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北条家(鎌倉殿の13人)

かまくらどののじゅうさんにんでのほうじょうけ

当記事は2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」における北条家の面々を紹介するものである。 メイン画像は、北条家が一番賑やかだったころの風景。
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概要編集

2022年大河ドラマ鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時とその一族。

伊豆国北条の小さな豪族である北条氏の当主・北条時政の娘である政子平治の乱平清盛に敗れ伊豆の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が結ばれ、頼朝が鎌倉に武家の都を作ったことによって北条一族も権力中枢に組み込まれる。そして頼朝死後、血で血を洗う権力争いに巻きこまれていく。


北条家の人物編集

北条義時編集

(演:小栗旬

鎌倉殿らくがき義時

この物語の主人公。通称は小四郎、江間小四郎。のちの十三人の評定衆の一人。

良くも悪くもお人好しな性格で、あまり人の要求を断ることができない。その優柔不断な態度に怒った政子曰く、「田んぼのヒル」。またかなりの朴念仁で、最終的にのえとの関係破綻を招く一因になる。父兄姉妹に継母や頼朝といった周囲に振り回されながらも、生き抜く道を模索していく。武芸に長じている兄と比べて、自分でも「米の数を数える方が好き」というほど裏方作業を好む性分ではあるが、それを逆手に取り国府に収められている年貢の量から各陣営の動員できる兵力を推測するなど、武芸一辺倒の兄とはまた違った方面の才能を有する。ただし智謀はあるが隠し事は苦手で、後々後悔するようなことも多い。父である時政に輪をかけた剛直者であり、自分に本心を明かしてくれた頼朝には強い忠誠を誓っている。

当初は純朴に「平家に虐げられている民を救い、坂東を坂東武者のものにする」という兄・宗時の遺志を遂げることに燃えていたが、頼朝の支配者としての冷酷な一面を何度も見せつけられるにつけ、なまじ頭の回転が早いため、論理では理解できるが感情が追いつかないという状況に追い込まれがち。特に広常の一件では視聴者から闇堕ちを心配する声が多かったが義経の件でさらに心配されるようになった。

平家が滅亡してからは「坂東を坂東武者のものにする」「戦をなくし民に安寧をもたらす」という目的のためなら冷徹・狡猾な手段をも辞さなくなり、義村に指摘されているように頼朝に近くなりつつある。中でも奥州に逃げた義経の一件では、口を滑らせたような格好で静御前の顛末を義経に話して彼の鎌倉への復讐心を煽り、なおかつ奥州藤原氏の棟梁・泰衡に対しては義経謀反の情報を与え不安を煽ったうえで企てに反発した泰衡の弟・頼衡を泰衡の目の前で善児に殺させ、なおかつ「もう後戻りはできない」と凄みを聞かせ、(頼朝が望んだ通りの)泰衡主導の義経追討を起こさせた。これには「(義経を)やっちまいましょうか?」「寝首を搔くことことくらい造作もねえ」としれっと言っていた善児もドン引きだった

幼馴染である八重のことを心から愛し、「もし振り向いていただけなくても私はその背中に誠を尽くす」と語るなど一途な想いを向けていたが、その想いが通じ無事に結ばれる。政治面で手を汚していく自らの良心を繋ぎ止めてくれる存在として今まで以上に八重を大切に想うようになり、八重との間に愛息の金剛が生まれている。後に金剛の育児のみならず、戦で親を失った子どもたちの面倒も見ていたが、子どもたちはやんちゃ盛りのお年頃だったため、この頃の義時は孤児たちの世話も焼いていたため、烏帽子が脱げて髷があらわになっても気づかず、座りながら寝てしまうほどてんてこ舞いであった。

その矢先に彼女に先立たれ、執務に顔を出せないほど失意のどん底に沈む。そんな中でも息子・金剛を男手一つで育て上げることを決心し、無事政務にも復帰する。

頼朝が昏睡状態に陥ってからは憔悴する政子を「必ず良くなります」と口では慰めつつも、裏では頼朝が死ぬのを前提とした事後処理の準備を淡々と進めていた。頼朝の死後、ようやく一人で頼朝を悼んだ後、自分のやるべきことは全て終わったとして一度は政から遠ざかることを決めたが、政子の説得により思い留まり、やがて政権の暗闘へ否が応でも巻き込まれることになってゆく…。

二代目鎌倉殿に就任した頼家に「思うように政をなさりませ」と助言するが、経験も自信もない状態で政権運営を模索する彼を支えるため、訴訟引き継ぎ役として文官勢4名と梶原景時からなる五人衆構想を打ち立てるも、権力を欲する比企能員と父・北条時政の策略により大幅な増員を余儀なくされ、最終的に政子からの要請で自らも十三人衆に加わることとなってしまう。そして当初の構想から大幅に膨れ上がったことから頼家からは不信感を抱かれてしまい、彼からははっきりと敵視されてしまうことになった(とは言いながらも梶原景時や平知康などの件のようにそれなりに顔を突き合わせて話すこともあったが)。

以降は十三人の評定衆として奔走するも、梶原景時の追放を止められず、景時との最後の会話からその真意を察して追っ手を差し向けた(なお、この時に景時から兄の仇である(ことを知らされずに)善児を譲られている)。

比企と北条が争わぬよう努めていたが、比企能員が阿野全成を唆して死に追いやったたことによって遂にそれを諦め、能員をはじめせつたち比企氏を一族郎党諸共粛清した。のち一幡を自ら斬ろうとするなど冷徹さと苛烈さが増している。

33話では北条氏討伐の院宣を後鳥羽上皇から賜わろうとしていた頼家の暗殺を決定したことで、泰時に反論されるが「私も同じ思いだ」と反駁する。これに「父上は間違っている! 私は承知できません!」と反発して館を飛び出した泰時を優しい目で見ながら、時房の「逃げてほしかったんですか?」という問い掛けに「太郎はかつての私なんだ。あれは、私なんだ」と愛息に若き日の自分の姿を重ねており、政子から託された頼朝の形見の観音像を「もはや、源氏を守る約束を破っているので持つことができない」として泰時に与え、源氏の行く末を委ねている。

34話では二階堂行政の計らいで、彼の孫娘であるのえと対面(お見合い)をする。

その際には彼女と他愛ない話をするなど穏やかな雰囲気であった。また比奈や八重の件から一向に学んでいないのか、のえに対しても大量のキノコを差し出し、その上笑顔で「キノコ大好き!」と言いながら受け取るのえに対して目を潤ませているかのような描写がある(その後のえが「実はキノコ嫌いなんだけど、この人と結婚したら権力者の近くにいられる(超要約)」という裏のありすぎる発言をしているが、そのことを義時はまだ知らない)。

36話では、志願して重忠討伐軍の大将となり、二俣川の戦いに臨み重忠と一騎打ちを行った。戦後、時政に重忠の首級を持って覚悟を問うも、時政は無言でその場を去った。この辺りから広元と結託して時政追放の画策を始め、その一環として重忠の一件を義兄弟にあたる稲毛重成に押し付け、加えてその殺害をに自身は隠れて暗躍した義村にさせて(義村が暗躍した理由は義時を板挟みにして苦しませないためであるのだが)、更にはこれらの件で弾劾状を出された時政を脅すなど、その無慈悲さに磨きがかかっている。なお、政子から「恐ろしい人になりましたね」と問われた義時本人は「全て頼朝様に教えていただいたことです」と返している。

なお、生真面目すぎるがゆえに場を和ませようと洒落を言っても滑ることが多く、重忠討伐への出陣の際に怖がる泰時やこわばった雰囲気を和ませようと「あ、しょんべんちびった」とかつて自分の初陣で時政の言った冗談を真似したのだが、これまたかつての自分と同じく冗談と気付かなかった泰時に「着替えを!」と言われてしまい、すぐさま「冗談だ!」と返す、北条一族の宴で大姫が教えてくれた経文を「覚えてますよ」と自信満々に「ピンタラポンチンガー」と一ミリもあってないものを言い放つなど、冷徹さが増しつつも時折ユーモラスな一面を覗かせる。

時政と家族の酒宴の後、父が実朝を自らの屋敷に押し込んだ知らせを受け取り、彼が自身の破滅を承知済みで成功する見込みの無いりくの企みに乗っかったこと、そして先の酒宴は別れの宴であり、完全に覚悟を固めたがゆえの行動であったことを察し、涙を滲ませながら「謀反人・北条時政」を粛清すべく行動を起こす。

38話では、時政の一件について、「時政が殺されるのもやむ無し」と厳しい態度を取りながらも、政子・実朝の嘆願と康信・行政・広元のこれまでの功績に基づく裁量により、時政への処罰が死刑ではなく伊豆への追放になったことに感謝し、時政との最後の会話では涙を流した。

そして、りくとの最後の会話で「手に届く権力は掴みなさい」という発言を受けてか否か、遂に執権へと就任し(事件直後の時点では義時は執権には就任していなかった)、畠山滅亡と時政追放の最大元凶であった平賀朝雅の討伐を命じた。

泰時の家人である平盛綱(鶴丸)を御家人に取り立てるよう実朝にお伺いを立てたおりには、実朝が「むやみに侍に取り立てるわけにはいかない」と正論をもって却下しようとするのに対し、「ならば引退するしかありません」と恫喝、時政謀反鎮圧の褒美として盛綱の御家人昇格を取りつける。

40話では御家人たちに後鳥羽上皇から閑院内裏の修復を持ちかけられ、それに反対する御家人たちが和田義盛の館に集まっている状況を苦々しく思っているところ、泉親衡という素性不明の武士が義時暗殺を計画し、その計画に和田義盛の親族が一枚噛んでいることを知り、義盛自らが義時のもとにやってきて助命嘆願を行ったことで表面上は許しを与えたが、かつて頼朝が上総広常を死に追いやった際に呟いた「最も頼りになる者が、最も恐ろしい」という言葉を大江広元と交わし、最終的には和田一族を滅ぼした。だが、義盛を罠にはめて惨殺した際には、実朝がその場を離れるのを待たず自身が先にその場を離れ泣きそうな表情で戦場をあとにするなど完全に闇堕ちしたわけではないことが見え隠れしている。

りくとの最後の会話で「手に届く権力は掴みなさい」という発言を受けてはいたものの42話の頃でも政所と侍所の別当を兼務しつつも執権には就任していなかったが、のえや二階堂行政の勧めで遂に2代目執権に就任。実朝に唐船建造を持ちかけた陳和卿の背後に朝廷が動き、鎌倉殿と御家人の仲を裂こうとしていることを見抜いて反対し時房やトウを使い唐船建造を頓挫させた。鎌倉殿後継者問題では頼家の次男・公暁を推し、朝廷から次期鎌倉殿を迎える構想を抱いた実朝や姉・政子、長男・泰時とも対立を深め、直後に会った源仲章の勝ち誇ったような表情に朝廷が鎌倉を乗っ取ろうとしていることを悟り、怒りを募らせる。

43話では朝廷を信じすぎている実朝が仲章を重用しているためにこのままいくと仲章が権力を持ってしまうと予想し、泰時に忠告する。その際、「お前なら、私が目指していてなれなかったものになれる」と、謀略に染まった自らの手が穢れていることを嘆く本心を明かした。

44話では義村がウソをつくときの癖に公暁が実朝を討とうとする企みがあることを察知、実朝と仲章に警告するが相手にされなかったばかりか、幕府政庁を京に遷し朝廷の麾下に入る構想を知らされる。頼朝がなぜ京から離れて鎌倉に武士の都を作ったことへの最大の理解者でもあるゆえにそれをまるで理解しない実朝に絶望した義時はあえて公暁に実朝を討たせ、直後に公暁を討ち源氏を滅ぼすことを決意する。

45話で目論見通り、公暁の実朝暗殺を黙認し、その際に仲章も巻き込まれて殺された事から、目の上の瘤であった両者を一度に排除する事に成功するが、公暁が仲章を自分と勘違いして襲った事から、標的の中に自分も加えられていたのを悟ったのをきっかけに義村に対しても懐疑心を向ける事となる。直後に長男・泰時から企みを見破られ宣戦布告を受けてしまうが、それすらも想定のうちであるかのような穏やかな目を向ける。実際、義時の跡継ぎを巡ってのえと夫婦喧嘩になった際には跡継ぎを泰時とすることを決めてたことを明かし、のえに泰時と対立状態にあることを指摘されると「父親に反抗するくらいがちょうどいいんだ」と返答している。

46話では実衣が阿野時元を焚き付けて鎌倉殿につかせようとしたことで、強硬に実衣の斬首を主張する。この頃には次期将軍を巡って後鳥羽上皇との書面にて化かし合いの根比べを続けることを決意し、時房に千騎を率いて上洛し朝廷と折衝するよう命じる。

そして、次期将軍が九条兼実の曾孫・三寅(のちの九条頼経)に決定し、その三寅がまだ2歳であったため、政子が「尼将軍」となって三寅の後見役を務めることになったことに対し「私への当てつけですか?」と皮肉を言うが、政子に「自分を中心にこの世が回っていると考えるのはおやめなさい」と返答され、口ごもってしまう。

47話で後鳥羽院挙兵を知り、標的が自身であることを知ったおりには戦を避けるため、鎌倉の行く末を長男・泰時と弟・時房に任せて京に出頭することを一時は考えた。

最終回では挙兵に際して泰時に総大将を命じたが、年老いて戦に出れなくなってしまった義時本人は部屋で祈祷をして泰時や朝時、盛綱ら北条軍の無事を祈っていた。

また、病気になったという描写もあり、のえに看病されている。だが、体調を見に来た医者により、のえが彼に渡していた薬は実は毒薬であったことが判明。そのことをのえに問い詰めると「あら、ばれちゃった」とあっけらかんと言い放たれ、更に「あなたが私や政村を見てくれないからこうなったのよ(超要約)」と今までの不満をぶつけられる。義時は「執権が妻に毒を盛られたとなれば恥なので離縁はしないが、二度と私の前に現れるな」と事実上の離縁宣言する。その日の晩に義村と酒を酌み交わし、自身が信じていた伝説の真相を明かされ、若かりし頃の小四郎に戻ったような表情を見せる。

それから、政子が見舞いに来て二人で語り合うが…?



