概要
静岡県島田市金谷に本社を置く地方私鉄。通称「大鐵(だいてつ)」。
もとは「大井川鉄道」を法人の正式名称としていたが、名鉄グループ時代の2000年10月1日に自社子会社の「大鉄技術サービス」と合併、翌2日には存続法人を(旧)大鉄技術サービスに、社名を「鉄」を旧字体(鐵)にした「大井川鐵道」とした。
元々は大井川沿いの地域輸送と貨物輸送のために建設されたが、現在は収益の9割をSLに依存しており、ほぼ観光鉄道と化している。沿線人口の減少により地域輸送の占める割合は小さく、文字通りSLが経営の生命線となっている。
長らく名鉄グループに属していたが、平成中期に続発したツアーバス事故を起因とした高速バス走行距離規制強化に伴い、首都圏からの集客が大幅低下し経営が悪化。これに対する経営再建のため2015年に北海道でホテル経営をするエクリプス日高に経営権を売却し、グループを離脱した。また井川線は中部電力からの運営の委託を受けて運行している。
2014年には期間限定で「きかんしゃトーマス号」を運行。日本型SLをベースとしながらも高い完成度で話題を攫った。
以降、毎年春 - 秋にかけて運行している。
それまでは旧国鉄やレトロ感などの原型にこだわった動態保存を売りとしていたが、上記の経営再建に伴いきかんしゃトーマスをメインにしたファミリー向け観光へと舵を切る形となった。また同時に普通列車減便へも踏み切っている。
路線
大井川本線:金谷 - 千頭間 39.5km、電化
SLの動態保存のパイオニアとして「かわね路号」を運行。現在は3形式4両のSLを動態保存している。
金谷駅でJR東海東海道本線と接続する。国鉄時代は線路が接続されており直通列車があった。
初期のころに国鉄から譲受した動態保存機(2109、C11 227など)が甲種輸送扱いでここから入線したほか、臨時列車としてサロンエクスプレス東京が入線したこともある。
井川線(南アルプスあぷとライン):千頭~井川間 25.5km、一部電化
元々は中部電力のダム建設専用路線であり、大井川鉄道譲渡後1,067mmに改軌されたが、車両規格は小さいままとなっている。
日本唯一の営業路線でアプト式を採用している。
上り井川発井川線最終列車は15時54分(2020年4月現在)であり、これを逃すとダムだけしかない駅に取り残される。また井川線以外では駅へ到達できない尾盛を筆頭に秘境駅が多く存在することでも知られる。
詳しくは当該記事を参照。
現役車両
SL及び客車、一部電気機関車(EL)以外は、私鉄からの譲受車両で成り立っており、「走る鉄道博物館」と評されることも。
ここでは大井川本線車両を紹介。井川線車両は当該記事を参照。
電車
元・南海6000系。2020年7月に1編成2両を譲受。同年7月10日に6016号車、14日に6905号車がそれぞれ入線した。
走行路線である大井川本線では、勾配対策のため金谷方先頭車は必ず電動車とするのが慣例となっていたことから、車両トレーラー輸送の際に編成方転も行っている(21000系と編成向きが反転)。
2021年イベントで初めて一般にお披露目され、6200系・6300系と同タイプスカート増設やワンマン化改造、さらにはバリアフリー化対応改造が行われた。2024年現在も営業運転には就いておらず、新金谷の車両基地に留置されている。
元・十和田観光電鉄7200系。元々は東急7200系である。2両在籍。
十和田観光電鉄入線後に両運転台化及びワンマン化改造が行われており、単行運行が可能。2012年4月1日付で十和田観光線が廃線されたことで一度廃車となり、同地の車庫で約2年間保管されたのち、2014年6月に大井川鐵道に譲渡された。同年6月20日に入線し、2015年2月23日に本線営業運転を開始した。
同車単行運行により、オフシーズン時や短区間運行時に運行経費が抑えられる利点がある。
