関西地区の電車
42系は1934年(昭和9年)7月20日、東海道本線・吹田駅~山陽本線・須磨駅間が電化開業し、電車の運転が開始されたのに伴い新製投入されたものである。
京阪神地区に投入された。
その中でクモハ42形は1933年(昭和8年)から翌年にかけて計13両が製造された制御電動車である。
戦前から戦後を中心に活躍し、小野田線に残ったクモハ42001は、JR最後の営業用旧形電車として2003年3月まで運用されたことが特筆される。
身延線で使用された「クモハユニ」
42系の中には、運転台の後ろに荷物室と郵便室、そして客席がついた郵便・荷物・三等合造車のクモハユニ44形と呼ばれる、国電でもきっての長いカタカナ記号をもつ珍車もある。
当初はモハユニ44形と称し、5両が製造されたものの、1両は戦災で焼失。
残りは戦後、身延線で使用するため低屋根構造に改造され、クモハユニ44800〜44803に改称する。803号はその中でも唯一、パンタグラフを後位に移設して部分低屋根構造とした珍車中の珍車で知られていた。
クモハユニは他に、51系のクモハユニ64形が1両のみ存在し、そちらは飯田線で使用されていた。