八重編集

(演:新垣結衣)

まなざし

伊東祐親の娘(四女)で義時の叔母。河津祐泰や伊東祐清の妹。頼朝の最初の妻となり、長男・千鶴丸を産む。義時の初恋の人でもあった。頼朝と離縁となってしまってからも、陰で何度も彼の危機を救っているが、そのせいで頼朝の現在の妻である政子からは目の敵にされていた。八重本人も当初こそ頼朝のことを慕い、顔は見えなくても役に立ちたいと御所仕えを願い出ていたが、亀の前の嫌がらせなどにより居場所をなくしていき、父・祐親や次兄・祐清の謀殺を知り完全に頼朝から心が離れる。その後、故郷である伊豆の江間を治める義時の館に移り住む。当初は欲しくもない土産物を持参する義時に難色を示していたが、彼の真心に触れ想いを受け入れた。なお、江間に移ってから一度、頼朝の訪問を受けたが言いよる彼の手に噛み付いて追い返した。

史実における離縁後の八重の人生については諸説あるが、本作では考証に参加している坂井孝一氏の唱える仮説(リンク先wikipedia記事参照)を採用して義時と結ばれる展開となり、長男泰時を産んだ。泰時誕生後は鎌倉に孤児が溢れていることに心を痛め、義時の了承の下屋敷で甥の曽我兄弟ら孤児たちの世話をしていた。工藤祐経とのやりとりから長兄・祐泰の死の真相も知っていた節がある。奥州征伐後、義経を謀殺したことで気落ちする義時を励ますなど北条一族の中でも重要な支えとなっていたが、世話をしている孤児の鶴丸が川の中で身動きが取れず泣きじゃくっているのに亡き千鶴丸を重ね、単身救出に向かうも戻る最中、川に流されこの世を去った。

それからの再登場はなかったものの、最終回で義時が泰時を「太郎の顔を見ていると、八重を思い出す」と評したり、承久の乱で矢が刺さって一度死にかけた平盛綱が戻ってきた際に「私はいつも誰かに守られている気がする(超要約)」とかつて自身が八重に助けられた場面を彷彿とさせる発言があったり、節々に八重の面影が残っている。


北条時政編集

(演:坂東彌十郎

鎌倉殿の13人 北条時政

通称は四郎。宗時、政子、義時、実衣、時房以下北条兄弟の父親。のちの十三人の評定衆の一人。

軽薄かつ平家の威光を恐れる小心なダメ親父…と思いきや一度頼朝をかくまうと決めれば決心を変えない剛直さがあり、武勇にも優れている。また、作中のほとんどの人物を出し抜いた後白河法皇と双六をしたときにはイカサマを見破って気に入られるなど、不思議な魅力を持つ。だがそれでも頼朝劣勢とみると鞍替えの道を考えようとしたり(しかも、頼朝が無傷で石橋山から鎌倉に戻ってきたときにはこの上なく喜ぶ様子を見せ、義時にチベットスナギツネのような冷たい目つきで睨まれていた)、なおも進軍を続けようとする頼朝を涙ながらの説得で思いとどまらせたりするなど、良くも悪くも北条を第一に考える地方領主らしい人物。

亀の前事件の後、政子やその義母のりくから浮気したことをなじられ、逆ギレして2人を罵倒した頼朝に対し「源頼朝が何だってんだ!ワシの身内にようもそんな口叩いてくれたな!例え鎌倉殿でも許せねえ!」とブチギレて良い父親としての姿を視聴者の目に焼き付け、「小四郎、ワシは降りた。伊豆で百姓でもやるよ」と一時りくとともに伊豆に帰った。

情を重んじ、何よりも家族を大切にする性格だが、頼朝・義時とは違って大局的な視点に欠け、良くも悪くも正直者で嘘が下手なため、説得工作でもついつい感情的になって台無しにしてしまう等、政治的センスについてはほぼ皆無である。

それゆえに義時の語る「鎌倉あっての北条」「鎌倉が豊かになることで北条もまた豊かになる」という思想が理解できない。しかし、全成を奉じたのちに千幡を擁立しようとしたのも家族を守るためであり、本質的な意味では変わっていない。

頼朝が意識不明の重体に陥ったときには、頼朝の病気平癒を願って盟友の三浦義澄、巻き添えにした時連と水垢離をし5分ももたずに中止、「年寄りの冷や水」を体現するハメになった。

頼朝の死後、幕府内で急速に権勢を拡大しつつあった比企氏に対抗すべく、りくの入れ知恵もあり、孫である頼家ではなく、娘婿であり頼朝の弟である全成を次の鎌倉殿に据えようと画策するも、まずは鎌倉の権勢の盤石化を優先するべく先んじて行動していた義時と政子の働きにより失敗に終わる。そして、これがきっかけで義時との関係に大きな亀裂が生じることになってしまう。

頼家への訴訟取次を行う補佐役を決める際には、五人衆に比企が加わったことを聞き、三浦義澄、和田義盛、畠山重忠(辞退)に声をかけ、補佐役の大幅な増員を引き起こしてしまう。

加えて、頼家が比企との繋がりが強く、かつ自身らの思い通りに動かないことから、りくの教唆もあって阿野全成を利用し頼家排除を目論むようになる。(なおバレた挙句に義時から説教をくらい、しばらく大人しくしろと言われた)

時連が「時房」と名を改めたときには笑って了承し、りくが聞きまちがえたトキューサを何度も繰り返し、そのたびに時連は「時房」とまちがいを訂正している。

全成の呪詛が発覚したおりには、さすがに罪の意識があって名乗り出ようとしたが、それこそが比企の狙いであると見抜いたりくと義時に止められ、常陸に流されることが決まったことで、改めて全成に詫びを入れている。

そして、全成と孫にあたる阿野頼全が殺されると、腹を括り、義時とともに比企一族を排除する。この時、全成を死に追いやり実衣を悲しませたことを悔いていた。

第34話では、源実朝の祖父かつ執権別当として権力を振るうようになるが、縁故や人情を大切にする元々の性格が悪い方向に作用してしまい、訴訟を起こした御家人から付け届け(=賄賂)を贈られ、その御家人に有利な裁定を約束するなど公私の区別ができない欠点を露呈、義時から「付け届けをもらってはならない」と釘を刺される。遂には娘婿である畠山重忠に対し惣検校職の役目を自らに譲るように詰め寄ったりなどしており、周囲の御家人から恐れられている他、義時からの信頼も失いつつある。

そして、畠山重忠の乱を経て御家人や義時らの信を失い、梶原景時の乱の時をはるかに超える人数の弾劾状を提出され義時に諌められると、激しく激高した。その後、政子による訴状の吟味が始まると執権職の特権を奪われた時政はさらに激怒するも、「父上と言えど、これから先どうなるかわかりませんよ(=場合によっては戦も辞さない)」という義時の凄みには反論できず、「頼朝様に似てきたな」という捨て台詞と共に館に帰る。その後、野心に燃えるりくから実朝失脚・義時政子の追放の策を言い渡されるが、その企みが成功する見込みが低いことに気づきつつも、りくが縋れる「家族」がもはや自分だけしかいないことも理解していたため、「わしが見たいのは、りくの喜ぶ顔だけじゃ」と敢えてりくの策に乗り、最後まで付き合う覚悟を決める。

策が成功しても失敗しても、もう子供たちと笑顔で会うことはないと悟り、政子・義時の下に故郷・伊豆の地酒と海産物を持ち込むと、政子・義時・実衣・時房と最後の楽しい宴を過ごした。この時は、大姫のことを口走ったり、政子の植えたナスの苗を息子たちと丁寧に植え直したりと「執権別当北条時政」ではなく、かつての「北条のオヤジ」としての一面を垣間見せた。

その後、実朝を自らの館に迎え入れ出家の起請文を書くよう迫るが重忠の一件からの反省から拒否され、「書いてもらわねえと、爺は死なにゃあならんのです!」(別れの宴を済ませていることから、おそらくコケ脅しじゃなく本心からそう思っている)と迫り、刀を手にかけるも拒絶される。この一件に動じぬ実朝の胆力の強さに「頼朝をしのぐ鎌倉殿になれる」だけの素質を認めたうえで義盛に託して解放、政子と実朝の嘆願とこれまでの功を認められたことで文官の裁定により罪一等を減じられ、出家のうえ伊豆に追放、10年後に同地にて穏やかに生涯を閉じている。その間の第42回では泰時や盛綱の訪問も受けており、彼らとの再会を喜ぶと同時に「北条のオヤジ」として生きていたことを思い出し、鎌倉にて政権の中枢にあった頃から一転して肩の荷が下りたような様子を見せていた。

演者の彌十郎は歌舞伎において後述の梶原景時や工藤祐経のほか、『修善寺物語』では頼家に仕えた能面造りの職人・夜叉王を演じたことがある。

また、時政も歌舞伎で演じたことがあるが、歌舞伎に登場する北条時政は『鎌倉殿の13人』に登場するような愛すべき田舎おやじではなく、目的のためには悪辣な手段を取ることをも厭わない悪逆非道な敵役だそうである。


りく(牧の方)編集

(演:宮沢りえ

【鎌倉殿の13人】感想絵まとめ4

宗時・政子・義時・実衣らの継母。都出身で時政に見初められ、彼の後妻となる。

都人らしい気品のある美しい女性だが、極めて優れた政治的嗅覚を持つ策略家。政治センスが皆無で嘘をつけない性格の夫・時政をおだてて出世欲を煽るなどして、北条家の地位向上と政敵排除のために策謀を巡らせる。一方で、思った通りことが進まないと「気分悪いわ!」などと感情的になるなど子供っぽい一面もある。

時政とはかなり歳が離れており、時政との間に政範が生まれる。史実では義時・政子・阿波局より長生きし、義時の曾孫(りくから見れば継玄孫)の経時時頼兄弟も産まれている1227年時点でも健在だった模様。

比企能員に近い孫の頼家よりも娘の実衣が嫁いでいる阿野全成の方がより操りやすいとみて、夫の時政をたきつけて全成を次期鎌倉殿に擁立するが、娘の政子と息子の義時が頼家支持に回ったことにより夫とともに激怒、北条家の分裂を招いてしまう。

第28回で梶原景時を失脚させるための訴状に時政の署名を「御家人の重石になります」と用紙の最後の端に書かせ、大勢の署名が集まると万一(頼家と景時の結託および署名した御家人全員の処罰)に備えて時政の名のみ切り取り焼き捨てる(用紙の端なのでバレない)という策士ぶりを視聴者に見せ付けた。これには訴状を提案した義村も「アンタやるな」と舌を巻いていた。

その後、再び頼家排斥を試みて、阿野全成に呪詛をかけるよう依頼する(ちなみに、事態が発覚した時には例のごとくしらばっくれていた)

