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長尾晴景

ながおはるかげ

長尾晴景とは長尾景虎(上杉謙信)の兄。父の隠居後に家督を継ぐが家中混乱が起こった為、弟に家督を譲って隠居した。(1509年-1553年)
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家督相続編集

1509年、越後国の守護代・長尾為景の子として生まれる。幼名・道一丸。後に越後上杉家当主・上杉定実の猶子となる。定実の娘を娶ると共に偏諱を受けており、初名は長尾定景


後に足利義晴から偏諱を与えられ晴景に改名。1536年に父・為景の隠居により、家督を譲られて春日山城主となるとともに越後守護代を補任された。

穏健政策の影編集

家督を継いだ晴景は武力で反乱を抑えようとした父と異なり、領内国人と融和を図った。その結果、越後における争乱を鎮める事には成功した。


しかしまもなくして越後上杉家の養子縁組問題で越後国内が乱れた際に再び反乱が勃発。晴景は伊達家の内紛もあって守護上杉家の復権は阻止する事は出来たが、今度は黒田秀忠が反乱を起こし越後国内の情勢は結果的に悪化した。

景虎を養子に迎え入れる編集

晴景本人は病弱であった事や晴景の実子・猿千代が既に死去していた事を危惧した一部の家臣は弟の長尾景虎を後継者に仕立て上げようと画策し、家中は分裂の危機に陥る。


これを受けて、上杉定実が仲介。その結果、1548年に景虎が晴景の養子になって隠居するという形で決着が着いた。隠居から5年後の1553年、晴景は死去した。


余談編集

病弱なうえ戦よりも芸事を好んだ人物であった事が謙信の書状や諸史で伝わっている。

海音寺潮五郎の小説「天と地と」では主人公長尾景虎による下克上を正当化する為か、殊更に酒色にふける暗愚な人物として描かれている。


戦国大戦編集

「家督を譲るか、戦うか・・・どちらも、私には選べそうにないよ」

「1477破府、六十六州の欠片へ」より上杉家の武将として参戦。上杉の勢力意匠である漢字一文字は「儚」が着物にあしらわれている。


レアリティはC(コモン)、スペックはコスト1 武力2/統率5の鉄砲隊で、特技は「魅力」。

所持計略『儚き夢の欠片』は戦場にいる最も武力の高い上杉家の味方武将の武力を上げて自身が撤退するもの。戦場の何処からでも主力の武将を強化出来るのが強み。


英傑大戦編集

「戦いは好きじゃないが、行くしかないようだね・・・」

初期バージョン「三千世界の波動」より上杉家の所属する玄勢力の武将として参戦。

イラストレーター、声優、デザイン、勢力意匠が戦国大戦と同じリファインとなっている。


レアリティはN(ノーマル)、スペックは戦国大戦と同じくコスト1 武力2/知力5の鉄砲隊で、特技が「伏兵」となっている。

所持計略『愛郷の願い』は自身の知力を上げ、効果終了時に士気を上げる。

効果終了のタイミングを計る事で一度に大量の士気を使用できる状態になれるが、武力2のままの晴景を長時間撤退させない必要があるため使い勝手が難しい。


戦国大戦ではかなり後期のバージョンでの追加だったため群雄伝の上杉伝ではモブの姿のチョイ役だったが、英傑大戦では初期バージョンで実装されたのと群雄伝の上杉謙信伝では謙信の越後統一までの過程が深掘られているため出番は多い。

和を以て越後を治めようとする手腕を支持する者も多く、特に長尾政景は身体さえ何とかなればと晴景の事を惜しんでいた(戦を好まなかったが父・為景譲りの戦の才はあり、謙信は盤上の模擬戦では晴景に一度も勝つ事は出来なかった)

謙信の武を支持する声が高まっている事と嫡子の猿千代が早世した絶望から、『目に見える形で決着をつけないと遺恨を残す』と謙信と合戦を行い、敗れた後に隠居した。


「越後の未来の為に」

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