史実
1524年(1528年?)~1609年。
夫・長尾政景(謙信の従兄弟)との間に、後の上杉家当主となる上杉景勝など2男2女を生む。
永禄7(1564)年、夫との死別後に仙洞院(せんとういん)と号した(「仙桃院」は創作上の名前)。
天正6年(1578年)、謙信死後の上杉氏のお家騒動である御館の乱では、上杉景虎(北条三郎)の春日山城退去に従い景虎の正室である長女・清円院ともに御館に籠もるが、戦後は春日山城に戻り景勝の加護を得た。
その後、景勝の会津入りに従い会津へ行き、のちの米沢減封に伴い米沢に移住、林泉寺を米沢に移した(彼女だけでなく歴代上杉、長尾当主及び一族と、直江夫妻の位牌もある)。