概要
昭和18(1943)年、日本陸軍は計画中止となったキ85重爆撃機(海軍の深山陸上攻撃機の陸軍仕様機}に代わる新型4発重爆撃機の開発を川崎航空機に命じた。
陸軍が川崎に命じた要求性能は
・高度10,000mにおいて最大速度580km以上
・爆弾4,000kg搭載時で航続距離9,000km以上
・爆弾最大8,000kg搭載可能
・防御武装20mm機関砲12門装備
・兵員の輸送も考慮
というものであり、これを実現するために川崎が考案したのは、
・全長33.35m
・全幅48.0m
・全高10.0m
・胴体断面 高さ3.3m、幅2.3m
・全備重量58,000kg
という巨大なものであった。これは敵国アメリカの現用重爆撃機B-17やB-24は無論のこと、開発中のB-29をもわずかながら上回るほどの大きさであった。
機体の設計は順調に進み、翌19年にモックアップ試作が出来上がり、結果は良好とされた。そして昭和21年に試作1号機、翌22年に2号機が完成するとされた。
しかし実機の開発、特に高高度飛行に不可欠な発動機と与圧室の開発が難航しており、それらの問題が解決しないまま、米軍による本土空襲を迎えることになった。
開発遅延・資材不足、そして何よりも迎撃戦闘機が必要とされる状況で、重爆撃機の開発に力を入れられる状況ではなくなり、昭和20年2月に陸軍は川崎に対し開発中止を命じた。
スペック的には「日本版B-29」だが、富嶽よりはよほど実現性が高く、富嶽よりこちらの開発を推す声もあった。
戦況がここまで追い込まれず、また高高度性能を(少なくとも初期型では)諦めていたなら、あるいは昭和20年中に試作機が完成していたかもしれない。
余談
実は川崎航空機が開発したキ91は2代目であり、「初代キ91」は立川飛行機で試作された双発爆撃機であった。
川崎航空機は岐阜県に試作機用の工場を建設していたが、この工場は終戦後自動車部品の工場に転用され、戦後復興の一翼を担うことになった。
登場作品
富嶽や、試作機は完成した連山に比べると影が薄い本機だが、檜山良昭の架空戦記「大逆転!幻の超重爆撃機「富嶽」」では、キ91改として完成し、「峻山」の名前で富嶽と共に参戦している。
他にありましたらお願いします。
関連タグ
B-17、B-24、B-29、アブロ ランカスター・・・キ91のライバルともいうべき連合国軍の重爆撃機