第34回にて次の執権別当候補だと期待を掛けていて溺愛していた息子である政範が亡くなったという報告を聞き、大きなショックを受ける。その後、都から戻ってきた朝雅から「政範を毒殺したのは畠山重保」と吹き込まれたことで完全に冷静さを失い、「畠山を討って頂戴!」と時政に懇願。自身の娘婿であることを理由に踏み切れない時政についには「(重忠は)私の血縁ではありません!」とまで言い放ち(確かに重忠の妻・ちえは時政と前妻の間の子なのだが...)、「力を得ることとはどういうことか。梶原は、比企はどうなりましたか?!」「次は私が狙われるかもしれません!そこまで来ているのです!」と散々に焚き付け、ついに実朝に畠山追討の命令書への花押署名に時政を動かす。一方で、不穏な動きを察した政子が真意を確かめるために訪れた際には「娘息子3人を亡くした貴方を前に悲しがってはバチが当たります」とさも冷静であるかのように振る舞い、政子をまんまと騙すことに成功した。

だが重忠の一件で時政が実質的な失脚状態になると、義時・政子を逆恨みし、実朝を廃して彼らを追い出し、時政を政権に返り咲かせようと策を練る...が、この策は「実朝の代わりに平賀朝雅を鎌倉殿に」→そもそも朝雅の意向を聞いておらず、朝雅自身も我が身可愛さに策に乗らない、「三浦義村を抱き込む」→義村が後見を務める善哉(後の公暁)に跡目がないことを悟られ裏切られる&だいたいいつもの義村と傍から見れば穴だらけであった。

我が子を喪った哀しみを埋めようとするが如く権力を希求するその姿には、もはやかつてのような優雅かつ飄々とした面影は無く、どこか痛ましく哀れなばかりであった。時政にも策が上手くいかないことに気づかれるが、今やりくにとって縋れる「家族」は自分しかいないと理解してもいた彼は最後まで彼女に付き合う覚悟を固めるのであった。

37話では時政とともに平賀朝雅を鎌倉殿に擁立するための作戦を練る。38話では、実朝幽閉事件の後は夫とともに伊豆に流罪となり蟄居していたが。その後は政子や実衣と再会し、憎まれ口を叩きつつも、最後の親子の会話を楽しむ。その後は義時にトウを差し向けられるが、三浦義村のお陰で無傷で助かり、「私を殺そうとしたでしょう」「あぁ悔しい!もう少しでてっぺんに立てたのに」等、義時にも最後までへらず口が止まらなかった。

最後は母親として義時に「意気地がないのね、この親子は。手の届くところに大きな力があるなら奪い取りなさい」と『はなむけの言葉』を残した。

時政の逼塞後、京の都に帰ったことが時政自身が語っている。最終話で久々に登場し、時房や泰時に面会して時政の死や晩年の伊豆での生活の様子を知らされ、「あの人はそういう人だったわ」と涙ぐみつつありし日の夫を回顧した。なお、史実では失脚した時政と共に出家したとされているが、劇中では再登場した時も俗体のままだった。


北条宗時編集

(演:片岡愛之助

【鎌倉殿の13人】第5回『兄との約束』【大河ドラマ】

通称は三郎。時政の嫡男で義時の兄。

打倒平家に燃えており、平将門に憧れて物騒な発言をしたり、軽々しく行動を起こそうとするなど直情的な熱血漢。武芸に長け、確かなリーダーシップも持ってはいるのだが、後先考えずに突っ走り、義時にその尻拭いや無茶ぶりを要求するなど少し困ったところがある。

石橋山の戦いで頼朝の北条館に置いていった本尊を取りに行くという依頼に応えるが、その道中で善児の襲撃を受けて命を落とす。

出発前には義時に「本当は平家とか源氏とかどうでもいいんだ。坂東武者の世をつくり、そのてっぺんに北条が立つ」と頼朝に従っていた本当の理由を吐露していた。野心ともいえるその言葉は義時の原動力となると同時に、やがて彼に重たく圧し掛かり、後に彼を血みどろの覇道へと誘う呪いへと変貌していく…。

担当俳優の愛之助氏は『新選組!』スピンオフを含めれば四度目の大河出演だが(石田三成今川義元に続き)三度連続の道半ばでの死亡である。しかし、上には上がおり義時役の小栗は『義経』以降、実質五度連続で(史実創作含め)非業の死を遂げた人物(梶原景季・石田三成・吉田松陰坂本龍馬に義時)を演じている。


北条政子編集

(演:小池栄子

政子ォ!

宗時の妹にあたり、義時の姉にあたる。居候になった頼朝に一目惚れし、その為に時には大胆な行動に出ることも。目力がすごい。武家の娘としての肝が据わっているなど強気な性格ではあるが、一方で細かい気配りや洞察力も持ち合わせており、義時も頭が上がらない。頼朝が鎌倉に居を構えてからは源氏の棟梁の正室として礼儀作法や教養を厳しく教育されている。また、坂東武者だけに目をいきわたらせることのできない頼朝に代わって彼らの不満を聞いたりなだめたりすることで、頼朝の勢力統制に一役買っている。

頼朝の女好きさには頭を悩ませているが夫婦仲は良好であり、征夷大将軍に任命された際には夫婦ではしゃぎまくり、富士野の巻狩りで頼朝が襲撃を受け安否が不明となった際には無事鎌倉に帰還した頼朝に飛びついて無事を喜んだ。また、義時との姉弟仲も良好であり、八重を亡くし悲嘆に暮れる義時にわざわざ侍女のような質素な格好をして見舞いに行くなど、互いに幕府の重要な役職につきつつも伊豆の頃から変わらない関係を続けている。また、母親としての愛情も深く、万寿が巻狩で手柄を立てた(ただし御家人たちのお膳立て)ことを比企能員夫妻から聞き、その時は「武士の子ならば当たり前」とそっけない態度をとったが、比企夫妻が帰ってからは大姫とともに「うんと褒めてやりましょう」と大喜びする様子を見せ、第24話では上洛した際の丹後局の「手荒い歓迎」により心が折れてしまい、そのまま病に臥せってしまった大姫の「好きに生きるということは、好きに死ぬということ」というセリフを聞き、「母を悲しませないで」と涙を見せた。

落馬により昏睡状態となった頼朝を甲斐甲斐しく介抱するも回復には至らず、最愛の夫に先立たれることとなる。ただし、頼朝は死の直前に一瞬だけ意識を回復し、政子が運んできた軽食の入ったお皿の中の果物を指差して、「これは何ですか?」と政子と言葉を交わすことができた。その後、前将軍の後家として次の鎌倉殿を推挙するよう求められ、鎌倉を一つにまとめるために実子である頼家を推したことで全成派だった時政・りく夫妻から「裏切りやがったな!」とひどく詰られることに。また妹の実衣とも頼朝を介抱していた際に思わず「あなたに御台所が務まるものですか!」と言ってしまったことが原因で関係が拗れ、北条一族の中でも孤立してしまう。そのこともあって、伊豆への隠居を考える義時を力づくで引き留め、これからも自分と頼家を支えてくれるよう懇願した。

頼家が二代鎌倉殿に就任した後も尼御台として彼の政を補佐。義時にも叔父として彼を支えてくれるよう頼み、訴訟の補佐役の最後の一人として義時に加わるように要請した。だが、このことが義時と頼家の亀裂を産んでしまうことになった。頼家が何人も女をかこっていることや、当初は政務がいい加減であったことに対しては手を焼いており、頼家が安達景盛の妻を横取りして無理やり側室にしようとした際には義時や梶原景時とともにこれを諌めた。

阿野全成が頼家の呪咀を行った際には、その妻の実衣が全成に加担したという嫌疑をかけられ頼家配下の者に逮捕されそうになった際にはこれを匿い、こじれた関係を修復することができた。結局全成は斬首されてしまい、そのやるせなさから「いつまでこんなことが続くんですか!小四郎!なんとかなさい!私も考えます」と悲しみを吐露する。義時に比企氏との戦が始まることを告げられた際には、義時に一幡を殺さないことを誓わせた。しかし、のちに義時から一幡の死を伝えられ、「逃がしたが自ら燃える比企の館へ戻った」という趣旨の説明を否定、義高の出来事を引き合いに出して義時を非難した。

34話では実朝を心配し、実朝が好きそうな和歌だけを自ら書き写したものを三善康信に「さりげなく」置いておくように指示した。

36話では、広元・義時からの頼みで幼い実朝に変わり畠山重忠の所領を御家人へ分け与え、いわゆる「尼将軍」として政治の実権を握ることになり、実朝本人も重忠の一件への後悔からこれを承諾した。これまでの彼女の人望の厚さもあって、「尼将軍政子」による訴状の処理はうまくいっているのだが、それはそれとして下知状を書くのが大変で肩が凝ると難儀しており、肩を揉むのが下手な甥・泰時に肩揉みの実演をしてみせる、広元に自分の代わりにひらがなで代筆を依頼するなど相変わらずチャーミングな一面は健在である。

38話では実朝を拉致し鎌倉殿辞任を求める時政を討伐することを強硬に主張する義時や時政の屋敷(名越邸)を囲む御家人たちに涙ながらに命乞いをし、義時も一時は頑として聞き入れなかったが、政子・実朝親子の助命嘆願と文官たちの評議で罪一等を減じて伊豆に配流することを決定、政子の努力は報われた形となった。

39話では実朝から和田義盛の上総介就任についての相談を受け、自分が義盛を気に入っていることを明かし、実朝もまたそうであることに理解を示しつつも、「愛憎や身内ということで贔屓してはならず、政務は公平にしなければなりません」とこれをたしなめている。

40話では「鎌倉のためです」と言いながらも義盛の一族を殲滅しようとする弟を諌めたところ、表面上は反省した様子を見せたため、一度は許した。

その直後に実朝のとりなしで義時と義盛を和解させたものの、義時が本心では和田家の殲滅を諦めていないことを知っていたため、事前に三浦義村に交渉して、いざとなった場合に備えて北条家についてもらうことで、戦火を避けようとする。そして、義時と義盛の和解のための会談が終わった後、義時を個人的に呼び出して姉として弟の本心を見抜いていることを明かし、「何に怯えているのですか、小四郎。戦をせずに、鎌倉を栄えさせてみよ!」と一喝した。

41話では火の手から逃れるために実朝や三善康信らと鶴岡八幡宮に避難し、戦況の報告に来た義時を「思い通りになりましたね」と憎々しげに詰った。

42話では実朝に朝廷の実権を握る後鳥羽上皇の子をから次期鎌倉殿を養子に据えることを泰時とともに助言、頼家の次男・公暁を次期鎌倉殿に据えようと構想をもつ弟・義時、時房と対立する道を選んだ。

43話では実朝の代わりとして京に赴き、広元の事前のアドバイスに基づいて兼子と会談し、見事に心を掴み、従三位に任じられる。このことを実朝に報告する際、肩に手をあて少し体を捻らせ、「従三位☆」とお茶目な行動を見せている。ちなみに、夫・頼朝が征夷大将軍に就任したときにも同じことをしている。出家した者で位を授かるのは平時子以来である。

実朝の死を受け生きる希望を無くし、一度は自ら命を絶とうとするも駆けつけたトウに「自分で命を絶ってはならない」と引き止められ、自分を殺すように懇願するも拒絶され涙に暮れる。実朝を亡くし、自らの子に全て先立たれたことで心が完全に折れてしまったことで伊豆に隠居することを思い立つが「鎌倉の闇を無くすため、姉上は何をなされた?」と頼朝が死んだ際義時を鎌倉に引き留めてずっと鎌倉の暗部を任せておきながら自分自身は直接手を下すことなく、義時のことを非難さえしていたという事実を突きつけられ、「付き合っていただきますぞ」という義時の一言により、鎌倉に留まることになる。

その後、阿野時元の謀反に関与したとして、時元の母でもある妹・実衣が厳罰に処されそうになると彼女をなんとか救おうと奔走。彼女の「死にたくない」という願いを聞いて自らが動くことを決意。三寅が元服するまでの後見人として「尼将軍」となることを義時に伝え、自らの裁量で実衣を放免とした。そして「みんないなくなっちゃった」と実衣と悲しみを共有し、かつて大姫が口にしていた呪文を(まちがって)言い合いながら抱き合って泣く。