元・近鉄16000系。トイレ閉鎖、ワンマン化改造が行なわれた以外はほぼ近鉄時代の特急用クロスシートのまま使われている。全車デッキなしの未更新車。
1997年に第1・2編成、2002年には第3編成をそれぞれ譲受。1998年7月23日には第1編成が、同年12月には第2編成が、2004年には第3編成がそれぞれ本線営業運行を開始した。しかし老朽化や部品取りのため、2015年1月には第1編成、2021年11月には第2編成がそれぞれ廃車・解体された。そのため、2022年現在は第3編成のみ運用されている。
塗装は近鉄時代から継続して旧特急色を維持している。2021年11月に12200系が運用終了したことに伴い、本家近鉄より旧特急色が消滅したため、同色で運用されている全国唯一の車両である。
元・南海電鉄21000系「ズームカー」。同じくワンマン化改造済。
転換クロスシートを維持する初期車で、2編成4両を1994と1997年にそれぞれ譲受した。車齢は60歳を超えるが、一畑電車で廃車となった同形式保守部品を調達したこともあり、現在も主力として運用されている。
塗装は導入の際に旧南海色へ塗替えている。また、イベントで2編成併結運行を行ったことがある。
第2編成は台風の影響で千頭駅構内にずっと留置されている。
機関車
EL
E10形(E101・102)
大井川鉄道自社発注のEL。登場当初は貨物列車に使われていたが、「かわね路号」運行開始後は主にSLの補助機関車として使われている。
1949年にE101 - 103の3両が製造された。E101・102は車齢70歳を超える高齢ながら現役であるが、E103は2003年6月頃から長期休車となった後、2016年6月に廃車・解体された。
E31形(E32・33・34)
元西武鉄道E31形。2010年9月に譲受。同年9月13日に入線した。
本線営業運転に必要な整備の費用が捻出できず、長らく新金谷車両区での入換作業に使用されていたが、2017年10月15日にE34が本線営業運転を開始。その後E32・E33も本線営業運行を開始した。
西武鉄道時代に正丸峠を超える貨物運用が想定されていたこともあり、当初から重連運行が可能。ただし主電動機は元電車(351系)のそれを転用しているため、単機では下記のELよりも出力が弱いという欠点がある。
E33は西武時代に故障したMG(電動発電機)が取り外されていることから、車籍のある部品取り車として営業運転には就くことはない。
ED500形(ED501)
以前東海道本線近江長岡駅へ接続していた大阪窯業セメント専用線で長らく運用されていた元いぶき500形電気機関車。
ED501・502の2両が1999年10月6日に入線。2000年2月にED501が本線営業運行を開始(ただし、新金谷駅での発車式や千頭駅でのお披露目イベントは同年3月18日に開催)した。しかし、中部国際空港建設に伴う埋立用土砂輸送のためのELが三岐鉄道で必要となったことから、ED501が貸与され、ED502が譲渡された。任務完了によりED501が2003年3月18日に返却入線した。
SL
C10形(C10 8)
元国鉄(→ラサ工業)C10形蒸気機関車。
ラサ工業では宮古工場専用線で運用され、専用線廃止後は宮古市内で動態保存されていた。
1994年4月24日に入線。動態復元され、1997年10月14日に本線営業運転を開始。
現存する唯一のC10形である。単独では客車4両(以前は5両)まで牽引可能。
C11形(C11 190・227)
左がC11 190、右がC11 227。
元国鉄C11形蒸気機関車。
- C11 190は国鉄時代にお召し列車を牽引した実績がある。
2001年6月24日に入線。動態復元され、2003年7月19日に本線営業運行開始。単独で客車4両(以前は5両)まで牽引可能。
- C11 227は国鉄での現役時代は北海道で運用されていた。
