鎌倉景明の息子・景弘は相模国鎌倉郡長尾庄に住んで長尾次郎と称した。
長尾家は源頼朝が挙兵した際には平家側で、平家滅亡後は三浦氏の配下となった。宝治合戦で一族がほぼ全滅した。
長尾家の生き残りは南北朝時代に関東へ入部した上杉家に仕え、姻戚関係を結び、関東各地や越後で守護代となった。
1561年、越後守護代の長尾景虎は上杉憲政から山内上杉家の家督と関東管領職を相続し、上杉政虎(後の上杉謙信)となった。
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