な高圧油圧操舵系統や、機体規模がB-29並みと大きすぎ重量過大で、ダグラス社は改めてDC-4(軍用型はC-54)を開発しており、名機DC-4とは名前以外の関連はない。
海軍は油圧操舵機構などに期待してこの機体に雷撃をさせるつもりだったようだが、出力不足で運動性も劣悪で、肝心の油圧操舵機構は日本の工業力では油漏れが頻発。
機体が大きすぎて低空から這い寄り肉薄雷撃するなど思いもよらず、鈍重なため「バカ烏」という蔑称を付けられてしまっている。
試製深山も3号機以降を深山改輸送機に改造するにあたり、複雑すぎた油圧操舵機構を撤去している。せめてハ50(火星・ハ42を発展させて22気筒に拡大して3000馬力を目指した大馬力エンジン。大戦末期に試作された)が早期に開発(この場合ハ50初期型は2300馬力程度になったと思われるが、それでも4基で9000馬力にはなるので護4基を上回り火星一〇型6基に匹敵する)されていればねぇ…
輸送機としては、魚雷をそのまま運べるので「魚雷運搬機」として意外と重宝されたとか。
重くて飛行場の地面を傷めるなど問題も多かったが、それでも地味に働き続けて兵站を支えていた。
大戦末期、本土に残されていた2機は格納庫に入れられないので露天駐機されていたが、本土空襲に来た米軍機は新型機と思い込んで執拗に機銃掃射したという。
こうして「シンザン」になれなかった烏は帝国の敗戦と運命を共にしたのだった。
この試験結果や戦中に鹵獲したB-17から得られた情報を基に「連山」の開発が行われたが戦局には間に合わなかった。
また陸軍が本機をキ68の名で重爆撃機として開発しようとし、後に中島から川崎重工に移管してキ85という番号が新たに起こされて開発を続けたものの、性能不足と判定され途中で中止となり、改めて新設計の「キ91」の開発に着手するがこちらも戦争には間に合わなかった。
性行為
48手の一種(みやま)。
以下、解説に性的な表現が含まれます。 |
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深山本手とも。
性交時における体位の一つで、正常位のうち以下の画像のように受け手が脚を高く上げて行うものを指すとされる。
他に類似の体位が複数収録されているため、真正面を向いて上半身は接地している必要がある。
これによって通常より深い挿入が行える事から、「深山に分け入っていくよう」という意味で命名されたと言われる。
難易度が低い割に快感が大きいため、現代でも評価の高い体位である。