アニメ脚本家としての大熊朝秀は今西隆志の方にどうぞ。
概要
プロフィール
生没年:1517年〜1582年
諱:朝秀
別名:長秀
官途名:備前守
生涯
越後の出身。大熊政秀の子。
大熊氏は代々越後守護上杉氏に奉行として仕えており、政秀も守護の上杉定実に仕えていた。大熊氏がいつ越後守護代の長尾為景に仕えるようになったかは不明だが享禄年間頃には為景に仕えていたようである。
朝秀の事績がはっきりするのは為景の長男・晴景の時代からである。晴景が弟の景虎(のちの上杉謙信)と対立した際、朝秀の景虎の擁立に尽力したため重く用いられるようになった。朝秀は優秀な奉行であり金銭の管理を行っていた。しかし、同じ景虎側近の本庄実乃とは不和で領地を巡る諍いを起こし、いざこざが絶えない家臣団の有様に嫌気が指した景虎は越後を出奔した。そして武田信玄の調略に乗り蘆名盛氏らと呼応して反乱を起こす。
景虎は高野山に赴いていたが長尾政景らの説得で帰国し、反乱は鎮圧され、朝秀は信玄の元へ出奔する。
その後は武田氏の客将となるが、朝秀に転機が訪れる。1564年の箕輪城攻めの際に諏訪勝頼(のちの武田勝頼)の陣が敵方の猛攻で危機に晒された時に、朝秀は郎党共に太刀を持って敵兵の前に立ち塞がり、諏訪勢を救うだけでなく藤井正安という猛将を返り討ちにする大手柄を上げた。このことは信玄から、賞賛され騎馬10騎足軽75人を率いる大将に任命され、小畠虎盛の娘を娶ることになった。
信玄没後も後継者となった勝頼から厚遇され武田家に忠誠を誓ったが、信玄の存命中から対上杉外交に関わっていた。
1575年、長篠の戦いに大敗した勝頼は織田信長の脅威に対抗するために上杉謙信と和睦(甲越和与)した。謙信没後、御館の乱を経て上杉景勝が後を継ぐと、勝頼は異母妹・菊姫を景勝に嫁がせ甲越同盟を締結した。この時も朝秀は景勝との同盟交渉を担当した。
1582年の甲州征伐では多くの一門譜代が勝頼を裏切る中、最期まで勝頼の側を離れず天目山で討死した。
フィクションによる大熊朝秀
NHK大河ドラマ
勝野氏は前年の『独眼竜政宗』で徳川秀忠を演じており2年連続の大河出演となった。
ゲーム
覇王伝で初登場。以降は将星録と烈風伝以外登場。当初は政治が60台後半とそこそこ高く他は並以下だったが最新作の新生では政治こそ60台前半に下がったが武力は大幅に上昇し武力なら真田信之や松平忠直らに匹敵する。
「奉行とあなどるな!力比べは誰にも負けんぞ!」
初期バージョン「1560尾張の風雲児」より武田家の武将として参戦。項目のメイン画像が戦国大戦での大熊朝秀の姿である。
上杉家から離反したばかりの頃なのか上杉の勢力カラーである白い鎧を纏い、武田の勢力意匠である白いファーは小さくあしらわれている。
群雄伝では上杉伝での本庄実乃との確執から始まり、武田伝では最終章の天目山にて跡部勝資と「一門譜代が次々と裏切る中、外様の自分や奸臣と呼ばれた跡部こそが最後まで勝頼に付き従った」皮肉を笑いつつ散っていくなど出番は長期に渡る。
スペックは、コスト1 武力3/統率4の槍足軽で、特技はなし。
1コス武力3の槍足軽はかなり後期のバージョンまで武田家に追加されなかったため存在感を放つ1枚。
所持計略『反逆の狼煙』は戦場にいる味方ランダム1部隊を撤退させることで武力を大幅に上げるもので、低コストや瀕死の部隊を斬る事が出来れば大きな仕事ができる。
「侮ったな。俺は打ち合いでは無敵の剣豪奉行よ!」
こちらも初期バージョン「三千世界の波動」より武田家の所属する緋勢力の武将として参戦。緋勢力のスターターにも抜擢されている。
戦国大戦とイラストレーター、声優、デザインは同じだが武田の勢力カラーである赤い鎧を纏い、白いファーも大きくなっており武田家の中でも頭角を現してきた姿と思われる。
スペックは、コスト1.5 武力5/知力3の剣豪で、特技は「復活」「気合」。
上記の箕輪城攻めの際に上泉信綱と一騎打ちで引き分けた逸話を拾われたのか新兵種の剣豪にチェンジ。2つの特技でスペックの数値以上のしぶとさを見せる。
所持計略『刹那の怪力』は短時間武力を大幅に上げるもので、反逆の狼煙同様終盤の接戦での一手になる可能性のある計略。
が、使用率が芳しく無かったことでエラッタを受ける。
スペックは、コスト1.5 武力5/知力5の剣豪で、特技は「復活」「気合」へと変更。
さらに、計略も『反逆の剛剣』へと変更。
内容は範囲内の味方を撤退させ、武力と斬撃ダメージが大幅に上がった。
宿敵である本庄実乃も本作品玄勢力のスターターに抜擢されており、対戦相手の編成内に本庄実乃がいると開幕時の台詞が特殊なものに変化する。
「本庄ォ!積年の恨み、今こそ晴らしてくれる!」