概要
1986年から翌年にかけて自社の所沢車両工場で4両が製造された軸配置B-Bの電気機関車。
E31形(または31形)を名乗る電気機関車はこれが2代目で、初代は東芝で3両が製造された凸型機ならびに、それを模倣して所沢車両工場で1955年に新製された1両が後年の改番に際してE31形の形式称号を付与されたもの。現在は32号と33号が伊豆箱根鉄道駿豆線にて、ED30形ED32号およびED33号として活躍している。
見た目は私鉄最大と評された電気機関車E851形を小型化したようなもので、側面機器室の上部には電気機関車には珍しく大型の窓が4つ並んでいる。
塗装はクリーム色に朱色の3本の帯というE851形の塗装を反転させたようなデザインになっており、電車用台車を使用したことによる短足感を感じさせないために車体下部を黒く塗りつぶしている。
運転台は昭和後期の電気機関車の標準に倣っており、メーターやハンドルの配置はEF65形やED76形といった国鉄機によく似ている。
台車は旧型国電80系の廃車発生品で、主電動機も351系で使用されていたものを転用した130kWの直流電動機を4基搭載、吊り掛け駆動で動力を伝達する。
重連総括制御の機能を有し、基本的に2両1組の重連もしくはプッシュプルで運用された。
重連総括制御は、後述の大井川鐵道譲渡後も使用されている。
西武鉄道時代
工事列車の牽引の他、他の西武線と一切繋がっていない多摩川線の回送列車の牽引、甲種輸送で新秋津駅に到着した新車の西武線内での牽引、譲渡車両の搬出などに用いられた。1996年の貨物廃止まではE851形の代走で貨物牽引の実績もある。
2009年に不調を理由にE33号が廃車され、2010年に老朽化や社内における電気機関車の操縦資格を持つ運転士の減少などを理由に残りの3両が引退。トップナンバーのE31号が横瀬車両基地に保存されたほかは、大井川鐵道へ譲渡された。
同系列が廃車になったことで、大手私鉄で車籍を持つ電気機関車を所有する会社は名古屋鉄道(名鉄)のみとなった。なおE31形の製造以降、永らく大手私鉄の電気機関車の新製は途絶えていたが、2014年に本形式から数えて実に28年ぶりとなるEL120形が登場している。
大井川鐵道時代
当初は貨物列車を運行している私鉄(当時は岳南鉄道・三岐鉄道・秩父鉄道が該当)へ譲渡するとしていたが、実際は貨物列車を運行していない大井川鐵道へ譲渡された。
2010年にE32号・E33号・E34号の3両が大井川鐵道へ入線したが、後述の理由で入籍が大幅に遅れ、長らく機関区の入替もしくは駅に放置という不遇を受けた。
2017年7月にE34が整備を終え本線で試運転を連日行い、同年10月に営業運転を開始した。残りの2両も後に営業に就き、主にSL列車の補機を担当している。
電車用の主電動機を使用しており、同社の既存機(E10形、ED500形)より出力が低いため、編成の短い平日の運用に就くことが多い。
稀に臨時列車として客車を牽引することがあり、特に2019年にはSLが故障で使用不能になった為、代走として連日登板し活躍した。
2020年からはコロナウイルス流行による観光需要の減退に伴い、SL列車を電気機関車に差し替える日が増え、運用が増加している。
なお、西武時代末期よりMGの故障で不調気味であったE33号は部品取り車となってしまい、新金谷駅から分岐する側線で放置されている。
導入の経緯
イカロス出版の書籍『電気機関車EX vol.27』内の、大井川鐵道の車両区長へのインタビューによると、本機は元々貨物列車で使用する予定だったとのこと。
その当時、大井川沿いで大規模な貨物輸送(詳細不明。一説には沿線に所在するダムの堆砂輸送ともいわれている)の計画があり、これに対応する想定で3両購入したものの、計画が立ち消えになり機関車だけ宙に浮いてしまったのが、入籍が遅れた理由である。
2017年にファンサービスや既存機の負担分散を目的に入籍させ、やっと日の目を見ることになった。
仕様
E34のみ上下線のATSを装備し、単独運用できる仕様になっている。
E32とE33はそれぞれ上り、下りのみのATSしか装備しておらず、運用は重連もしくはプッシュプルに限定される。
また、E33はMG(電動発電機)が無く、代わりに搭載したバッテリーが動力源となるため、単機での走行可能時間に制約がある。これは西武時代末期にMGの故障を起こしたためである。
3両共通の仕様として、スノープラウの両端が切り詰められている。
温暖な大井川本線ではスノープラウは不要なので外すという案もあったらしい。