ガソリンカー
がそりんかー
気動車のエンジンがガソリンエンジンになっているだけで大きな違いはない。
変速機は海外では電気式が多く使われていたが、国内は自動車のマニュアルトランスミッションに準じた構造の機械式が主流であった。(電気式も存在したが、国内の線路では重量過大になりがちで、多くはなかった)
ちなみに確認した限りでは液体式のガソリンカーは存在していなかったようである。
ガソリンエンジンがディーゼルエンジンより先に発展し、自動車用として流通するほど技術が確立していたためである。
特にガソリンエンジンはディーゼルエンジンと比較すると重量あたりの出力に優れていたうえ、当時の技術では鉄道車両に載せられる大きさと出力を両立させたディーゼルエンジンは量産されていなかった。
軽便鉄道では、ガソリンエンジンを載せた自動車の足回りを鉄道車両のそれと差し替えたうえで認可を得れば運行できたため、各地で少なからぬ数が制作された。
鉄道省や大型車両(軌間1,067mm)を運行していた私鉄では、排気量が10Lを超える大型のガソリンエンジンを載せた気動車が制作され、実際に運行されていた。
例えば鉄道省のキハ41000(キハ04)に載せられていたエンジンで排気量13Lの「GMF13」の場合、現在の同規模のディーゼルエンジンは2015年式の三菱ふそうの観光バス(MS96VP"エアロエース")の「6R10」と概ね同程度の排気量で、ガソリンエンジンとしてはかなり大型である。
尤も、鉄道省が本格的なガソリンカーを登場させた頃には中島飛行機の「寿」など排気量20Lを超える航空機用ガソリンエンジンが多く登場していたため、当時低調であったディーゼルエンジンの普及度を鑑みると戦前の日本の気動車のごく小型のものから大型の車両に至るまでがガソリンエンジンを選択したことは、自然な考え方であったと思われる。
ディーゼルじゃ駄目なんです?
他方、この頃日本ではディーゼルエンジンはまだまだ馴染みの薄いもので、後述する経済性などを鑑みると日本中が熱望するエンジンであったにもかかわらず、特に燃料噴射ポンプと噴射弁の工作が難しかったことや、冶金技術が充分ではなく小型軽量のエンジンを製作できなかったため戦前ではかなりマイナーなエンジンであった。
故に十分普及しておらず、これを保守点検する現場の整備技術も高いとは言えなかったのである。
陸軍が筆頭となって重工・自動車メーカー各社が共同で統制型発動機なる「実用的な車両用ディーゼルエンジン(一応自動車用が主体ではある)」の開発に乗り出したのは1930~40年代。すぐ後にアレをおっ始めたためこの成果が鉄道車両に活かされる事はなく、燃料不足の時局下ガソリンカーは休車となるか木炭ガスを燃やす「代燃車」に改造され雌伏の時期に入る。
1945年(昭和20年)に終戦となると燃料統制の緩和とともに多くのガソリンカーが復活を果たすが、暫く後、経済的・社会的混乱が一段落すると気動車のエンジンはディーゼルエンジンが主流となり、ガソリンカーはディーゼルカーに改造されるか、そのまま廃車された。
1939年(昭和14年)に三重県の軽便鉄道「中勢鉄道」で脱線事故が発生した。
この事故では、列車の遅れを回復するため速度超過の状態で車両をカーブに侵入させ転覆せしめたとして、運転士が刑法に定めるところの「汽車転覆罪」に当たると起訴されたのに対し、弁護人は「汽車転覆罪を定めた刑法126条には『汽車又ハ電車』の文言があるもののガソリンカーはこれに含まれていない」
と無罪を主張、両者とも譲らず大審院(最高裁判所)まで争われた。
結局、大審院では「確かにガソリンカーは『汽車転覆罪』を定めた文章には該当しないが、(鉄道事故を防ぐという)法律の趣旨を鑑みればガソリンカーは汽車と判断し得る」と言った旨の判決が下され、運転士は有罪となった。
このような曖昧で広い法律の解釈は司法の分野では通常では許されない(つまり行われない)事であるため、少し珍しい判例であるそうな。