後鳥羽院から義時追討の院宣が発せられた際には、鎌倉を守るため自らの命を差し出そうとする義時を止めようとするもその意志を変えさせることは叶わず、御家人たちを前に尼将軍として渾身の演説を行った。その際には教科書などで広く知られる「頼朝様の恩は山より高く〜」という「御恩と奉公」を説いたものではなく「義時は手荒なことをしたこともあるけど私欲はなく、ただ生真面目な人」「その人は鎌倉のために命を差し出す覚悟がある」「それに対して朝廷は『義時差し出せば戦は止めてやるよ』とかいってる。坂東武者たるお前たち、舐められてるけどいいの?」「執権の首一つで戦から逃げようとする卑怯者いる?いねえよなぁ⁉」(超要約)という坂東武者の義理人情に訴えるものであった。

最終回では殺しの仕事が無くなったトウに「(13人の)子供達に生きるための武術を教えてあげて」と頼み、引き受けられる。

その後、病床で体が動かなくなった義時を見舞うのだが…


北条時房編集

(演:瀬戸康史)

鎌倉殿絵8

義時の歳の離れた弟。通称は五郎。初名は時連。佐介流と大仏流の祖。のちに初代連署となる。

第1話では乳母に抱き抱えられた赤ん坊として登場。年齢としては義時より泰時に近い(史実では時房が泰時より8歳年長かつ義時より12歳年少)。

長いこと表舞台に登場していなかったが、21話で瀬戸が演じる成長した姿で登場。大姫から頼まれた魔除けの鰯を持って北条一族の集まりに参加した。その後、時政が創建した願成就院の阿弥陀如来像お披露目に義時と共に立ち会った。

史実においては頼家の遊び相手(蹴鞠の相手)となり、義時亡きあと泰時と共に幕府を支えた名臣として知られているが、頼朝が病没する前後ではまだその切れ者っぷりを示す描写はなく、全体的に天然な若者として描かれている。あと、餅をうまく丸められないレベルの不器用でもある。

頼朝が意識不明の重体になったときには、たまたまそばにいたばかりに父・時政と三浦義澄の水垢離につきあわされ、5分ももたずに中止するハメになった。

頼家が二代鎌倉殿に就任する際には、年長者として他の若者たちを導いてくれることを期待されて頼時(泰時)と共に頼家直属の部下の一人として送り込まれる。なお、出仕した際に蹴鞠の才能が開花した。その後、義時以下十三人衆に対抗して頼家が紹介した六人衆の一人として登場した。ちなみに童顔のため、頼家からは六人衆最年少だと勘違いされている

蹴鞠の才は指南役・平知康にも認められ、別れ際にその才と心持ちを評価され、名を改めるよう助言をされ、「時房」と名を改める。(この直後、時連は誤って鞠を知康の頭へ蹴り飛ばし、この事が全成による事件の発覚へと繋がった)

31話以降は、日々苛烈になっていく父を諌めようとする泰時をしばしば落ち着かせ、彼が北条の明るい部分を現わしているのに対し、自身は兄・義時の穢れた部分を補佐する決意を見せている。33話では義時が善児の住処(このときは留守だった)に赴いた際に長兄・宗時の遺品を見つけ、すべてを察し善児を討つよう義時に呼びかけるが、義時は「あやつは使える男だ、それに、私に善児が責められようか」と呟くのであった。

34話の冒頭では朝時や重時と遊んでいる最中に、子どもたちではなく自分が肥溜めに落ちてしまい、しかも汚れた姿のままくつろいでいたことで義時に「そこでくつろぐなー!」と怒鳴られた。

このように基本的には北条一族の癒しキャラとも言える立ち位置ではあったが、政範の一件で畠山排斥に動き出した父・時政には義時と共に猛烈に反発し、ついに「母上(りく)の言いなりになるのはもうおやめください!息子として恥ずかしいです!!」とまで言い放ち、時政に「うるせえ!」と吐き捨てられた。(なお、義時からは「最後の一言は余計だった」とたしなめられた)

36話ではりくに直接「政範が死んで辛いのはわかりますが、全部畠山殿に押し付けるのはいかがなものか(要約)」と抗議したが、りくからは「そんなに私が憎いですか。憎いからそうやって畠山の肩を持つ」と一蹴されてしまった。また、のえとのやりとりを見る限り女性を見る目については義時と五十歩百歩の模様。

兄・義時が鎌倉の実権を握ってからはその志を理解し補佐役に徹している。頼家の次男・公暁を次期鎌倉殿に据える構想にも同調したため、朝廷から次期鎌倉殿を迎える構想をもつ実朝、姉・政子、甥・泰時と対立、直後に会った源仲章の勝ち誇ったような表情に不快感をあらわにする。

43話では、相手が上皇であるということを知らずに肩を小突いてしまい、護衛の者達に取り押さえられる。上皇とは蹴鞠を通じて親交を深めているが、「トキューサ」とまちがった名前で覚えられてしまうが、46話では実朝に代わる次期鎌倉殿をめぐって上皇と蹴鞠勝負をし頼仁親王に代わる人物として当時3歳の三寅(のちの九条頼経)を下向させる約束を取り付ける。

44話では兄・義時から頼朝が武士の都が鎌倉に作ったことを実朝が理解していないことに絶望していることを明かされたのち、あえて公暁に実朝を討たせ、その直後に自身が公暁を討ち果たすことで源氏を滅ぼし、朝廷と事を構えることを内々に告げられている。

子孫には第8代連署・大仏宣時、連署(第10代)・執権(第11代)を歴任した大仏宗宣などがいる。

なお、頼家・一幡親子や実朝の死の真相を知り、義時が真っ黒になったり、政子と実衣の仲が悪化したり、北条家のメンバーがもう取り返しのつかないほどガタガタになりつつある中で、特にメンタルを病むわけでもなく、義時の穢れた分を補佐しているにもかかわらず、視聴者の癒しであり続けることから、「『鎌倉のオーベルシュタイン』『メフィラス義村』と同じくらいおっかねえ」とみなす視聴者も多い。また、生真面目一辺倒の義時や泰時に対し時政譲りの愛嬌に溢れており、「(義時には)愛嬌がないんだよ」「(自分には愛嬌が)あるんだよなあ、これが」と言っちゃうほど。加えて、義時追討の院宣が自分にも出されていたことを知った際には驚きつつも義時の目の前で「...記念に持って帰っていいですか?」と言っちゃうなど相変わらず天然ボケ気味な性格も健在。

一方で、第46回における実衣の処罰を巡ってのやり取りや、後鳥羽上皇との書面のやり取りでの根比べを続けようとする姿勢への態度から、兄を支えはするものの必ずしもイエスマンという訳ではない、というスタンスも示されている。

最終回で泰時が「新しい鎌倉を作る」と宣言した際、当初は難色を示したものの、直後に「法を作って何が良くて何がダメなのかはっきりさせる(超要約)」と言われた時には「いい!新しい世が近づく音がする」と相変わらずのトキューサ節で賛成していた。


北条政範編集

(演:中川翼)

時政とりくの子。義時のかなり歳の離れた弟。史実では甥の泰時より六歳年下。

北条家の嫡男扱いの少年。というのも、りくは(後妻とはいえ)時政の正室であり、正室の長子である政範は嫡男として扱われるに十分な立場にあったからである。実際、劇中でも義時(とその息子泰時)は公的な場(鎌倉殿の御前など)では「北条」呼びではなく「江間」呼びであり(頼家直属の六人衆を紹介する際にも『江間』太郎頼時(泰時)と呼ばれている)、義時自身も「政範殿」と呼ぶなど一歩引いている。

まだ10代の身ながらりくからは北条本家の後継として目をかけられ、自身も家督を継ぐ野心を見せている。兄たちや甥同様、政務に対して真面目。実朝が都から正室を迎える際には隊列の責任者を務めるよう言い含められていたが、都に到着して二日で急逝。享年16。俄な発病とも言われているが、それほど気温が高いわけでもないのに急ぎ埋葬されたことから、義時は毒殺されたと推察。政範の埋葬を取り仕切った朝雅を「毒で死んだことがバレないように(当時は、毒を盛られた被害者の遺体が変色すると信じられていたため)手早く埋葬したのでは?」と睨み、重保の証言も併せ毒殺の主犯だと推測した。

だが、政範の毒殺の嫌疑を自分から逸らしたい朝雅の思惑により、北条は畠山一族に謀反人の烙印を押し、討伐へと傾くことになる...

政範自身が兄たちにどのような感情を持っていたかまでは描写されていないが、少なくとも義時や時房からは「かわいい弟」と思われていたようである。


比奈(姫の前)編集

(演:堀田真由

【似顔絵】堀田真由 ドラマ「鎌倉殿の13人」

義時の正室となる女性。比企一族(後述)の出身。次男・朝時、三男・重時を生む。当初は能員の源氏と比企氏の密接な関係構築のため頼朝の側室として送り込まれたが、八重を亡くし失意に沈む義時に嫁ぐことになる。しかし、初対面では義時に「私は再婚するつもりはない」「帰りなさい」と面と向かって言われたうえに自らの意志を問われ、「なんなのあの人」と憤慨していた。

その後、富士野の巻狩りで義時に再会(劇中では語られていないが、おそらく政子が不在の状態で頼朝の「お手つき」にさせようとしたか?)。翌日の狩りの陣立てを考える義時に対し、鹿の習性を教え狩場の下見の際に案内を務めるなどアクティブな一面を見せた。なお、この時点で比奈の心は頼朝から離れていたようだが、頼朝はまだ執着していたようで、そのことを利用して曽我兄弟の襲撃事件の際には頼朝を館から引き離す役割を担った。巻狩りから撤収する際には、義時からもう自分に付き合うことはないと言われるが、「私の方を見てくれなくても、私があなたを見ていられればそれでいい」と本心を打ち明けたことで義時もようやく彼女の想いを受け入れた。

24話からは義時の家に住み込んでおり、義時も頼朝から「決して離縁しません」という起請文を書かされたうえで彼女と夫婦になることを決意している。(早すぎないか?とは思ってる様子)

25話では正式に北条一族の一員になっており、比企をライバル視するりくにきつく当たられたり、未だに八重の面影が濃い北条一族の中でも明るく振る舞っている(流石に、無意識とはいえ八重と言い間違えた時政の失言には義時も「すまん」とジェスチャーで詫びている)。また、義理の息子である泰時には「義母上(ははうえ)って呼ばないで。姫でいいです」と答え、「いや流石にそれは...」と苦笑されるなど関係は良好である。なお、泰時のことは「太郎殿」と呼んでいる。

聡明な性格で、政に関わる相談を義時から持ちかけられることもあり、特に頼家の人となりについては幼い頃から見ていたこともあって、的確なアドバイスを義時に授けた。また、景時失脚の一件では義時にも弾劾の訴状が来ないか心配し、泰時に頼家の動向を伝えるよう要請した。

32話では義時から自分を離縁するよう頼み、京に帰った。その四年後に亡くなったことが、長澤まさみ女史から語られた

史実では朝時は冨士の巻狩りの年(建久4年(1193年))に、重時も梶原景時失脚前の建久9年(1198年)には生まれているが長らく登場しなかった。31話で二人して「ははうえ〜」と比奈に無邪気に手を振って登場したのが初見。年齢的にも大きな乖離はないので、その二人が朝時と重時であることが示唆された。朝時は成人した姿で登場したが、重時は32話終了後に消息が紹介されるにとどまった。


北条泰時編集

(演:森優理斗→坂口健太郎)

金剛

義時の長男(庶長子)で義時最愛の息子とされる。幼名は金剛。通称は太郎、江間太郎。主君・頼朝が烏帽子親となり、「頼」を与えられたことにより初名は「頼時」とする。

のちの三代執権で御成敗式目の制定者として歴史に名を残す。

幼少期は父親が帰ってくるたびにお土産を催促していた。義時も暇を見つけては土産物を用意しているようで、あの血生臭い奥州での謀略から帰ってきたときも土産を用意していた。また、寝相が悪く、すぐに布団が脱げてしまうため義時に布団でぐるぐる巻きにされていた。

孤児たちにも愛情を注ぐ母・八重に対して「金剛だけでは足りませんか?」と問うなど不安を抱えていたが、八重が亡くなったことで父同様失意の底に沈むことになった。それでも「(八重が命と引き換えに助けた)鶴丸のことを恨んではならん」「北条の一員として相応の振る舞いをせよ」という父の教えを守ったり、いじめられた鶴丸を庇って安達弥九郎と喧嘩をしたり、鶴丸を庇ったことを義時に隠していたりと、父の下で成長している。