1975年11月22日入線。動態復元され、翌1976年7月9日に本線営業運行開始。日本の復活SL第1号である。単独で客車4両まで(以前は5両まで)牽引可能。
2014年より運行されている「きかんしゃトーマス号」のトーマス役に抜擢され、2021年6月には期間限定で車体を緑色(映画『きかんしゃトーマス トーマスのはじめて物語』で登場した塗装)へ塗替えて運行した。
C56形(C56 44)
元国鉄であるが、戦時供出でタイへ渡り、泰緬鉄道などで運用されていた。タイ時代の形式は700形(735)であった。
1979年に日本に帰国し、同年6月29日に入線。動態復元され、1980年1月29日に本線営業運転を開始した。
ボイラーの調子が余り良くなく、単独では客車3両までしか牽引出来ない。
戦後、正式な補修部品や図面が存在しないまま30年以上走っていたためもあり、2003年12月から休車となった後、同鉄道部品取り機C12 208のボイラーを転用し、2007年10月7日に本線営業運行を再開した。なお、C12 208は2015年から「きかんしゃトーマス」のパーシー役に抜擢され、千頭構内に静態保存されている。
2015年から運行されている「きかんしゃジェームス号」のジェームス役に抜擢された。
なお不具合のため、2019年9月2日からは再度休車となり、同年12月で検査切れとなった。現在はジェームスの姿で千頭構内にて展示されている。大井川鐵道は、2022年2月12日にC56 135を入線させ、動態復元も視野に入れている。
C12形(C12 164) ※長期休車中
元国鉄C12形蒸気機関車。
1973年9月24日に本川根町へ貸与され、大井川鉄道へ入線。同年10月から千頭駅構内で静態保存されていた。
日本ナショナルトラストが1987年2月に募金で購入。大井川鉄道で動態復元され、同年7月25日に本線営業運行状況を開始。
2005年にATS設置が義務化されたが、それの設置費用を捻出出来ず、同年4月23日を限りで運用を終了。翌24日より休車となり、2011年10月7日からは新金谷駅構内転車台で展示されている。
将来的には本線営業運行を再開する方針であることが、2016年9月に発表された。
客車
オハ47形(オハ47 81・380・398・512)
スハフ42形(スハフ42 184・186・286・304)
スハフ43形(スハフ43 2・3)
元国鉄43系客車。
純然たるオハ47形はオハ47 81の1両しか存在しない(オハ47 380・398・512はオハ46形の法的扱いの制約から来る改形式車で、製造後軽いことでオハ46形へ編入された元スハ43形グループ)。スハフ43形は日本ナショナルトラストの所有車。
オハ35形(オハ35 22・149・435・459・559)
オハフ33形(オハフ33 215・469)
元国鉄オハ35形。
オハ35形・オハフ33形共に戦後型を擁していた。しかし、戦前型より数段車齢が若いはずのオハ35 857は特に老朽化進行程度が早く、2011年11月より休車となった後、2016年7月に廃車・解体された。
オハ35 149は「SLマン」運行時に塗装を緑色へ変更していたことがある。
オハニ36形(オハニ36 7)
元国鉄オハニ36形。
鋼体化改造車の60系客車一族の一員で、荷物合造車である。日本ナショナルトラストの所有。
ナロ80形(ナロ80 1・2)
スイテ82形(スイテ82 1)
- ナロ80形はお座敷客車。ナロ80 1はサハ1516改造車で1980年1月に運用開始、ナロ80 2はサハ1426改造車で1985年12月に運用開始した。形式の80は最初に登場した年が1980年であることに由来する。
- スイテ82形は展望車。サハ1515改造車であるスイテ82 1が1982年10月14日に運用開始した。車内は豪華なソファーを向い合せに並べており、床に絨毯を敷くことも考慮している。なお絨毯敷とした場合車内は土足厳禁となるため、車内には靴箱が設置されている。形式の82は1982年に登場したことに由来する。
