概要
1991年4月に開場、展示資料の多くを愛知県名古屋市港区に新設されたリニア・鉄道館に移転するかたちで2009年11月に閉場。
入園料金は中部天竜駅構内へ入場するという形で大人140円、子供70円だった。ただし中部天竜駅を発着または通過する乗車券を持っていれば無料で入園できた。2013年3月現在展示室だった建物は乗務員宿舎として現存しているが、車両が展示されていた場所は線路が剥がされアパートが建っている。
展示車両
末期には実車16両+カットモデル1機が展示されていた。
カットモデル
- 0系新幹線電車
21‐2023号車の運転台部分が1998年8月から展示されていた。閉園後は当車の製造を担当した東急車輛横浜工場で非公開保存されている。
電気機関車
14号機が展示・保存されていた。リニア・鉄道館への移転リストには載らず2010年7月に解体された。この14号機は1979年に飯田線でお召し列車が運転された際予備機を務め、除籍後は浜松工場で入換機関車となっていた。入換機時代の塗装はユーロライナーに酷似していた。
2号機が展示・保存されていた。リニア・鉄道館への移転リストに載り今も美しい姿を見ることが出来る。ちなみに1号機は西武鉄道E61形電気機関車として横瀬車両基地に保管されている。トップ絵の手前にいるのが佐久間のED11形車両。
電車
054号車が展示・保存されていた。リニア・鉄道館への移転リストに載らず2010年7月に解体された。解体発生品はモハ63復元車の整備に流用されている。
004号車が展示・保存されていた。リニア・鉄道館へ移転し今も美しい姿を見ることが出来る。この地へ来る前は日本車輌豊川製作所に保管されていたが、この004号車を製造したのは川崎車輌である。
トップナンバーが展示・保存されていた。リニア・鉄道館で美しい姿を見ることが出来る。
- クヤ165
教習車。153系のビュッフェ車サハシ153-15からの改造車で165系を名乗っているものの現存した唯一の153系だった。2010年7月惜しくも解体された。
気動車
36号車が保存されていた。佐久間に来る前は茨城交通那珂湊線で運行されていた。当時茨交では同型車が3両在籍しており、1両は埼玉県の鉄道博物館で保存されている。画像とは色が異なり、青3号と黄褐色2号のツートンカラーだった。今もリニア・鉄道館で見ることが出来る。
トップナンバーが保存されていた。佐久間に来る前はJR四国で運用されており、廃車後中間車のキハ180‐1と共にJR東海が譲渡を受けた。キハ181‐1はリニア・鉄道館に保存されたがキハ180の方は美濃太田車両区で長年雨ざらしにされた後2013年に解体された。
客車・貨車
- スニ30
荷物車。リニア・鉄道館で保存中。
- オハフ33
35系客車の緩急車。2010年7月解体。
- オハ35
35系客車の3等車。リニア・鉄道館で保存中。
1等寝台車。オヤ41形工事車(長期に渡る鉄道工事現場で作業員が宿泊するための車輌)に改造されていたが復元されて保存されていた。リニア・鉄道館で保存中。
- オロネ10
10系客車のA寝台車。こちらも工事車に改造された物だったが貴重な10系客車の生き残りである。リニア・鉄道館で保存中。
通称おいらん車と呼ばれる建築限界測定車。12号車が保存されていた。リニア・鉄道館で保存中。
- ソ80
操重車、要するにクレーン車のこと。2010年7月解体。
プラレールの「クレーン操重車」のモデルは本車らしい。
- チキ6000
ソ80の控車として連結状態で保存。2010年7月解体。
その他の車両
2号機が保存されていた。浜松工場の入換機関車として残っていた。佐久間で展示後1992年に本線復帰するための再整備を行って現役復帰。トロッコファミリー号など飯田線内の臨時客車列車を牽引していた。2005年に運用離脱、2009年に正式に廃車となり現在はリニア・鉄道館で保存されている。
ラッセル車。1541号機が末期に特別に展示されていた。2012年にJR西日本へ譲渡された。
美濃太田車両区の保存車のうち先頭車両が特別に展示されていたことがある。
クモハ165がキハ82と同じく特別展示されていたことがある。
開園時から保存されていたが1996年ごろに解体されてしまった。
諸々話
- 建設時、東海道線沿線、身延線沿線などが候補地に名乗りを上げたが、佐久間ダム建設時の引込線が残っていて車両の展示に適していること、ある程度電車を使ってお客が来ることを期待できたことから中部天竜に決定した。
- 展示室2階には日本最大と言われたプラレールのジオラマがあった。ジオラマの横ではプラレールで遊ぶことも出来、子供に人気だった。
- 展示室1階にはNゲージの運転体験が出来るジオラマがあり、こちらも人気だった。シミュレータも同じ場所にあり運転台部分はなんとあのモハ62の流用品だった。
- 閉園が近づくと名古屋方面からのアクセス列車として快速佐久間レールパーク号が117系4両で運行された。8月末から国鉄色に復元されたS11編成がほぼ限定で使われ、多くのファンを喜ばせた。また月替りでヘッドマークが掲出され、こちらもファンを喜ばせた。ちなみに初代のヘッドマークは佐久間駅と一体化している図書館で展示、それ以外は最終日のオークションでファンが落札した。
- 最終日には臨時列車として佐久間レールパークフィナーレ号が豊橋・中部天竜間で運行され117系だけでなく飯田線での定期運用を持たない神領車両区の211系K編成やキハ75が使用され多くのファンを驚かせた。ちなみにキハ75が使われた列車はホームの長さの関係から湯谷温泉駅を通過した。
それから2年後、飯田線でまさか211系の兄弟車である213系が定期運用されるようになるとは誰も予想できなかっただろう。
- 閉園後、リニア・鉄道館へ移転させる車両は中部天竜駅周辺の道路事情が悪いことからキヤ97系ロングレール輸送車を3両に短縮し、中間に輸送車両を挟んで夜間に中部天竜から豊川まで輸送された。豊川駅到着後日本車輌豊川工場に搬入しそこで整備の後名古屋まで陸送された。