第23話では元服前で当時10歳の金剛(泰時)を、30歳の坂口が演じて成長著しい金剛』という、大河の歴史に輝く神テロップと共に姿を現わし、視聴者の腹筋を破壊した。第22話と第23話での時期は1年足らずであるが、一体何があった。

弓に長じていたり富士野の巻狩では万寿に近侍しているなど当初は史実における愛甲季隆の役割も与えられていた。なかなか獲物を仕留められない万寿の前で飛んでいる鳥を撃ち落とすなど若干の空気の読めなさを醸していたが、初めて仕留めた鹿を万寿のご機嫌取りに利用され愕然としながらも将来の主君である万寿との関係は良好であり、頼朝襲撃事件の際も万寿から自らの身辺警護を任されるなど信頼されていた。

なお、元服前の身ながら貞観政要を読むなど、のちの名宰相っぷりへの布石が着々と描かれている。(これ疑惑もあるが)

また、「頼朝は落馬で亡くなった」という流説を信じ「武家の棟梁が落馬とは情けない」と語り合う御家人たちの言葉を疑問に感じ、頼朝が落馬した際に来ていた衣服の汚れから「肩に土がついてる=手をついていない=落馬する前にもう意識はなかった」と推測したり、義時や時房も見抜けなかった二人目の継母のえの本性を見抜くなど観察眼も優れている。

頼家の二代鎌倉殿就任後は側近として取り立てられ、頼家からも特に目をかけられている。頼家が十三人衆に対抗して紹介した直属の六人衆の一人にも加わっていた。

しかし、頼家に対して幾たびも諫言したことや、困窮する農民のために借用書を破って、領主との契約をなかったことにしたことが仇となって、「頼時」の「頼」を奪われたのち「泰時」の名前を与えられ、直属の六人衆から追放された。

以降、父・義時に従って行動するが、比企家に身を寄せる頼家の子・一幡を義時に殺害することを命じられ、これまで見ることがなかった父の冷酷さに反発を強めつつある。その後、この命に背き善児・トウの下で一幡を匿わせ、後に義時にこれを報告したものの、義時が結局一幡を殺したことを彼の発言から悟って、さらに義時を非難した。

義時からおなごはキノコが好きと吹き込まれて想いを寄せる初にキノコを贈って突き返されたが、父・義時も後にキノコをのえに贈っており、この件に関しては親子そろって天然であり朴念仁であることを証明した。

33話では北条氏討伐の院宣を後鳥羽上皇から賜わろうとしていた頼家の暗殺を決定した義時に反発して修善寺に駆け込み、頼家に逃げるよう説得するが、これを拒まれる。その日の晩、頼家をおびき出すために猿楽が行われたが、猿楽衆の一人の様子がおかしいことに気がついた泰時はその男が善児であることを見破り、掴みかかって善児・トウと戦闘状態になったが善児に「あんたは殺すなと言われてる」と見逃されたところをトウに打ち倒されてしまった。鶴丸と共に目が覚めた頃には全てが終わっており、頼家の亡骸を前に慟哭した。

34話では父から頼朝の遺した観音像を譲り受けたものの、「自分のやったことに向き合っていない」と反発心を強める。また、その後義時からのえと結婚したことを告げられた時も「母上を追い出しておいてもう新しい妻を娶るのか」と真正面から非難し、義時からは初めて「もう一度申してみよ」と低い声で凄まれ、初から思いっきり平手打ちを喰らっていた。(実際のところは義時自身は比奈の処遇について悩みまくっており、離縁したきっかけは実衣の嘆願であったし、最終的に離縁を切り出したのは(起請文の一件もあるが)比奈の方であるうえに義時も優しく抱擁するなど自発的に「追い出した」とは言えない)とは言え、自らも八重亡き後比奈の存在に救われたところがあると初にも語っているところから、朝時や重時のためにものえを迎えることを理解している。

35話ではお忍びで和田義盛の館を訪れた実朝に従っており、ともに歩き巫女に会う。このときに、双六ができない、やろうとすると気分が悪くなることを見抜かれた。

37話からは実朝の側仕えから外され、義時の下に異動させられる。泰時本人はこの真意を図りかねていたが、時政による実朝監禁事件の際に「父の覚悟を見てほしい」という義時の真意が明かされた。ちなみにこの回で、肩を揉むのがそれほど上手ではないことが判明し、政子本人から実演対象として肩を揉みほぐされ、痛いのと気持ちいいのがないまぜになった壮大な顔芸を披露した。

39話では後鳥羽上皇の暗躍を利用して和田一族を討とうと策謀をめぐらせる父・義時と大江広元に反発、反対を表明したことで父から謹慎を命じられる。

和田合戦では義時から先鋒を命ぜられ、一時やけ酒に走るが、朝時からの叱咤激励や初からの水攻めを経て覚醒し、果敢に戦い、盛綱から手放しで称賛される。

その後は、義時が実朝を使って、実朝と義盛の両者に希望を持たせたところを一斉射撃して義盛を斃す、という暴挙に出た際には涙に満ちた目で義時を睨みつける。

42話では実朝、伯母・政子とともに朝廷から次期鎌倉殿を迎える構想に賛成し、頼家の次男・公暁を次期鎌倉殿に迎える構想をもつ父・義時、叔父・時房との対立が決定的になる。

43話では自邸を訪れた父・義時から讃岐守就任を断るよう言われる(この件に関しては泰時本人も「荷が重すぎる」という理由で辞退しようと考えていた)と同時に期待されていることも伝えられ、久しぶりに父と意見があったことに和解の兆しを見せていた...のだが、実朝暗殺事件で義時が実朝の死を願っていたことを勘づいたことで「父上の好きにはさせません」と義時に明確に宣戦布告をし、義時の決定に明確に異を唱え始める。

直後に重臣たちを集めた会議で実朝と後鳥羽上皇の間で行われた皇子・頼仁親王の鎌倉殿就任の約束を朝廷の方から断らせ、操りやすい人物の鎌倉下向をいかにすべきかとの方策を問われたことにより、父・義時から次期執権就任のための宿題を課される。

なお、義時の暴虐に明確に異を唱えていることから「お前の言葉は耳障りだ、政所から出ていけ」と言われることもありながら、義時は「嫡男は太郎(泰時)だ。もし太郎がだめだったら次郎(朝時)だ」とはっきりとのえに言うなど不思議な関係に落ち着いており、のえも「喧嘩ばかりなのに、互いを信頼しあってるみたい」「気持ち悪い」と評している。

朝敵とされたことで覚悟を決めた義時からあとを託されるも、自身は(上皇に逆らうのは神仏をも恐れぬことと同じ、としながらも)「こうなった以上は一戦交えるのみ」と覚悟を決めており、政子の大演説の直後に「尼将軍をお守りし、執権殿の下一丸となって鎌倉のために戦う」と御家人一同に発破をかけ一致団結させるきっかけを作った。

承久の乱後、後鳥羽上皇の追放が実行されたにもかかわらず、朝廷側の再起を防ごうとまだ幼い帝を殺害しようとする義時に対して真っ向から反発し、「誰が見てもわかる決まりを作る」ことを宣言する。また政子からも「暗殺なんかしなくても太郎はしっかりと世の中を治めてくれる」「かしこい八重さんの子、昔の小四郎そっくり」と目をかけられており、義時もそれを認め、今際の際に自分が頼朝から受け継いだ観音像を泰時に託すことを政子に頼んだ。

史実では、異母弟・政村よりも先に嫡男・時氏が生まれているはずだが・・・。


初姫(矢部禅尼)編集

(演:福地桃子

三浦義村の娘。公暁の側近で泰時死後の宝治合戦で滅んだ駒若丸(光村)の姉。泰時の最初の正室・矢部禅尼がモチーフだが後述のように生年が異なる点や継室・安保氏の役割も兼ねているなどオリキャラに近くなった。母親が出産後亡くなったことを理由に義村が八重に世話を押し付けたため、彼女が世話をしている。なお、同時期に実子の金剛(のちの泰時)が生まれ八重もその世話で忙しかったところに、「1人も2人もそんなに変わらんだろう」と言って強引に預けたせいで、子育て世代の視聴者から義村は大顰蹙を買うことに。またかい

ネット上では誕生当時から矢部禅尼ではとの声があったものの後述のように生年が異なるのでオリキャラの別人か...と思われたが、泰時の最愛の妻であることが公式から明言された


なお、史実の矢部禅尼が誕生したのは藤原秀衡が亡くなった1187年であり叔父の三浦胤義(1185年生)より2歳年下だが当ドラマでは逆に2歳年長になった。

32話で義時のことを「義父上」と呼んでいたため、正式に婚約したものと思われる。そして34話にて実朝と泰時の会話から正式に夫婦になっていたことが判明。泰時曰く「尻に敷かれっぱなし」らしいが...。

父・義時の非道な行いに関して泰時が思うところを包み隠さず話せる相手ではあるが、初自身も義時の立場は理解しているようで、泰時が言い過ぎた際にはビンタをかましたり、「父上は何もわかっていない」と憤る泰時に対し「わかってないのはあなたよ」「義父上は自分のようになるな、って仰りたかったの」と指摘するなど北条親子の緩衝材にもなっている。その後も父の後妻・のえの裏の顔を知ってしまったことについて泰時から相談を受けたり、実朝から夫婦仲について聞かれた際に「文句ばかりのようで惚気ているように聞こえる」と評価されるなど夫婦仲は良い。

機転が利き和田合戦前には謹慎中だった朝時を独断で呼び戻す。合戦の際には二日酔いで動こうとせず、盛綱の説得や朝時の発破にも応じない泰時の顔に容赦なく水をぶっかけて目を醒まさせて叩き出している。

それでも泰時のことをよく理解しており、義時を止めようと必死に活動する彼を「生真面目」「面白みがない」と言いつつも「もう諦めの境地」と言って支えている。が、最終回では泰時の真面目さを「偉い」と褒めている。

なお、のえが生んだ政村よりも先に長男・時氏を生んだ。『北条時宗』にこそ登場しなかったが曾孫の北条時輔時宗兄弟が生まれた頃も健在で九条頼経と同年に逝去。

最終回まで登場しているが、史実では牧氏事件後~和田合戦前に泰時と離縁している。


北条朝時(名越朝時)編集

(演:西本たける)

義時の次男、義時と比奈の子。通称は次郎、名越次郎。伊豆に配流された祖父・時政の名越邸を与えられ名越流の祖となる。比奈が義時と離縁した後もいつか戻ってくると信じて待ち続けていた。第32話や第34話で幼少期の姿が描かれた後、第39話では成長した姿で再登場。御所の女房に手を出して将軍・実朝の勘気を被ったという逸話もここで描かれており、父や兄に事件のもみ消しやよもぎの追放を頼むも泰時には「私を頼るな」とすげなく断られ、義時からは軽々しく身内を頼るその姿勢に対し「お前には父を越えようという気概はないのか」と問われ、「そんな大それたことは・・・」と答えて呆れさせてもいる。

そうした人柄ゆえか、盛綱からは当初「あのお方は苦手」と評されていた。継母・のえからは急に現れて勝手に器の中の干した果物をつまむというがさつさから「下品な人は大嫌い」と散々な反応を示されたが、のち後継者問題が絡んで義時・泰時共々憎まれるようになった。

前述の御所の女房に手を出した件で父に勘当され駿河国冨士郡に蟄居するが、父・義時と和田一族の関係が急速に悪化したことにより初の独断で鎌倉に呼び戻される。

和田合戦の際には先鋒を任され、やけになって酒に逃げた泰時が「自分はなんでこんな役ばかり」とぼやいたのを、「(父上が)期待しているからに決まってるからじゃないですか。期待されるのが、そんなに嫌なんですか?期待されたくたって、されないやつもいるんだ。そんなやつの気持ちなんて、考えたことねえだろ!」と泰時を一喝して奮い立たせる。

合戦中には泰時が「矢避けの板を抱えながら進む」という案を出した手柄を泰時から譲られ、泰時が上記の発案を「朝時が立てた策です」と話したことで義時から政務復帰を許された。義時からはぞんざいな扱いを受け続けているものの、のえとのやりとりから泰時に次ぐ後継者候補と看做されていることが示唆されているなど、一応は尊重されてはいることが窺える。

時政の死後、懲りずに女性問題を起こし初や泰時をあきれさせる。またかい。この時点では少なくとも「宮騒動」で流罪にされた長男・名越光時や「二月騒動」で北条時宗の兄・北条時輔と共に時宗に粛清された次男・名越時章が生まれているはずだが・・・。

