概要
弘治3(1557)年、上杉謙信(当時の名は長尾景虎)の重臣にして後に上杉四天王の一人に数えられることになる直江景綱(当時の名は実綱)の娘として誕生する。母は山吉政応の娘。
父・景綱の男子は夭折してしまったため、景綱はお船の方を長尾藤九郎に嫁がせ、お船の方は彼の正室になった。景綱の婿養子となった藤九郎は直江信綱と改名した。
天正5(1577)年に景綱が他界し、信綱が直江家を継ぐ。
その翌年に謙信が他界し、上杉家は上杉景勝(謙信の養子にして甥)が継ぐ。
しかし、 天正9(1581)年に信綱が毛利秀広に暗殺されると、景勝の命令で直江家を継ぐことになった樋口兼続と再婚し、彼の正室になった。それに伴い兼続は直江兼続と改名した。兼続は生涯側室を持たなかった。ちなみに、お船の方と兼続は従姉弟だったという説もあるが、正確な史料はない。
文禄4年(1595年)、景勝の正室・菊姫(上杉家の豊臣秀吉への臣従の証として人質になっていた)と共に京都伏見の上杉邸に移動した。5年後、お船の方は上杉領米沢へと帰国する。
慶長9年(1604年)5月、景勝の側室・桂岩院が景勝の唯一の子・定勝を産んだが、菊姫が2月に亡くなり、さらに桂岩院自身も8月に他界したため、お船の方が夫・兼続と共に定勝の養育を担当した。
兼続との間には長男・景明がいたが、子を持たずに他界。長女・於松は直江勝吉(本多政重)と結婚したが、子を持たないまま他界した。
元和5年(1619年)に兼続が死去すると、剃髪して貞心尼と号した。寛永2年(1625年)、兼続が生前に出版した『直江版文選』の再版を行った。
寛永14年1月4日(1637年1月29日)に他界。享年81。
兼続の死後、再び未亡人となったお船の方は養子を迎えなかった。そのため、お船の方の他界後、直江宗家は断絶した。
登場作品
このドラマでは、お船の方と兼続が従姉弟だったという説が採用されている。
直江船名義で登場。
関連タグ
松姫…菊姫の妹(もしくは姉)。於松の名前の由来になったという説がある。