プロフィール
生年月日 | 1997年4月26日 |
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性別 | 牡 |
父 | サッカーボーイ |
母 | チェリーコウマン |
母の父 | スプレンティドモーメント |
通算成績 | JRA5戦3勝/地方2戦未勝利 |
母チェリーコウマン
スプレンティドモーメントの代表産駒…というより珍名馬ですっかり有名な存在。1992年のウィンターステークスを制し、翌日のスポーツ誌の競馬欄では「コウマン大穴」という活字が躍った。翌年のガーネットS(当時はOP特別)でミスタートウジンの2着に入って以降は低迷し引退。繁殖としても優秀で、14番目仔アンバルブライベンは2014年の京阪杯と翌年のシルクロードSを制したが後に疝痛が原因で死去。12番仔マイプラーナは繁殖入り後に2019年の毎日杯を制したランスオブプラーナを送り出している。2013年に繁殖生活より引退し功労馬繋養展示事業の助成を受けていたが2016年に永眠。
母の父スプレンティドモーメント
アイルランド産の競走馬で1985年にフランスで開催されたG3競走シェーヌ賞を制している。通算成績は11戦1勝。種牡馬として日本に輸入されているが1995年に引退。チェリーコウマン以外の活躍馬にはアフター5スター賞を制し、かきつばた記念2着の実績を残した東京シティ競馬所属のサントスがいる。
戦績
(馬齢表記は旧年齢表記)
4歳時(JRA5戦3勝/地方2戦未勝利)
JRA時代
デビュー戦は2000年2月27日に阪神競馬場で開催されたダート1800m戦で4着。3月12日に出走した折返しの同距離新馬戦において2着馬に2.0秒差をつける大差勝ちを飾っている。この頃から「4歳ダートにとんでもない馬がいる」と一部では話題になり始めていた。
クラシック出走ならず
毎日杯で生涯最初で最後の芝のレースを経験。勝ったシルヴァコクピットの0.3秒差の6着なら経験を積んでいけば芝もこなせただろうが以降はダートに専念することとなる。
自己条件復帰
4月15日に開催されたダート1800mの4歳500万条件戦に出走し、2着馬に今度は2.4秒差をつけての大差勝ちを決めて4歳馬限定の交流G3重賞兵庫チャンピオンシップに臨んだ。
兵庫チャンピオンシップ
もはや一部で話題になっていた馬ではなく、堂々たる主役として1番人気で出走もミツアキサイレンスの3着に敗れた。とはいえJRA所属馬では最先着なので意地は見せている。そして次走はあの昇竜ステークスだった。
2000年昇竜ステークス
兵庫チャンピオンシップでの3着が嫌われたのか2番人気だった。1番人気は後にダービーグランプリや川崎記念、JBCクラシックを制したレギュラーメンバーだった。その他にも2002年の北九州記念を制したトッププロテクター、2003年のすばるステークスを制しているエイシンダンズビル、前年の兵庫ジュニアグランプリを制しJRAに移籍したダイコーフクキタル、地方競馬からは2002年の阪急杯でアドマイヤコジーンの3着に入ったブラウンシャトレーといった前走以上に骨っぽい面子が揃っていた。
レース展開
前々でレースを進めつつも4角で早々に先頭に踊り立ち、2着のゼンノドライバーに1.0秒差、且つ6馬身差をつける非の打ちどころが全くないほどの完勝だった。この後の4歳ダート戦線のタイトルは全てマイマスターピースが制するするのではないかという空気すら漂っていた。しかし…
運命の暗転
レース後に故障発生。診断結果は競走能力喪失というあまりにも残酷なものだった。無限の未来が待ち構えていたはずだったがそれらはすべて暗転してしまい、後にホッカイドウ競馬に移籍することになった。
ホッカイドウ競馬移籍後
約1年半の休養を経て、2001年11月1日に門別競馬場で開催された日高門別川特別で復帰を果たした。それまでの勝ちっぷりを覚えているファンも多く1番人気に支持されたが、勝ったマルカダンガンに3.3秒差の9着に敗れた。これ以降も再起を期し去勢も施されたが出走することなく、2003年4月1日付で地方競馬での登録も抹消。現役生活にピリオドが打たれた。
引退後
乗馬に転身。馬術競技の大会にも出場している。