第47回で義時追討の院宣が下された際には、泰時・時房と共に同席を許され、泰時を支えるよう父から託された。

最終回では経験者として策を提案する義村に対し、「じじいうるせぇんだよ」とか「訳わかんねぇよじじい」と文句を言い、「誰が言ったー!!」と怒られていた。

子孫には名古屋山三郎高倉健がいる。


北条重時(極楽寺重時)編集

(演:加藤斗真)

義時の三男、義時と比奈の子。北条氏庶流のなかで最も重用された極楽寺流の祖。極楽寺流を基に赤橋・常葉・塩田各流派も輩出している。第32回などで幼少期の姿で登場し、兄と同じく母がいつか戻ってくると信じて待ち続けていた。承久の乱が勃発した時点では既に20歳を過ぎ、三寅(九条頼経)の警護に当たる小侍所別当の職も任されたこともあって出陣しなっかったが、泰時時代以降は六波羅探題北方や連署を歴任する。義時時代までは目立たなかったことや本作では朝時が重時の役割も一部担っていたこともあってか成人後の姿で登場することはなかった。一方、『時宗』では平幹二朗が壮年期以降の姿を演じている。6代執権・北条長時は長男。子孫に13代執権・普恩寺基時、16代執権・赤橋守時や赤橋登子(足利尊氏正室)がいる。


北条政村編集

(演:新原泰佑)

義時とのえの長男。史実では四兄に伊具有時がいるため五男。通称は四郎。政村流の祖。のちの7代執権及び3代・5代連署。『北条時宗』では伊東四朗演じていた。9代連署・時村は長男。子孫に12代執権・煕時らがいる。

第45回放送とほぼ同時に成長後の姿を新原が演じることが公表された。


北条実泰(金沢実泰)編集

義時の六男。通称は五郎。第39回でのえが侍女に世話をまかせた幼児が実泰かもという見方もあったが政村であり結局、最後の最後まで出演がなかった。史実でも母は政村同様、伊賀の方。最初は実朝と義時から一字を受け実義と名乗っていたが、伊賀氏の変後に長兄・泰時の偏諱を改めて受け実泰と名を改める。金沢流の祖。子に金沢文庫を創設する北条実時、子孫に15代執権・金沢貞顕がいる。泰時の時代になり朝時や政村への牽制もあり重時と共に泰時に重用され政村よりも地位が上だった。しかし、27歳の時に若くして出家し実時に家督を譲った。泰時の孫・北条時頼と同年の1263年に56歳で死去。


実衣(阿波局)編集

(演:宮澤エマ

【似顔絵】宮澤エマ ドラマ「鎌倉殿の13人」

義時の妹。阿野全成の妻かつ千幡(源実朝)の乳母。現実主義的な皮肉屋で、頼朝居候後にあたふたする兄達や姉、特に政子へ度々辛辣な言葉を吐いている。さらに継母のりくに対しても遠慮はなく物事を言う。一方で子供っぽい一面もあり、気に入らないことがあるとプンプン怒りながらどこかへ行ってしまう。口が軽く、落ち着きのない性格から陰で北条一家のトラブルメーカーになることもある。

それまで権力争いに汲々とする幕府内部を一歩引いた位置から冷めた目で眺めていたが、千幡の乳母となって幕府中枢権力に近づいたことで権勢欲に抗えなくなったのか、富士野の巻狩りの中で発生した曽我兄弟による襲撃事件にて頼朝と万寿の安否不明が伝わった際、「千幡を鎌倉殿に」「育ててきた甲斐があった」と零してしまい、全成にたしなめられる。

頼朝の死後、全成を次の鎌倉殿にしようという動きが持ち上がった際には、彼女もまた御台所として夫を支えようと意気込んだものの、政子からは「あなたでは御台所は務まらない」と突き放され、それがきっかけで姉との仲が急速に冷え込んでいくことになる。その後、政子に一つは勝てるものが欲しいということで琵琶の稽古を始める。

頼家が二代鎌倉殿となった後も折に触れて全成に対して「やはりあなたが正当な後継者」などと口走っており、彼からたしなめられている。

第30話では夫の全成が頼家の呪詛の件で捕縛され、「全成を唆した」ということで自らの身も危うくなる。頼家の命を受けた比企時員に逮捕されそうになるも、政子のもとへ身を寄せ、政子とたわいのない会話をして和解する。義時らと全成の命を助けるべく奔走するも、結局全成が斬首されたことを義時から聞かされ、号泣する。その後、京にて出家していた三男・頼全を比企能員の命を受けた源仲章の手勢に謀殺され「比企を滅ぼしてください」と義時に嘆願。残りの子供たちを安全のため畠山重忠の屋敷に匿おうとした際にも感情が不安定だったためか「結構です」と一度は拒絶したが、重忠の説得を受け子供たちを預けた。

比企氏滅亡後も夫と三男を死に追いやった比企一族出身の比奈を憎み比奈の排除を暗に義時・政子に求め義時と比奈の離縁に繋がる。またこの際に、「全成を救わなかった」として、出家を拒絶した。以後家族とは頼朝の死亡からでき始めていた溝がどんどん深くなり、政子が提案した実朝の和歌教育では当初指南役だった三善を退けさせるなど妨害をし始める。その後、実子であり実朝の乳母子である時元を側仕えとして出仕させるが...。

また、三善を追い出した際に息子の仇である仲章に微笑んでいた(仲章は後にのえにも近づいており、北条家内部を探り対立の種をまこうとしていたと思われる)。

しかし、政治的対立さえ絡まなければ悪感情はないのか、35話では実朝失踪の時に広元・義時・政子との会話で一切の抵抗を見せず話していた他、37話での時政による政子・義時・時房との酒宴にも参加しており、大姫の呪文を巡って政子たちと昔のように激しくも仲の良さを感じる言い争いをしており、彼らと普通に会話していた。

実朝の死後、それまで散々義時から「時元が鎌倉殿になる目はない」と言われていたのにもかかわらず、再度彼を鎌倉殿にするために暗躍。しかしその動きは義村を通じて義時に筒抜けであり、決起の直後義時の軍勢に包囲された時元は自害、実衣も時元に送った書状が証拠となってしまい斬首の沙汰が下されてしまう。その後、政子が面会に訪れた際には不安定な感情の中「殺すなら早く殺して。時元に母のしたことを謝りたいの」と自暴自棄になっていたが、政子の去り際に法衣にしがみついて「死にたくない...」と政子に本心を漏らしたことで、「尼将軍」となった政子の奔走で放免となる。その後は出家のうえ「尼副将軍」として政子を支えている。また我が子を後継にと暗躍するのえに対し、「この鎌倉で大望を抱くと命に関わる」と忠告する。経験者は語るとはこのことである

源氏物語』にあこがれる大姫を元気づけるため夫・全成に紫式部の霊を呼び寄せる猿芝居をさせたが、別番組で演者自身が紫式部となり慎吾ママとトークしている。

ちなみに、脚本を担当した三谷がNHKの番組で語ったところによると「『ムーミン』に登場するミイが名前の由来」。子供っぽいところや皮肉屋なところが通じるものがある。


牧宗親編集

(演:山崎一)

りくの兄。京言葉で話す。政子に公家の作法を厳しく指導する。その裏で妹と揃って嫌がらせや悪い話を面白がる黒い面もあり、亀の前事件では妹の策に乗って亀の前の別荘に後妻打ち(嫌がらせ)を行いに行くも見張りをしていた義経が事をさらに大きくしたせいで別荘が倒壊。このことで頼朝の逆鱗に触れてしまい、髻(もとどり)を切られる羽目になった(当時は烏帽子が今で言うパンツの役割をしていたため、結った髻を見られることは恥ずべきことであり、ましてや切られるというのは非常に屈辱的なことであった。現代で例えると、人前でズボンを降ろされ、股間のブツを丸出しにされるくらい恥ずかしいことである)。史実では1195年までは生存していたという記録が見られる。


鶴丸(平盛綱)編集

(演:佐藤遙灯→きづき)

八田知家の紹介で八重に預けられた孤児。両親は飢饉で亡くなり、様々な場所をたらい回しにされた挙句、八重のいる義時の館に引き取られた。金剛(後の北条泰時)とは同じくらいの年齢であり、初姫も交えて3人で遊ぶ姿も見られる。実の両親がすでにいないことから荒んだ態度をとっており、それゆえ孤児たちの間でも孤立しがちであり、そのことが巡り巡ってとんでもない事態を引き起こすこととなる。

八重の死で心を閉ざしてしまったが、安達盛長の息子の弥九郎(安達景盛)から「孤児」とからかわれた自分のことを、金剛が庇って鶴丸の代わりに弥九郎を殴り、そのことで父親の義時から叱られても決して言い訳しようとせず、反省の態度を取り続けたことで金剛に次第に心を開いてゆき、彼の従者となる。

泰時の従者の身分ではあるが、彼からは大いに信頼されており、伊豆の農民の借金騒ぎの際も「どうする?!」とこっそり相談されるなどしている。またお互いタメ口であったり、鶴丸も泰時を「太郎」と通称で呼んでいることから、主従関係というよりは幼い頃の友人関係を続けているといった方が近い。鶴丸の方も泰時のことを大切に思っているが、一幡の一件で激昂した泰時が「父上はおかしい!」と言ってしまった際にはたまらず「太郎!」と大声でたしなめた。

義時から頼家殺害計画を聞いた泰時と共に修禅寺に向かい、善児に入れ替われた猿楽師の遺体を発見したことで異変を察知。時を同じくして善児・トウと戦闘状態になった泰時の下に「太郎ー!」と叫びながら駆けつけるがトウに打ち倒されてしまった。泰時と共に目を覚めた頃には最早全てが終わっており、頼家の亡骸を前に泰時ともども泣くことしかできなかった。

頼朝の形見である観音像を義時から泰時に与えられたおり、源氏の行く末も委ねられたこと察した泰時が形見をもらうことを断ろうとしたときには、親子の相克と内情に気づいたのか笑顔で「もらっておけ」と泰時に勧めている。

第39話では「いつまでも鶴丸では具合が悪い」として、義時から「平盛綱」の名を与えられ、さらに義時の(極めて強引な)計らいで御家人に引き上げてもらってもいる。この命名の際、義時は「太郎(=泰時)の命綱となってほしい」「源氏政権の中に平という名前があったら安泰になった証拠」と、その由来を語ってもいる。

最終回では承久の乱に北条軍の1人として参加。朝廷軍によって橋を壊されてしまった川を渡る際、いかだを押す役を引き受けていた(直接の描写はないが、今まで描かれた盛綱の人物像から、自ら引き受けたものと思われる)。その際に裸でいかだを押していたため、朝廷軍の格好の的となってしまい、肩に矢が刺さったまま「たかが兵の命ひとりにガタガタするな」と泰時に檄を飛ばすが、力尽きた盛綱は川に背中から落ちてしまう。

あれだけの死亡フラグを立てておきながら、その後泰時の近くに何事もなかったかのように登場、朝時から「お前よく生きてたな」と言われ、「私はいつも守られているのです(超要約)」と返した。このセリフに1話から鎌倉殿を見ていた視聴者の中にはかつて鶴丸(盛綱の幼少期)を命がけで助けた八重を思い出した人も多いだろう。

登場当初より何かと泰時と絡むことが多かっただけに、視聴者の中にも「鶴丸=平盛綱」ではないかと推察する向きもごく早い段階からあった。演者のきづきが当初のインタビューでオリキャラであると述べたことで一旦は立ち消えになっていたものの、結果的には上記の展開によってそれが裏付けられる格好となった。史実では泰時死後も孫の経時・時頼兄弟にも北条氏の家司として仕え続けた。その役割は北条時宗貞時親子に仕えた孫の平頼綱から、北条高時に仕えた長崎円喜高資親子まで受け継がれることとなる。ちなみに『時宗』では宗近晴見が老年期の盛綱を演じたが『鎌倉殿』と『時宗』の双方で元服後の姿で登場した人物は盛綱と政村のみである。


のえ(伊賀の方)編集

(演:菊地凛子)

義時の第三の妻。政村の生母。後に”伊賀の方”として歴史に名を遺す女性。母方の祖父に二階堂行政、兄に伊賀光季。京出身と思われていたが遠江出身。

34話では祖父の計らいで比奈と離縁しシングルファザーになっていた義時と対面する。

その際は比奈の子である朝時や重時と楽しく遊んだり、義時の肩に付いた紅葉を取ってあげたり、何より義時があげた大量のキノコを笑顔で受け取るという義時にとっては非常にポイントが高い対応をして義時の心を掴む。だが、実はのえ自身はキノコは嫌いであり、人目につきにくい場所で元同僚にあげている(ちょうど泰時はこの場面を目撃してしまう)。35話の予告では「父上はなぜあのような女子と...」と泰時から評されるなど、早くも不穏な空気を醸しているが、果たして...?

