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長尾為景

ながおためかげ

長尾為景とは越後守護代を務めた戦国時代の武将。越後守護上杉房能を討ちその兄である関東管領上杉顕定も討ち取り「天下無二の奸雄」とあだ名された。長尾晴景・綾御前・上杉謙信らの父。(1489年-1542年)
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プロフィール

生没年:1489年〜1542年?

諱:為景

仮名:六郎

通称:弾正左衛門尉

官位:信濃守

あだ名:天下無二の奸雄


父:長尾能景

きょうだい:飯沼正清の妻となった姉と妹3人、弟に長尾為重(為重に関しては記載されない場合もある)

子:長尾晴景綾御前(仙洞院)、長尾景虎(上杉謙信)


概要

「天下無二の奸雄」の誕生

1506年、父の能景が越中国般若野において一揆勢と戦い戦死したため家督を継ぐ。しかし彼は父の援軍に出さなかった主君・上杉房能や一揆勢に寝返った神保慶宗に復讐を画策した。

そして為景は房能の養子である上杉定実を新当主として擁立する事を決意し、1507年に房能の居城を襲撃して房能を討った。更には定実を傀儡の当主に仕立て上げたのである。


しかし1509年、房能の兄である上杉顕定が越後に襲来すると定実と共に佐渡国に逃亡するも、顕定の治世が失敗して国人衆の反発を受けると翌年に佐渡の軍勢を率いて反撃を行い、撤退を行う顕定軍に猛攻をかけ、更に援軍にやってきた外祖父(伯父とも)・高梨政盛の協力もあって長森原で顕定を討ち滅ぼし「天下無二の奸雄」とあだ名されることになる。


上杉定実との対立及び父の敵討ち

顕定死後の混乱に乗じ長らく顕定と争っていた白井長尾氏の長尾景春や伊勢宗瑞(北条早雲)と結び上野に逆侵攻している。

しかし、1513年に定実が傀儡であることに不満を抱くと対立。定実方には宇佐美房忠・定満親子や弟の上条定憲等が加わった。


為景はこれを迎撃し房忠を討ち定実方を破り最終的に定実を幽閉に追いやる事に成功した。更に1520年には越中加賀に出陣し父の能景を見捨てた神保慶宗と椎名慶胤を新庄の戦いで滅ぼしたのであった。


翌2021年、為景は無碍光衆(一向宗)禁止令を出し一向宗を信仰することを禁止した。これは息子の晴景や景虎の治世まで引き継がれ、のち景虎改め謙信が織田信長と対決するために本願寺と結ぶまで続いた。さらに上洛して朝廷室町幕府に謁見し信濃守に任官された。また12代将軍足利義晴からは守護や御供衆の格式である白傘袋・毛氈鞍覆・塗輿を許され権威はますます高まった。


上条定憲との三分一ヶ原合戦

1530年頃から為景は定憲と対立を深める。そして為景の奉行である大熊政秀(朝秀の父)に言いがかりにつける等などして定憲は暗躍するが、幕府の支援を受けていた為景は定憲を破った。

しかし1531年に管領細川高国が「大物崩れ」で三好元長(長慶らの父)らに討たれてしまい為景の権威も低下したことで再び定憲は巻き返しを計り、定憲は為景と対立関係にある上田長尾氏の長尾房長や揚北衆など国内勢力に加えて会津の蘆名盛舜(盛氏の父)や出羽国飽海の砂越氏といった国外の勢力も味方につけることに成功し、為景方への攻勢を強めたため為景は苦闘する。

そして、1536年に三分一ヶ原合戦で定憲を破って勝利を収め宇佐美定満を降伏させている。


晩年

しかしそれでも反乱は収まらず同年8月に為景は嫡子・晴景に家督を譲る事を強要されて隠居した。一説では内乱を抑える為に隠居したとも伝わり、翌1537年には房長の嫡子・政景に娘の綾御前を嫁がせた。

1539年には中条藤資と共に跡継ぎの男子が居なかった上杉定実の養子に伊達稙宗の三男である時宗丸(のちの伊達実元成実の父)に迎え入れようとしていたとされる。しかし翌1540年、これに反対する本庄房長(繁長の父)が挙兵に及んだり為景自身が稙宗との思惑の違いから反対に回ったため破談となった。なお伊達家でもこの問題と相馬顕胤への領土割譲問題もあり稙宗と世子の晴宗の対立が激しさを増していった。


1542年1月、春日山城内で病死。享年54歳。

為景死後、再び時宗丸入嗣問題が持ち上がったが晴宗が稙宗を捕らえ幽閉したことで東北一円を巻き込む「天文の乱」が勃発。越後にも余波が及びさらに黒田秀忠が反乱を起こすなど内乱が収まる事は無かった。さらに晴景も弟の景虎(後の上杉謙信)と対立したため定実の仲介で晴景は景虎に家督を譲り、景虎は父と兄が苦労した国内の反乱を収めた。

(現在では否定されているが)一説には越中増山城攻めの戦いで父と同じような非業の最期を遂げたとされ現地には為景の塚がある。こちらの説は海音寺潮五郎の小説「天と地と」に採用された。


フィクションにおける長尾為景

小説「天と地と

謙信を生んだ側室である袈裟御前の懐妊があまりにも早かった為に謙信が我が子ではないとの疑念を捨てきれず、彼に愛情を持てなかった。

史実と違い死ぬまで隠居はせず、一向宗と手を結んだ地元の豪族である神保氏との戦いで父と同じような戦死した。

ドラマ「天と地と」

こちらは同年に公開された角川映画の前日譚で題名は「天と地と〜黎明編〜」となっており謙信が長尾家の家督を継ぐまでが描かれている。


信長の野望シリーズ

覇王伝PKから初登場。天翔記では1534年のシナリオ開始早々戦争を行う事が多い。能力は革新や天道では子の謙信に匹敵する武勇104。そして騎馬Sである。ただし謙信や外孫の景勝と異なり車懸りは所持していない上にこの二人と違い脳筋。ただし、それ以降のシリーズでは武力が80台まで減らされた代わりに知力が大幅に上昇し武力を上回るほどになった。またシリーズ初期では老人のグラフィックだったが現在では中年のグラフィックが採用されている。


関連タグ

戦国時代  中部勢

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