主にローカル線で人件費削減のために実施されている。
戦前のワンマン運転
最古のワンマン運転の記録は関東大震災直後、路面電車が復旧するまでの暫定措置として東京市電局が実施した通称円太郎バスである。あくまでも暫定措置であり、路面電車ネットワークが復旧すると円太郎バスの運行は終了した。
鉄道においては岡山県にあった井笠鉄道で車両定員20名の超小型ガソリンカーを導入した際、監督官庁へ車掌省略の特別許可を受けて運行したものが最初とされている。
このような車掌省略の事例は下津井鉄道や播丹鉄道などでも行われていた。
戦後のワンマン運転
戦後、本格的なワンマン運転は大阪市営バスが1951年6月、現在の地下鉄今里〜舎利寺〜あべの橋間で夜間に限って開始したのが最初とされる。これには1947年に制定された労働基準法が大きく影響していた。
1960年代に入るとモータリゼーションの進行と地方の人口減少などにより合理化策として本格的にワンマン運転の普及が進んだ。
路線バスでは大都市からワンマン運転が普及し、地方でも狭隘路線や山間部のような保安要員として車掌を必要とする特殊な路線以外ではワンマン化が進んだ。
路面電車では名古屋市電下之一色線・築地線で1954年2月から行われたものが最初で、ワンマン運転の普及と同時に路面電車の廃止が進んだことから現存するほとんどの路面電車でワンマン運転が実施されている。
普通鉄道では関東鉄道竜ヶ崎線で1971年8月より開始され、日立電鉄もその2ヶ月後より開始した。大手私鉄では西日本鉄道宮地岳線(のちの貝塚線)、国鉄では新会社(JR)発足のわずか5日前である1987年3月27日に関西本線四日市-河原田間で伊勢鉄道へ直通する列車に限定して運行を開始したのが始まりである。
ただし純粋なJR保有車両でのワンマン運転は1988年3月開始の南武線浜川崎支線、大湊線、美祢線大嶺支線、山陰本線仙崎支線、香椎線、三角線が最初である。
また地方ローカル線だけでなく、都市圏の路線でも都市型ワンマンを行う路線が増えている。詳細は後述するが、都市型ワンマンは静岡鉄道静清線や西武多摩川線、東武鉄道(伊勢崎線末端区間・亀戸線・大師線・桐生線・小泉線・佐野線・宇都宮線・東上線末端区間・越生線)、相模線・八高線・神戸電鉄全線などに普及している。
更に地下鉄や大都市中心部の利用者の多い路線でも都市型ワンマンが普及しつつある。
ワンマン運転の種類
主に2通りに分かれる。
地方型ワンマン
列車・バス内で運賃の支払いを行うタイプ。車内で運賃収受を行うために停車時間が伸びる欠点はあるが、駅に券売機や改札機の設置、駅員配置などを必要としない。また、交通系ICカードは駅に専用改札機を設置して対応するが、路面電車や中小私鉄では、車載型IC改札機を搭載して対応している場合もある。2019年3月16日のダイヤ改正よりJR西日本がJRグループでは初となる車載型IC改札機を境線に導入した。
2両編成以上の列車の場合、主要駅を除いて進行方向1両目しかドアが開かず、さらに乗車は1両目後ドア、下車は1両目前のドアしか開かないことが多く、きちんと確認しておかないと車内を猛ダッシュすることになるので注意が必要。
都市型ワンマン
駅で運賃の支払いを行うタイプ。こちらは駅に券売機や改札機を置いたり、駅員の配置を必要としたりするが、車両に整理券発行機や運賃箱などを設置する必要がない。
鉄道会社側としては、安全面の確保のために車載カメラやホームドアといった各種設備を完備させる必要がある。ATO(自動列車運転装置)などの採用も都市型ワンマンにおいて有効な手段のひとつ。また、不正乗車防止のため自動改札機の徹底なども課題となる。
大都市圏はこれが主流だが、地方圏では秋田県の男鹿線やしなの鉄道、JR九州のSUGOCAエリア内の一部ローカル線がなどが地方型から都市型に切り替えた。長野電鉄は長野線が都市型、木島線と屋代線が地方型だったが、のちに木島線・屋代線が廃止になり、都市型ワンマン運転だけが残されている。
関連
大阪シティバス:前述の大阪市営バスの後身。戦後初のワンマンバスが走った地下鉄今里〜あべの橋系統は、現在は北巽バスターミナル〜舎利寺〜あべの橋に路線が変更されている。