ちなみに義時の頼みで彼女の人となりの「見立て」をした知家曰く「面裏のない女子」とのことだったが...果たしてのえの演技力が高すぎたのか、知家の目が節穴だったのか...それとも...?

35話で、義時に「子がほしいか?」と尋ねられ、彼女は謙虚に「ほしくないといえば、うそになりますが」と返したが、裏では祖父に「必ず男児を産んで、その子をいずれは北条の家督にしてみせます。そうでなければ、あんな辛気臭い男に嫁ぎません!」と発言した。

38話で政村が生まれ、39話では出仕した義時を見送った後、実泰らしき幼児の世話を侍女に任せるところが描写されている。

非常に強かで俗っぽくズボラ。当初の時点では「義時に何らかの官職に就いてもらって、将来的には都で悠々自適に暮らす」を目標にする程度のフワフワとした野心家だったが、話が進むにつれりく・道・実衣のような権勢欲を見せるようになる。他の女性陣との関係について政子・千世・実衣とは噛み合わない、義理の娘に当たる初とは結構フランクな関係で本心を明かしあい義時・泰時・朝時について「(義時も泰時も)なんか辛気臭いのよね」「欲がないというか」「下品な人は大嫌い」とぶったぎった。自身については強欲の自覚はあり「私なんか欲が着物着て歩いてるくらいなのに」などとぶっちゃけた。

なお、朝時については幼少期に実母比奈と別れのえの元で育ったことを鑑みれば、あまり他人のことは言えない立場でもあり、初からは「あの方の母上は上品な方でした」と、暗に皮肉られ視聴者からは「お前が言うな」とツッコミまれた(とはいえ、時房の死後、泰時が最も頼りにした弟の重時ものえが育てられているはずだが・・)。

和田合戦の際には、義時から実家の二階堂家に一旦戻るように進められた際に「離れ離れになるのは嫌です」としおらしい態度を見せるが、義時の「一緒に来るとなると大変だぞ」という言葉を聞くや一変、「二階堂に戻ります!」と言い放つ現金さを見せた。

42話では祖父とともに義時に執権就任を強く勧める。

43話では偶然すれ違った源仲章に好意を抱き、互いに京出身ということで意気投合...したわけでなく、義時を追い落としたい仲章にいいように利用され、比企の乱など義時(及び時政)がこれまで関わってきた事件のことを危うく話してしまうなど義時を窮地に立たせてしまう行動を起こしてしまう。本人は全くそちらのリスクを考えておらず、義時から指摘された際も「嫉妬されています?」とか勘違いするあたり執権の妻に必要とされる思慮深さがまるでなく、仲章が義時と誤認され公暁に暗殺された直後には、「(あのまま仲章にいいように使われ続けていたら)ことによっては私はお前を斬っていたかもしれない」「八重も比奈も、もう少しできた女子であったが...」と義時から酷評された。なお、視聴者からも「(言い方はさておき)これは言われても仕方ねえな」扱いであったが・・・

46回では義時の後継について実子・政村を据えることを義時に願い出るが、「嫡男は太郎(泰時)だ」「太郎がダメでも次郎(朝時)がいるだろう」と素気無く断られる。しかも直後に「泰時殿も朝時殿も母親は北条にとっての敵の家の出という訳ありではないですか」(意訳)と八重を心から愛し、比奈のことも大事に思っていた義時にとって特大の地雷を踏み抜き、箸を膳に叩きつけられ、食事の途中にかかわらず出ていかれるなど散々な醜態を晒す。これに懲りずに政子と実衣に政村を後継にできないか掛け合うも逆に実衣から「この鎌倉で大望を抱くと命が危うい」と警告される。

りくからのアドバイスを活かしきれておらずりくの下位互換とも言えるような立ち位置になっており、兄・光季の死などもあって義時との関係はさらに険悪化した。

最終話では承久の乱の後、泰時や時房と酒を飲んでいる最中に意識を失った義時を甲斐甲斐しく看病する様子を見せ、「薬草を煎じた薬湯です」と称した液体を毎日飲ませていたが、義時からは「それを飲むたびに具合が悪くなっていっている気がする」と評されていた。その後、運慶の作成した仏像に腹を立てた義時がそれを斬りつけようとしたと再び昏倒し、医者の診断により自分が毒を盛られていることを知らされ、これまでの状況証拠から真っ先にのえが毒を盛ったのではないかとなじられる。そして、のえが義時に毒を盛った目的が、自分とのえの間にできた子の政村を執権に据えるためであったことが見破られるとあっさり開き直り、「太郎や次郎のような、かつての敵の血筋の子が執権に就任するのが許せない」「私のことを少しも見てくれなかったからこんなことになったのよ!」と義時をなじる。義時に「執権が妻に毒を盛られたとあっては世間の恥だから離縁はしないが、二度と私の前に現れるな」と事実上の離縁宣言をなされ追放される。そして散々悪態を付いた挙げ句「大好きなお姉さまに看取られて死ぬのね」などの捨て台詞を残して義時の元を去った。

基本的には「愚かな女」の代表の様な形で描かれていたが、義時と泰時の親子に対しては表面上と親子仲の悪さとは裏腹に、衝突を重ねる事で逆に信頼を深め合っている事を常々見抜き、義時との訣別には、義村の裏切りや政子との関係の揶揄など、義時が一番傷つく言葉を選んでおり、妻として義時の事をよく見ていた面が強調されている。また、義時・泰時・朝時との折り合いが悪く、自分の息子である政村を北条の後継者にしようとする行動が目立つ反面、泰時や朝時に対しては少なくとも作中では害意を見せる事はなかった。泰時は警戒すれども表立って対立する様な事はなかったが朝時からは終盤は邪険に扱われた。

先述した仲章との一件に対しても重要な情報は漏らさないなど、執権の妻として最低限の一線は守っており、仮にも一端の武家の女であった。

なお、義時ののえに対する仕打ちが酷かったのは義時役の小栗とのえ役の菊地が申し合わせたためもあるが、実際の映像を見た八重役の新垣にファンミーティングでダメ出しされ小栗自身も酷いと思ったと語っている。

ちなみに実子の政村は長時の死後、老年になって七代目の執権となり彼女の野心そのものは叶う事になる。

その一方で、史実では伊賀朝光の娘で兄は光季の他に光宗がおり、義時の死後、泰時を廃嫡し自身の子である政村を義時の後継者にしようと暗躍するお家騒動を起こしたとされ歴史的には政子・牧の方・阿波局共々悪女扱いされている。

ちなみに名前の由来は後妻のことを指す「のちぞえ」を縮めて「のえ」...というわけではなく三谷が手がけた一つ前の大河で色々と話題になった神君伊賀越え。「伊賀の方」→「伊賀といえば『伊賀越え』」→「そこから伊賀を抜いた『ごえ』→「流石に『ごえ』だと通りが悪いので『のえ』に」。どこまで本当のことなのか不明だが、NHKの番組で三谷が語るところによると「そういうものなんですよ」とのこと。


北条家にゆかりのある人々編集

阿野全成編集

(演:新納慎也

悪禅師全成 覚悟 〜鎌倉殿の13人〜

通称・醍醐禅師。醍醐寺に預けられていた頼朝の異母弟。義円・義経の同母兄。幼名今若。後に実衣の夫となる。頼朝挙兵を知り兄弟中で真っ先に駆け付けた。風を操る術を使うと自称しているが、初登場時にいきなり失敗しており、りくに「何なのよ!」とツッコマれた。

特技はであり、事あるごとに様々な相を占っているが、明らかに今後の不穏な展開が結果に出ているような気もする・・・。なお、本人曰く「私の易が当たるのは5割」であり、全部当たったり、逆に全く当たらなかったりするよりもよっぽど始末が悪いと悩んでいる様子。決定的なまでに政治的センスが無く、そもそも僧籍にあり、権勢欲も野心も微塵も無いため、平家滅亡後も頼朝から猜疑心を向けられるようなこともなかった。

実衣とは互いに好意を抱いての婚姻であり夫婦仲も良好。実衣曰く「何言ってるのかわからないところが好き」。

文覚と読経バトルを繰り広げたり、義高救出作戦の際には兄頼朝のコスプレをして義高の監視を解かせたり、大姫からの頼みで義高や紫式部のモノマネを披露したりとコメディリリーフ的な場面が多く視聴者の笑いを誘っていた。

頼朝の死期が迫る中、幕府の主導権を狙う時政とりくに御しやすさを見込まれて二代目鎌倉殿に推挙される。僧籍であることを理由を拒否しようとしたものの、無理やり還俗させられ、やがて「実衣と自分自身を守るために権力を手にする」決意を固める。が、義時と政子がまずは政権の安定化を優先し、頼朝の正統嫡男である頼家が二代目になるよう動いたことで、結局この話はお流れとなった。

頼家が二代目鎌倉殿となった後、北条に利しない頼家を動けないようにするために時政とりくに呪詛(りく曰く「ちょっと寝込むくらいのやつで」)を依頼され、効き目がないと知りつつ断りきれずに承諾させられてしまう。

そして、その事実が発覚したことによって死罪に処せられかけるが、政子と義時の嘆願により、常陸国の八田知家の所領への流刑に軽減される。しかし、今度は自身の意のままに動かない頼家の排除を目論む比企能員により、実衣の身の安全をダシに使われて再度頼家を呪詛にかけることを強制されてしまう。だがその結果、動向を怪しんでいた知家の配下に踏み込まれて呪詛が露見。全成から自分の関与が頼家へ漏れる前に彼の口を封じるため、能員は頼家に全成の処刑を急がせ、最終的にその指示を受けた知家によって処刑された。

処刑の際、ひたすら呪文を唱え続ける全成に応えるように、激しい風と雷雨が巻き起こるという人智を超えた現象が発生し、神仏を信じない知家をも驚愕させた。恐れ慄く武士達に代わり、最期は知家自身の手で「悪禅師全成」は斬り伏せられた(当時の「悪」は「凄まじい・荒々しく猛々しい」という感嘆の意を示す)。処刑直後、雨雲は晴れ、嘘のように抜けるような青空が広がったという。それからしばらくして頼家は前後不覚の病に倒れた。


阿野頼全編集

(演:小林櫂人

全成と実衣の子。通称は播磨公。史実では三男にあたる。父親が頼家の呪詛を行った際、頼全も父親に加担したとみなされ、源仲章の沙汰で斬首された。

ちなみに史実では阿波局(本作における実衣)が全成との間にもうけた男児は時元のみとされているが、本作では頼全も彼女の子供と扱われている描写が多い。(仮に自分の産んだ子供でなくても家族が謀殺されたら大抵の人は怒り狂うだろうが...)


