伊賀越え
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いがごえ
三河一向一揆・三方ヶ原の戦いと並ぶ「徳川家康三大危機」の一つ。「神君伊賀越え」とも称される。
天正10年(1582年)6月2日。
本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれた頃、徳川家康は徳川四天王や、石川数正、渡辺守綱、服部半蔵らを伴い堺の町にいた。
やがて家康に信長の死去の報が伝わると、京にある松平家ゆかりの寺で「追腹」を切ると主張。
しかし本多忠勝ら家臣の説得を受けて、本領である三河への帰還を目指す事になる。
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いがごえ
天正10年(1582年)6月2日。
本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれた頃、徳川家康は徳川四天王や、石川数正、渡辺守綱、服部半蔵らを伴い堺の町にいた。
やがて家康に信長の死去の報が伝わると、京にある松平家ゆかりの寺で「追腹」を切ると主張。
しかし本多忠勝ら家臣の説得を受けて、本領である三河への帰還を目指す事になる。