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概要編集

進駐軍専用列車用車両として新製されたが、進駐軍が朝令暮改的な指示を出した挙げ句にキャンセルとなったものを運輸省が引き取って一般輸送用に転用したもの。


それまでの優等寝台車が3軸ボギー台車を履いていたのに対し、マイネ40は2軸ボギー台車を履いた合理的構造となっている他、新製当初から冷房付きとなっており当時としては最高水準の居住性を誇った。


同型車両としてマイネ41形が存在する。こちらは当初から片側1デッキ・窓を1区画1枚とし、寝台を全て開放式とするなど仕様変更を加えたもの。


マイネ40の冷房装置編集

マイネ40の冷房は内燃機関を用いた発電機で発電した電力で駆動するのではなく、車軸の回転する力を使用して駆動する車軸式冷房である。


従来の車軸式冷房装置だと冷媒で直接車内空気を冷やしていたが、本系列は冷媒によって床下の水タンクを冷やし、この水タンクからの冷水を天井に設置された室内機へ送って車内を冷やしていた。

この方式は冷房が効くまでに時間がかかるが、低速走行中や長時間停車中も水が暖まるまでは冷風を送ることが出来た。


後の列車速度向上で1957年から60年にかけて冷水による間接冷却方式を取りやめて高速形圧縮機を用いた直接冷却式冷房装置に載せ替えられた。ただし動力源は車軸の回転力である。


車体編集

オハ35系と同様の車体構造を持つが、鋼板屋根を採用し冷房用ダクトを設置している関係上屋根が深く作られている。


登場当初はぶどう色の車体に1等車の印としてクリーム色の帯を巻き、一般旅客用であることを示すためにJapanese Government Railwaysの頭文字である「JGR」の標記がされている。


車内は片廊下式の2名個室寝台を4室と中央通路のプルマン式開放寝台を8区画設置し、トイレを車両両端に設置している。一般旅客用としてのプルマン寝台はこれが初めての採用となった。なおプルマン寝台の仕切は取り外し可能で、ベニヤ板では品質が確保できないことから日本車輌はピアノの木工技術で豊富なノウハウを持つ日本楽器に協力を依頼したという。

室内の布団生地・カーテンは西陣織を使用している。


当初進駐軍向けに計画されていた関係で給仕室がなく、最もデッキに近い個室寝台を給仕室とし、片側の出入台を締め切って備品入れに変更している。


変遷編集

登場当初は一般用でありながら進駐軍関係列車に投入され、1950年代から一般列車での運用が開始された。

しかし航空路の復活で従来国鉄の一等車を使用していた客層が航空機へと流れて需要が減り、逆に高需要を維持していた二等寝台車へと一等寝台車が転用された。マイネ40・41も例外でなく、マロネ40・41へと形式を変更した。


旧1等の冷房付寝台車は、個室が2等A寝台、プルマン寝台が2等B寝台となり、マロネ40は2等A・B寝台車、マロネ41は2等B寝台車となった。

比較的車齢が若いのもあって東海道・山陽本線の優等列車へ連結されることが多かった。


1960年の2等級制への移行でマロネ40・41は1等車となり、この時期に大規模な体質改善工事を施工している。

花形の特急運用から退いた後も東海道・山陽・鹿児島の急行列車に使用され、特に東京 - 大阪を結ぶ夜行急行に多く使用された。尤も、東海道本線以外で個室の需要がなくここでしか使い道がなかったという理由もある。


1964年の東海道新幹線開通で旧型の優等寝台車が余剰気味となり、一部が業務用車両に改造されてマロネ40は1970年までに、マロネ41は1972年までに営業列車から姿を消した。


業務用車両への改造編集

比較的状態の良い車両は事業用車へと改造された。


マヤ40編集

マロネ40 4から改造された脱線試験車。

狩勝実験線で脱線実験を行う際、試験列車の先頭へと連結された本車両は改造に際して客室設備・冷房を全て撤去。無線遠隔操作式のブレーキ、連結器開放装置、車輪観察用カメラ、データ測定・送信装置を搭載し、車輪を深めのフランジと踏面勾配の緩い特殊形状のものへ、連結器も下半分を削った特殊なものにそれぞれ交換した。


狩勝実験線での試験終了後はほとんど使用されることなく、1987年2月に廃車。


スヤ42編集

マロネ40 5から改造された保健車。

主要な駅や操車場・車両基地を巡回して職員の健康診断を行う巡回車で、車内にレントゲン室・暗室・聴力検査室・診察室等を設置。


夏でも比較的涼しい北海道で使用するため冷房は取り外されたが、停車状態で使用するために温気暖房を搭載した。


1986年9月廃車。廃車後は帯広駅構内に留置され、ツーリングトレインとして使用された。


オヤ41編集

マロネ40 7・11から改造された工事車。

移動式の鉄道工事作業員宿舎の役割を果たすもので、車両中央の個室を談話スペースへ改造し、全ての寝台を畳敷きへ、デッキ側の便洗面所を物置へ改造し、冷房を取り外している。


1974年にオロネ10から改造されたオヤ10 1・2とペアを組むことになり、オヤ10に搭載された冷房装置から冷風を受ける形で再冷房化された。このため、貫通路上に冷風ダクトが設置されている。


1987年2月に廃車後も解体されずに保管され、2両ともマイネ40へと復元された。


マヤ43編集

マロネ41 23・24から改造された教習車。

車掌の教習に用いるため、一部の客室設備を存置し、取り扱いの講習に用いた。


1987年2月廃車。廃車後も保存前提に保管され、1は高崎で、2は宮原に保管されたが保存されることなく解体された。


保存車編集

佐久間レールパークリニア・鉄道館にマイネ40 7が、碓氷峠鉄道文化むらにマイネ40 11が保存されている。

どちらもオヤ41に改造されていたものを復元している。

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