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概要編集

日本の競走馬種牡馬

ダート路線で活躍し、中央競馬の最高齢出走記録となる15歳まで現役を続けた。

半兄にミスターシクレノンがいる。


プロフィール編集

性別
毛色黒鹿毛
ジュニアス
ナオユキ母父ジルドレ
生産者白井牧場門別町
馬主藤立啓一
調教師田中康三栗東)→福島信晴(栗東)
生涯成績99戦11勝
  • 中央競馬94戦11勝
  • 地方競馬5戦0勝

略歴編集

1986年

4月25日、北海道門別町の白井牧場で生まれた。父・ジュニアスは大種牡馬ラジャババの仔で、ミドルパークステークスニューマーケット競馬場)を勝利した。母・ナオユキは31戦4勝の条件馬であった。幼駒時代から大柄で「輓馬のようだ」と言われていた。


1988年

栗東の田中康三厩舎に入厩。

10月9日、京都競馬場新馬戦(芝1600m)に出走しレディロクサーナの7着に敗れた。

10月16日、京都競馬場の新馬戦(ダート1200m)に出走し初勝利を挙げる。

10月29日、もみじステークスオープン)に出走しナイスナイスナイスの2着に敗れた。この後、4連敗。


1989年

2月、田中師の引退で厩舎が解散し、福島信晴厩舎へ移籍。

4月1日、阪神競馬場の条件戦(400万下)に出走し2勝目を挙げる。

4月16日、皐月賞GⅠ)に出走しドクタースパートの13着に敗れた。

5月7日、NHK杯GⅡ)に出走しトーワトリプルの11着に敗れた。

6月4日、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GⅡ)に出走しアクアビットの5着に敗れた。年末まで9連敗。


1990年

1月13日、稲荷特別(900万下)に出走し1着。

2月11日、ストークステークス(1500万下)に出走し1着。

4月22日、京王杯スプリングカップ(GⅡ)に出走しシンウインドの13着に敗れた。

11月24日、花園ステークス(1500万下)に出走し1着。

12月16日、ウインターステークスGⅢ)に出走しナリタハヤブサの3着に敗れた。


1991年

1月6日、門松ステークス(1500万下)に出走し1着。

1月15日、平安ステークス(オープン)に出走しパッシングルートの2着に敗れた。

2月16日、フェブラリーハンデキャップ(GⅢ)に出走しナリタハヤブサの5着に敗れた。

4月3日、帝王賞に出走しチヤンピオンスターの8着に敗れた。

5月11日、武蔵野ステークス(オープン)に出走し1着。

10月27日、天皇賞(秋)(GⅠ)に出走しプレクラスニーの14着に敗れた。

12月16日、ウインターステークスに出走しナリタハヤブサの5着に敗れた。


1992年

1月11日、ガーネットステークス(オープン)に出走しブリザードの3着に敗れた。

2月2日、銀嶺ステークス(オープン)に出走し1着。

11月14日、アンドロメダステークス(オープン)に出走し1着。

11月28日、キャピタルステークス(オープン)に出走しサクラバクシンオーの2着に敗れた。

12月20日、ウインターステークスに出走しチェリーコウマンの3着に敗れた。


1993年

1月6日、ガーネットステークスに出走し1着。

1月15日、平安ステークスに出走し1着。現役最後の勝利となった。


1994年

1月30日、銀嶺ステークスに出走しビッグファイトの2着に敗れた。

3月20日、中京記念(GⅢ)に出走しシマノヤマヒメの8着に敗れた。

4月12日、帝王賞に出走しスタビライザーの2着に敗れた。引退も考えられていたが、現役続行となる。

4月23日、京王杯スプリングカップに出走しスキーパラダイスの15着に敗れた。

11月5日、根岸ステークス(GⅢ)に出走しフジノマッケンオーの7着に敗れた。

11月20日、福島記念(GⅢ)に出走しシルクグレイッシュの10着に敗れた。

12月17日、ウインターステークスに出走しライブリマウントの8着に敗れた。


1995年

1月16日、平安ステークスに出走しライブリマウントの10着に敗れた。

2月18日、フェブラリーステークス(GⅡ)に出走しライブリマウントの6着に敗れた。

3月11日、マーチステークス(GⅢ)に出走しトーヨーリファールの10着に敗れた。

7月23日、北九州記念(GⅢ)に出走しイナズマタカオーの15着に敗れた。

8月13日、小倉記念(GⅢ)に出走しスプリングバンブーの13着に敗れた。


1996年

3月9日、マーチステークスに出走しアミサイクロンの12着に敗れた。

6月29日、アンタレスステークス(GⅢ)に出走しテセウスフリーゼの14着に敗れた。

7月14日、KBC杯(オープン)に出走しメイショウアムールの10着に敗れた。脚部不安のため長期休養となる。


1998年

2月22日、銀嶺ステークスで1年半ぶりに復帰。セタノキングの8着に敗れた。

3月14日、マーチステークスに出走しワイルドブラスターの14着に敗れた。京都競馬場の誘導馬への転身の話も出たが取り止めになった。

3月24日、黒船賞(GⅢ)に出走しリバーセキトバの4着に敗れた。


1999年

1月10日、ガーネットステークスに出走しワシントンカラーの12着に敗れた。

1月31日、フェブラリーステークス(GⅠ)に出走しメイセイオペラの15着に敗れた。

3月22日、黒船賞に出走しテセウスフリーゼの8着に敗れた。


2000年

1月9日、ガーネットステークスに出走しビーマイナカヤマの12着に敗れた。

1月29日、99戦目。銀嶺ステークスに中央競馬の同一競走最多出走記録である8度目の出走。トキオパーフェクトの14着に敗れた。陣営は「100戦目はフェブラリーステークスで」と考えていたが除外され、黒船賞も出走できなかった。右前浅屈腱不全断裂により100戦目を迎えることなく引退となった。


2001年

馬主が強く望んだことから種牡馬となるが、6頭の産駒から成功馬が出ることはなかった。


2002年

10月1日、種牡馬を引退。白井牧場に繋養された。


2007年

日高ケンタッキーファームに移動。


2009年

日高ケンタッキーファームが閉鎖され、日高町乗馬クラブエモシオンとともに繋養されたが、4月に白井牧場へ移動し当て馬となる。


2013年

12月17日、老衰により死亡(27歳)。


余談編集


関連タグ編集

競走馬 89世代

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