ランドプリンス
らんどぷりんす
日本の競走馬。タイテエム、ロングエースと共に「花の47年組」で関西三強の一角を担った。
見た目の美しいタイテエムが「貴公子」、雄大な馬体のロングエースが「重戦車」と呼ばれたのに対し、血統でハンデのあるランドプリンスは「野武士」と呼ばれた。
主な勝ち鞍は皐月賞(1972年)。
1969年
父は日本に輸入されたばかりのテスコボーイ、母は現役時40戦6勝で条件馬止まりのニユウパワー。母系に血統不明の牝馬ミラがいるため、サラブレッドではなくサラブレッド系種だった。
1971年
栗東の高橋直厩舎に入厩。母と同じく木村善一が馬主となった。引退まで川端義雄騎手が騎乗。
9月4日、札幌競馬場の新馬戦(ダート1000m)でデビューし1着。
10月23日、京都競馬場のオープン戦(芝1200m)に出走しサカエカホーの6着に敗れる。その後、年内は勝てなかった。
1972年
1月5日、呉竹賞(200万下)に出走し1着。
1月16日、ジュニヤーカップ(400万下)に出走し1着。
2月6日、京都競馬場のオープン戦に出走し1着。
2月20日、さざんか賞に出走し1着。4連勝をかざり、牡馬クラシック路線の有力候補と見做されるようになった。
4月29日、東京競馬場のオープン戦(芝1600m)に出走しロングエースの2着に敗れる。
5月28日、皐月賞に出走し1着。重賞初勝利。
6月17日、東京競馬場のオープン戦(芝1600m)に出走しスガノホマレの2着に敗れる。
7月9日、東京優駿に出走しロングエースの2着に敗れる。秋まで休養に入る。
10月1日、神戸新聞杯に出走しタイテエムの2着に敗れる。
10月22日、京都新聞杯に出走しタイテエムの4着に敗れる。
1973年
4月15日、マイラーズカップに出走しタイテエムの5着に敗れる。
4月29日、天皇賞(春)に出走しタイテエムの13着に敗れる。レース後、故障が判明し引退となる。
1974年
門別町で種牡馬となったが、これといった産駒は出なかった。用途変更後の消息は不明。