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概要編集

Sea Hawk(1963年3月16日~1991年4月1日)


アイルランドで生まれ、フランス調教された競走馬

現役時代はわずか3勝だったが、ラストランでサンクルー大賞GⅠ)に勝利している。

アイルランドと日本で種牡馬として供用され、多くの活躍馬を輩出した。


プロフィール編集

性別:

毛色:芦毛

父:エルバジェ

母:シーニンフ

母父フリーマン

生産者:A・D・D・ロジャーズ大尉

馬主バルディネ伯爵夫人

調教師エティエンヌ・ポレ

生涯成績:7戦3勝

獲得賞金:703,279フラン


略歴編集

1963年3月16日、グレンジ・ウィリアム・スタッド(アイルランド)で生まれる。父のエルバジェはジョッケクルブ賞(フランス・ダービー)に勝ち、種牡馬としても大成功をおさめた。母のシーニンフはマルレ賞(GⅡ)を勝っていた。

フランスに輸出され、シーバードを手掛けたエティエンヌ・ポレ調教師の厩舎に入る。


1965年、ルトランブレー競馬場トレパ賞(芝1800m)でデビューし1着。サンクルー競馬場のクリテリウム・ド・サンクルー(芝2000m)でも勝ち有力馬と目されるが、同世代馬のレベルが高く、勝ちきれないレースが続いた。サンクルー大賞(芝2500m)で1着となり、現役引退。


1966年、アイルランドで種牡馬となる。

1973年、日本へ輸出される。

1974年、西田牧場日高町)で種牡馬として供用された。アイルランドのリーディング・サイアーとなる。


1985年、老年のためシンジケートが解散し、老後の面倒を見るため有志16人により「シーホーク愛好会」が結成された。小規模ながら種牡馬としての活動も続く。

1989年、産駒のウィナーズサークル東京優駿で勝利。

1990年、産駒のアイネスフウジンが東京優駿で勝利。既に種牡馬をリタイアしていたが連続してダービー馬を輩出したためシーホークに注目が集まり、1年限りの種付け権利「余勢株」をスタリオン・ノミネーションセールへの出品に踏み切った結果、505万円という価格で落札された。

1991年4月1日、老衰により死亡(28歳)。


主な産駒編集

海外編集

エリモ・ホークアスコットゴールドカップ(英・GⅠ)

アーバインローマ賞(伊・GⅠ)

パウリスタヴェルメイユ賞(仏・GⅠ)

ブルーニセントレジャーステークス(英・GⅠ)

マタホークパリ大賞(仏・GⅠ)

クレア・バレンティーヌイタリアオークス(伊・GⅠ)

シャーパーバーデン大賞(独・GⅠ)


日本編集

モンテプリンス天皇賞(春)宝塚記念

トラストホーク東京大賞典

モンテファスト:天皇賞(春)(GⅠ)

ウィナーズサークル東京優駿(GⅠ)

アイネスフウジン朝日杯3歳ステークス(GⅠ)、東京優駿

  • スタミナ型の種牡馬であったため、スピード化が進む日本競馬の流れに乗れず父系は伸びなかった。産駒の種牡馬成績は軒並み低調で、アイネスフウジンがファストフレンドを出した程度に終わっている。

関連タグ編集

66世代 競走馬 種牡馬

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