阿野時元編集

(演:松平将馬→森優作

全成と実衣の子。史実では四男で全成の嫡男とされる。京の都で兄・頼全が討たれたことを知った祖父・時政、伯母・政子にかくまわれる。劇中には名前こそ設定されていないが、兄弟が複数人登場し、いずれも全成と実衣の間にできた子供と扱われており、時元とともに政子に匿われていた。成人後は従兄弟の実朝付きになるが父が頼朝の弟で自分も源氏一族であるというプライドが高く実朝に対する対抗意識を一時は持っていた。

が、伯父・義時から頼朝の血を引く実朝や公暁との格のちがいや彼らの末路を思い知らされたことにより、鎌倉殿就任の野心をあきらめる。しかし、母・実衣に焚きつけられ、三浦義村と伯父・義時の罠にはまったことにより謀反の罪で討ち取られる。


二階堂行政編集

(演:野仲イサオ)

広元・親能兄弟と共に鎌倉に下向してきた下級貴族。頼朝の生母・由良御前の従兄弟。義時の3番目の妻・のえの母方の祖父。普段は寡黙だが酒が入ると変わる。のちの十三人の評定衆の一人。

八重を亡くしたばかりで無理して政務に励む義時に「あんたがいると(仕事が)やりづらいんだよ」と文句を言っていた。

力不足を露呈する頼家のもとで裁判を担当する五人の中の一人に内定、比企能員と北条時政のパワーゲームの結果十三人に増員されたのちも評定衆に加わる。

評定衆が際限なく増えつづけるなか、多数派工作を進める比企能員に宴に招かれるが、能員の真意に気づくことはなかった。梶原景時の失脚に始まり、三浦義澄や安達盛長が相次いで亡くなったことで13人の合議制が崩れ、その上、政治運営に消極的な和田義盛や恣意的に政治を運営しようとする北条時政に次第にイライラをつのらせ、「自分がいなくても何も変わらないんじゃないかと思うことがあるんです」とこぼした足立遠元に「いないほうがおかしいんだ!」と苛立ちをぶつける。第38回でも時政の処分について、温情ある措置を求める康信を手ぬるいと一喝しつつも、直後に流罪に処すべしとも述べており、死罪もやむなしと考えていた義時に情けをかける格好となった。

このように、文官勢の中でも特に無口・強面・硬骨漢な印象だったが、34話では孫娘ののえを義時の後妻に紹介する際には「気立てのいい娘でなあ」「いっぺん会ったら気にいると思うんだが」「まさか嫌だとは言わないよな」とジジバカ全開だった。なお、のえが輿入れした後は彼女の野望に対してタジタジになっていた。42話ではすでに隠居の身ながらのえと共に義時に対し「(執権に)なってしまおうよ!」「何のためにあんたのところに(うちの孫娘を)嫁がせたと思ってるんだい?頼むよ!」と執権就任の後押しをした。その後も第46話でのえが義時の愚痴を言いに来た際に、「これから後数百年は北条の天下だ。なんでもっとぐいぐい行かないんだ(要約)」と言っている。ただし、第48話でのえが承久の乱で泰時と朝時の戦死を望む発言をした際にはさすがに呆れ返るが、これが最後の出番となった。義時が倒れた頃はすでに鬼籍に入っていたものと思われるが、隠居しても最後まで出家せず俗体のままだった。

史実では斎藤道三織田信長の居城として有名な稲葉山城(岐阜城)の元となる砦を築いている。子孫に須賀川二階堂氏の二階堂盛義蘆名盛隆父子らがいる。演者の野仲は『平清盛』で多田源氏当主の多田行綱(行綱の祖父・源行国と頼政が又従兄弟)を演じた。


伊賀光季編集

(演:日笠圭)

のえの兄。京都守護職に就いていたが、承久の乱序盤、朝廷軍に襲われ殺害される。

「鎌倉殿」では守護職就任の件やその後朝廷方に殺されたことのみ言及され、本人の登場も碌な武装もしていないまま藤原秀康に斬り殺される後ろ姿のみという扱いだった。のえには京から紫色の反物を送るが皮肉にも形見になってしまう。史実では北条氏と伊賀氏が婚姻関係になる以前から義時と親しく朝廷から味方になるよう説得を受けた際にも「自分の職務は都の治安維持」と断り、再度味方になるよう迫られても「用があるなら自分から足を運ぶのが筋」と突っぱね毅然とした態度を示し秀康・三浦胤義・大内惟信(平賀朝雅の甥)らと戦い嫡子・光綱共々戦死した「忠義の武将」であり『承久記』前半の主役である。


畠山重忠編集

(演:中川大志

畠山重忠

坂東八平氏の一つ秩父平氏畠山氏の若き当主。

通称は次郎。母方の従兄弟の和田義盛とは対を成す存在で冷静かつ周囲の空気もしっかり読め、京の貴族達に騒がれたり、義村にも「見栄えが良すぎる」と言われたりする涼やかな美男子

曲者が揃う坂東武者の中では珍しい聡明な人物で、北条と親戚関係になったこともあり、義時の相談相手や策を授けられて実行役となるなど側近の1人として信頼されている。

互いの祖父である三浦義明を討ったこともあってか義盛とは反りが合わないが、同じ従兄弟である三浦義村とも気質の違いから反りが合わない。智勇兼備な武人だが歌舞音曲に対して拘りがある。また、餅を丸めるのもうまい。なにこの完璧イケメン。

一方で、現実主義的な視点の持ち主でもあり、時政から十三人の評定衆への就任要請を受けた際も「比企に釘を刺された」ということを口実に辞退している。

比企の乱では義盛と共に館を攻めるなど北条氏に従って行動することも多かったが、時政から検校職※返上を求められ、徐々に不信感を募らせていき、義時にも相談している。

そして政範急死の原因を嫡男・重保による毒殺とする朝雅、北条の動きについに不信感を爆発させ鎌倉を引き払い武蔵の本拠に帰ってしまう。それでも義時とはなんとか戦を避けるべく協力し、酒を酌み交わすなどしていたが、双方ともに薄々ながら戦は避けられないことを感じており、義時へ「鎌倉を守るため、貴方が戦うべき相手は...」と暗に義時が本当に倒すべき相手を指摘した。(義時も自覚していたのか「その話は」と途中で遮った。)なおこのとき、時政への静かな怒りを募らせ、床を拳で叩いたところ、叩いた部分が大きくへこんでしまうほどであった。

36話では義時の助言に従い実朝と話すため鎌倉へ向かうも、道中息子・重保の死を知り二俣川近辺へ布陣。義盛の説得にも応じず、所領に戻ることもなく戦いを始める(義盛と話した際、「誰が戦などしたいと思うか」と、本意ではないこともにじませている)。義盛の不意打ちを予期していなしつつ、自身は泰時に攻撃に向かう・・・・・・とみせかけ、追ってきた義時と一騎打ちを行う。結果完勝するも、何を思ったか、命を取らずにその場を去った。劇中ではここが最後の出番となり、直後に愛甲季隆に討ち取られたことが言及されている。

演者の中川は『平清盛』では少年時代の源頼朝を演じている。史実の重忠は義村より4歳年上なのだが、中川は義村役の山本耕史より22歳も年下。


※ 検校職:正式名は武蔵国留守所惣検校職。重忠の曾祖父・秩父重綱から秩父一族の惣領に代々受け継がれた役職。史実では河越重頼が義経に連座し頼朝に誅殺された後、重忠が検校職を継いでいる。余談も余談だが重忠の父・重能は叔父の秩父重隆(重頼の祖父、源義仲の父・義賢の舅)と検校職を巡るいざこざがありこれも先述の大蔵合戦で源義平に加担した一因になった。


ちえ編集

(演:福田愛依

義時の異母妹。あきの同母姉。畠山重忠の妻。重忠死後、再婚し足利義純との子である畠山泰国は源姓畠山氏初代となる。子孫は室町幕府で管領に就くことができる家柄(三管領)となり、『花の乱』に登場し応仁の乱を引き起こした義就・政長や『独眼竜政宗』に登場し伊達輝宗の死の原因となった二本松義継などがいる。37話で、重忠死後、彼の旧領の一部を政子と義時から渡されるも、本人は重忠の件を心底恨んでいるようで、彼らに厳しい言葉を掛けて去って行った。(その後、相手が誰かにまでは触れられなかったものの、前述の通り再婚したことがナレーションにより語られた。縁者の福田氏も、Twitterで37話が最後の出演であることを示唆したようなツイートをしている)


畠山重保編集

(演:杉田雷麟

重忠の嫡男。通称は六郎。

実朝の婚約者である千世を迎えに政範の一行と共に京に上るが、到着した際の酒宴の席で饗応役の朝雅が毒について密談しているのを聞いてしまう。すぐに朝雅にこれを詰問するが、これが裏目に出てしまい逆に自分が政範毒殺の首謀者として疑われるよう仕向けられてしまう。

鎌倉に戻った後も義時に対し自らの潔白を主張するも朝雅が京に急いで戻ってしまったことで審議にかけることができず、「畠山に謀反の兆しあり」とみなされる一因となってしまう。

36話で、時政にそそのかされた稲毛重成に呼び出され、和田義盛・三浦義村に包囲されると、義盛の説得を無視して応戦し、そのまま討ち取られた。


稲毛重成編集

(演:村上誠基)

通称は三郎。畠山重忠の父方の従兄弟。重忠に比べると凡庸な感じが否めないが、亡くなったあきのことを忘れず、供養として橋を普請したり、供養祭では思わず涙を流すなど情に厚い人物。

36話では舅・北条時政に検校職を鼻先にちらつかされたことで時政に従って畠山重保をだまし、彼が討ち取られるきっかけを作る。しかし、畠山重忠討伐後に、時政を孤立させたい大江広元・北条義時により騒動の一連の責任をかぶせられ、呆然としているところを、最期は「いやだー!」と叫びながら三浦義村・胤義兄弟により処刑された。

史実ではこの時、嫡子・小沢重政や弟・榛谷重朝やその息子たちも討たれている。また父・小山田有重(小山田氏の祖。子孫に小山田信茂がいる)や重朝と共に一条忠頼暗殺事件に関与。なお、本来ならあきが死んだ時に出家している筈だが、ドラマでは終始俗体のままであった。

余談だがスーパー「いなげや」の屋号の由来にもなっている。なお、重成を演じた村上氏は2022年末で俳優を引退したためこれが最後の大河出演となった。


あき編集

(演:尾碕真花

義時の異母妹。ちえの同母妹。稲毛重成の妻。史実の稲毛女房。小さい頃から病弱。史実では大姫が病死する2年前に若くして亡くなっている。ドラマ内でも25話の時点で3年前に亡くなったことが語られ、その供養のため重成が相模川に橋を普請、落成供養に訪れた頼朝がその帰り道に落馬し死去したことが描かれている。他の姉妹と比べると、まだ幸せな最期だったのかもしれない。


平賀朝雅編集

(演:山中崇)

時政の娘婿の一人。妻はきく。比企尼の孫の一人。母は伊東祐清の元妻であり里・せつ・安達景盛はいとこに当たる。

京の都にあって朝廷との交渉役を任されており、千幡に「源実朝」の名を賜る。

34話にて仲章から「政範がいなくなればお前が執権別当となれる(要約)」と唆されており、その後京にやって来た政範が彼に「酒宴の準備が出来ている」と案内される。その直後に政範の訃報を知らせるシーンが出てくるが、姫君を連れて鎌倉に戻ってきた際に悲しみに暮れるりくに対して「政範は畠山重保に毒殺され、重保は自分(朝雅)に罪を被せようとしている」と吹き込み、畠山排斥に乗り出す。なお、今作においては重保に毒薬のことについて密談していたことを聞かれており、そのことを追求されたことから、逆に重保を毒殺の主犯にしようとしていることから重保のことをりくに吹き込んだとされている。だが、政範を不自然なほど早く東山に埋葬したことから義時に「毒殺されると死体の顔色が急激に悪くなる(=政範を毒によって殺したことがバレないように手早く処理した)」と指摘され、朝雅も「ぶ、無礼であろう!」としか言えなかったことから義時から毒殺の下手人であるとみなされるも、幕府首脳陣による本格的な審議が始まる前に帰京。義時も上皇と近い朝雅を手荒に扱うと都と鎌倉の間の火種となりかねないと強硬手段には出られず、このことが畠山氏挙兵の原因となってしまう。その後は自身を四代目鎌倉殿に推戴する企みを知るも乗り気ではなく鎌倉とは距離を置きたがっている。

38話では北条政範の毒殺や畠山重保の失脚並びに畠山家の滅亡、時政とりくによる実朝追い落とし計画の全ての元凶ということにされ、義時の命で館に兵を差し向けられ、「自分は鎌倉殿になろうと思ったことなど、一度もない!」と必死に弁明するが聞き入れられず、誅殺された。

史実では義光流信濃源氏・平賀義信の四男で頼朝の猶子。

比企攻めで頭角を表し、山内首藤経俊がしくじった第二次三日平氏の乱の鎮圧に功があった。また吾妻鏡によると山内首藤経基(経俊の六男)に討たれたとされる。


きく編集

(演:八木莉可子

義時の異母妹。政範の同母姉。平賀朝雅の妻。朝雅死後、藤原国通に嫁ぐ。


藤原国通編集

平賀朝雅の妻だったきくの再婚相手。きくと結婚後は伊豆から帰京した義母・りくの面倒を見ていた。承久の乱当時、りくからは宰相中将殿と呼ばれていた。承久の乱後、彼の屋敷でりく・きくと泰時・時房が再会した。史実では源実朝と源仲章が鶴岡八幡宮公暁に暗殺された時、実朝らに随行していた。また承久の乱後から義時逝去の時期まで二度も生死を彷徨うものの長生きし6代執権・北条長時の時代まで生きた。ちなみに『平清盛』に登場した藤原成親は外祖父・藤原隆季の異母弟に当たる。


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