夏目吉信
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なつめよしのぶ
戦国時代の三河国の武将(1518~1573)。
松平氏譜代家臣。
永正15年(1518年)、松平氏譜代家臣の夏目吉久の長男として生まれる。
「南紀徳川史」によると、天文2年(1533年)頃に手柄をたて、松平広忠からの偏諱で吉信から「広忠」に改名したとある。
徳川家康による三河平定戦で活躍。永禄5年(1562年)の三州八幡合戦では、家康方の軍が総崩れとなってしまうが、殿として敵の今川軍に対し奮戦した。後に家康から備前長光作の脇差を賜っている。
しかし永禄6年(1563年)の三河一向一揆では一揆側に加勢してしまい、松平伊忠により捕らえられてしまう。しかし伊忠は「忠義の士」であるとして家康に嘆願、無事帰参が認められる。
元亀3年(1573年)、三方ヶ原の戦いにて家康は武田信玄に大敗北を喫してしまう。吉信は当時浜松城の留守居をしていたが、戦況を知り救援に向かう。
このままでは家康が討ち取られてしまうと考え、拒否する家康を強引に逃がし、自分は家康であると名乗って武田勢に突撃。家康の身代わりとなって奮戦、討ち取られた。享年55。
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