ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要編集

主な勝ち鞍は1992年の日刊スポーツ賞金杯(金杯)・アメリカジョッキークラブカップで、引退後は東京競馬場誘導馬を務めた。

尾花栗毛」(たてがみと尻尾が金色)の馬体の持ち主であり、その特徴から競走馬時代・誘導馬時代の双方を通して多くのファンを増やした。


詳細編集

グリーングラス・母カメリアトウショウ

母方の曾祖母がソシアルバターフライで、トウショウボーイの近親にあたる。

馬名は冠名+「金色のファルコ」の組み合わせ。たてがみの色合いがファルコの金髪を彷彿させるという理由からこの名前が付けられた。


1989年2月小倉競馬場でデビューし、初戦は6着。

2戦目で勝ち上がる。

1991年秋に活動を本格化させ、東京スポーツ杯(オープン特別)とフェアウェルS(1500万下特別)を制する。

1992年は金杯(中山競馬場)、アメリカジョッキークラブカップで連勝。

しかし故障に悩まされ、1993年8月に競走馬として引退した。


その後は東京競馬場で誘導馬に転向。

元々その馬体から現役時代より女性ファンを中心に人気を集めていたが、誘導馬に転身してからも相変わらずであったとされる。

1999年11月7日をもって誘導馬としても引退し、同日の昼休みにお別れセレモニーが開かれた。

その後は神奈川県横浜市にあるJRAの関連施設馬の博物館付属のポニーセンターに転属。

時折市民の乗馬体験を担当しながら余生を送った。


2005年10月21日に老衰のため死去。

享年19歳。

馬の博物館がある根岸森林公園内に、「トウショウファルコ号ここに眠る」と刻まれた追悼石碑が設置された。


関連項目編集

競走馬 誘導馬

TTG

関連記事

親記事

89世代 はちきゅうせだい

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 8104

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました