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高家

こうけ

江戸時代、「有職故実(儀式・儀礼)」をつかさどるために幕府に仕えた旗本。
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概要

大和朝廷と軍事

 一般に大和朝廷は「軍事力」を直接行使することはないと思われているが、古代日本においては必ずしもそうではない。たとえば、「白村江の戦」においては百済滅亡の報を受けて朝廷は女帝・斉明天皇が皇太子・中大兄皇子(後の天智天皇)、大海人皇子ら皇族とともに軍勢を率いて博多に仮宮を置き、「壬申の乱」においては天智天皇の子・大友皇子(弘文天皇)と天智天皇の弟・大海人皇子(後の天武天皇)が皇位をめぐって軍勢を率い武力衝突に至っている。「軍事力」は「政治」・「外交」とともに朝廷を支える力としての側面があった。
 また、第50代・桓武天皇は「蝦夷追討」のため大伴弟麻呂坂上田村麻呂文屋綿麻呂らを相次いで征夷大将軍に任じ、田村麻呂は蝦夷の有力族長・アテルイを降伏させる成果を上げたが、藤原緒継の意見を入れて軍事(3度目の蝦夷追討)と造作(平安京造営)を中止することとなり、これ以後、皇族が直接「軍事」にかかわることは南北朝時代まで待たなければならず、さらに江戸時代末期、有栖川宮熾仁親王が江戸攻略の司令官として軍勢を率いて下向するまで待たなければならなかった。

武家の誕生

 藤原摂関家が実権を握ると朝廷権力は「政治」・「外交」に特化、都を警備する近衛府の長官である近衛大将でさえ上流貴族が栄達するための名誉職となり、「軍事」は穢れとして忌み嫌われるものとなった。
 その結果、治安を維持することになったのは桓武天皇を祖とする高望王流・坂東平氏(平将門平貞盛ら)、清和天皇を祖とする清和源氏(源頼義義家父子ら)、藤原氏庶流の中下級貴族(藤原秀郷藤原純友ら)が下向し土着、武家が都の治安維持(北面の武士など)も担うこととなり発展の礎を築いた。

武家政権の誕生

 保元元年(1156年)、鳥羽法皇が崩御すると次の皇位をめぐって崇徳上皇後白河天皇の対立が先鋭化、上皇は左大臣藤原頼長、源氏の棟梁・源為義、平氏の有力者・平忠正らを味方に、天皇は関白藤原忠通、源為義の嫡男・義朝、平氏の棟梁・平清盛らを味方に乱を起こした(保元の乱)。
 乱は天皇方の勝利となったが、一門を上げて天皇に味方した平氏の発言力は増すこととなり、平治元年(1159年)12月に起きた平治の乱にも平氏は後白河上皇、二条天皇を奉じて勝利、藤原信頼らとともに朝敵となった義朝とは逆に平氏一門は公卿に列せられることになり、ここに武家による初めての政権(平家政権)が成立した。

武家政権の興亡

  • 平家政権…日本の歴史上初の武家による政権。しかし、旧来の朝廷制度に組み込まれ急激に貴族化したため、藤原摂関家をはじめとする貴族、寺社仏閣、各地の武家の反感を買うことになり、文治元年(1185年)3月、壇ノ浦の戦いで滅亡した。
  • 奥州藤原氏藤原清衡を祖として奥州に独立政権を築き、金(女真族による王朝)や宋と独自の交易をおこない栄えたが、文治5年(1189年)、源頼朝率いる大軍に滅ぼされた。
  • 鎌倉幕府…承久元年、後鳥羽上皇が「承久の乱」を起こすまでは幕府と対等であったが、敗北後、六波羅に探題を置かれ、朝廷は幕府の監視下に入った。(六波羅探題)
  • 南北朝時代後醍醐天皇の皇子・懐良親王が独自に「日本国王・良懐」を名乗り、明との交渉を行うが、親王の死後も「日本国王・良懐」の名が独り歩きする。
  • 室町幕府…幕府政庁を京の都に置いたため朝廷との交渉が密接となる一方、三管領・四識家の力が強く足利将軍家の力が弱かったため政権が混乱、将軍家の衰退とともに朝廷の力も弱まることとなり戦乱の世が始まった。
  • 安土桃山時代織田信長が治安を回復すると天皇の御所も修復、信長は朝廷の権威を利用するために有職故実に通じた細川藤孝明智光秀らを厚遇、本能寺の変で信長が横死した後も政策は豊臣秀吉に引き継がれた。

江戸幕府

 江戸幕府においても朝廷の監視、交渉、京の都の治安維持を行う出先機関として「京都所司代」を置くなど朝廷工作は重視された。
 理由として日本史において武家が「政治」・「外交」の実権を握った後も、形式上、朝廷が「官位・官職」を武家に与える権限を持ちつづけることで上に立ち、その歴史が平家政権の樹立から江戸幕府の滅亡までつづいたからであった。
 結果、幕府としては勅使(朝廷からの使者)を迎えるための役職を作る必要が生まれ、「有職故実」、「茶道」、「和歌」などに通じた旗本が創設されることとなった。これがここで解説される「高家」である。
 「高家」の家禄は4200石を領した吉良上野介ら一部の例外を除き1500石以下であった。決して高禄とは言えないが「官位」、「家格」は高く、吉良・今川・品川・上杉・畠山・織田など、かつての名門がこの職に任じられ、勅使饗応を命じられた大名たちを指導・監督した。
 なお余談ながら、幕末乱世になると幕府は「京都所司代」だけでは京の治安維持に窮し、新たに「京都守護職」が設けて会津藩主・松平容保が任じられた。

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江戸時代 江戸幕府 吉良上野介

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