ED11
いーでぃーじゅういち
国鉄ED11形は1923年に鉄道省が東海道本線の東京~国府津間と横須賀線の電化にあわせて、アメリカのゼネラル・エレクトリック社(GE)とアメリカン・ロコモティブ社(Alco)にて2両のみ輸入した貨物用直流電気機関車である。
当時は1010形という形式名であったが、1928年の車両形式称号規程改正によりED11に変更された。
当時の鉄道省は本線用電気機関車のノウハウを獲得するため、複数回にわけてアメリカ、イギリス、スイス、ドイツなどの国から電気機関車を輸入するなどしていたが、本形式はそのうちの最初期に輸入された機関車群の一形式である。
GEが電気部品、Alcoは機械部品を製造している。
外装
四角い箱型の車体を搭載し、前面は縦長のフロントガラスと砂箱が設置され、側窓には十字の桟が通る田の字型のものを搭載した。
これは当時のアメリカのGEやALCOが製造した電気機関車やディーゼル機関車に数多くみられる特徴の一つであり、現地では「Boxcab(ボックスキャブ)」と呼称されている形態である。
変遷
輸入後は一時的に中央本線と山手線で運用され、東海道本線の国府津電化後は目的通り東海道本線にて運用された。
昭和6年に中央線の電化区間延伸によって八王子へと転属し、中央線に戻ってきた。
戦後に東海道へと再び転じ、東海道本線や横須賀線、伊東線で活躍した。
その後1951年の標準化改造時に国鉄標準部品への置き換えと、前面部分の砂箱を台車に移設した上でフロントガラスの拡幅改造を施した。
1号機は1960年をもって国鉄の本線上での運用は終了し、西武鉄道に譲渡され、E61としてピンク色の塗装を纏って当時の西武鉄道の貨物列車を牽引することとなり、西武E31形の登場をもって1987年に引退するまで現役を続け、現在は横瀬駅にある横瀬車両基地にて静態保存されている。
一方2号機は1956年から浜松工場の入れ替え車として活躍することとなったが、1976年にED18-2にその仕事を置き換えられしばらく放置されたが、1991年に佐久間レールパークの展示車両に選ばれた。
同所の閉館後はリニア・鉄道館に移設され、こちらも静態保存されている。
ED14。デザインや性能、重さに至るまでほぼ同じ形態である。
大きく異なるのは台車の構造で、ED11は電車や現在の電気機関車と同じ「スイベル式」とよばれる、牽引力の伝達を「台車」→「車体」→「連結器」へと伝える方式。一方ED14はEF15やEF58などと同じ、当時の電気機関車としては一般的な「アーチキューレート式」であり、「台車」→「連結器」へと伝えられる。
また、上記の違い以外にも屋根の曲線形状が違う。
伊那電気鉄道デキ20。純国産ながらED11とED14を参考に製造されたため随所に両形式の特徴を持つ。そのためED11と同じスイベル式でありながらED14のような台車と車体を持つ。
伊那電気鉄道が鉄道省に買収されたのちの1952年にED33へ変更、さらに1961年に2代目のED26となったが1973年に廃車解体された。製造時から一貫して飯田線にて活躍した。
西武に渡った1号機ことE61は現役時代に側窓の桟が撤去された時期があり、ネット上でもその姿が数多く確認出来るが、現在は復元されて桟がある状態になっている。
当時輸入された電気機関車はED10やED12などがあり、それらも西武に譲渡されたため登場から現在まで当時の同僚たちとともに活躍し、保存されている。
登場当初の中央線、山手線はそれぞれ直流の600Vと1200Vで電化されており、同時期のED10、ED12、ED13も600/1200Vの複電圧仕様であったため、東海道本線へ転属した際にはそれぞれ直流1500V対応に改造されている。
(※尤も本形式の銘板には750Vと1500Vの複電圧仕様である可能性を匂わせる表記がある。)
この手のサンプル要素の強い車両は解体されることも少なくないが、西武に譲渡されたことや入れ替え機落ちしたこと、そしてもともとの製造両数が少ないというある種のインチキによって結果的に全車が保存されているという珍しいことが起きている。