14系500番台(オハ 14 511・535、スハフ 14 502・557)
元・JR北海道14系客車。寒冷地仕様500番台である。
旧型客車負担分散のため、夜行急行はまなすに使われていた4両を2016年6月に譲受した。整備作業遅れにより運用開始時期は未定。
12系(オハ12 701・702・703、スハフ12 702・オハフ13 701)
元JR西日本12系客車。
SLやまぐち号で使用されていたレトロ客車5両を2018年2月に譲受した。導入理由は14系同様であるが、こちらも運用開始時期は未定。
過去の在籍車両
機関車
SL
5形(5)
1922年、独国コッペル製。
伊賀鉄道が導入した機関車で、同年に横荘鉄道が西線(現:由利高原鉄道)用に導入した蒸気機関車(後の鉄道省1215形)の同型機。
1927年に大井川鉄道に譲渡され、1956年まで活躍した。
6形(6)
1923年、独国コッペル製。
5形と同じく伊賀鉄道が導入した機関車で、1922年に新宮鉄道(現:紀勢本線新宮駅~紀伊勝浦駅間)が導入した蒸気機関車(後の鉄道省1245形)の同型機。
5形と共に1927年に大井川鉄道に譲渡され、1950年に建設省近畿地方建設局(淀川改修工事事務所)に譲渡されるまで活躍した。
15形(15(初代))
1929年、日立製作所製。
大井川鉄道初の自社発注機で、飯山鉄道(現:飯山線)が導入した蒸気機関車(後の鉄道省2950形)の同型機。
1950年に大阪窯業セメント近江長岡工場(後の大阪セメント近江長岡工場)に譲渡された。
16形(16)
1931年、川崎車輛製。
15と同じく自社発注機で軸配置1C1のタンク機関車。
15とともに1950年に大阪窯業セメント近江長岡工場に譲渡された。
C12形(121)
1935年、日本車輌製。動態保存事業以前に保有していた自社発注機。
1950年に片上鉄道に譲渡され、同社C12-202として1966年まで活躍した。
2100形(2109)
大井川鉄道が初めて扱った動態保存機であり、この路線のSL運行の先駆けのような存在。
西濃鉄道で廃車となったところを1970年8月に譲受し、千頭駅構外側線(通称・リバーサイド線)で動態保存を行っていた。
明治生まれの古典蒸機であり、イギリス製ということもあってクラシカル且つ優雅な外観を有する。
1976年頃からは暫く静態保存されていたが、1992年 - 翌1993年に掛けて再度動態復元された。同年9月に日本工業大学へ寄贈された。
現在でも同大学の技術博物館で走行している。
10形(15・17)
1889年、独国クラウス製。
15・17共に、元を辿れば九州鉄道が開業時にドイツに発注した機関車の一員であり、鉄道院(後の鉄道省)で廃車後に東京横浜電鉄(現・東急東横線)→明治鉱業昭和鉱業所/留萌鉄道を経て廃車。
15は地元沼田町で保存され、17は競売の後個人に購入された。
15は1974年、鉄道100年に乗じた映画製作プランが発案され、道内の鉄道車両メーカー、泰和車両が動態復元。
結局、映画計画は頓挫し、大井川鉄道に貸与されることとなった。
17は、麒麟麦酒横浜工場イベントでの走行披露、大阪万博での静態展示を経て、1971年2月に大井川鉄道に入線した。
両機とも、2109と同じくリバーサイド線で動態保存を行っていた。
その後、15は1976年9月に北海道沼田町に返却。17はボイラー不調の末、1973年に返却。この2両が大井川鉄道で顔を合わせることはなかった。
15は現在も沼田町内の施設で静態保存。17号はさらに流転を重ね、現在は栃木県「那珂川清流鉄道保存会」で静態保存。
どちらも火を入れれば動きそうな極良の状態で展示されている。
1275形(1275)
1924年、独国コッペル製。
車歴を辿ると、新潟臨港が開業時にドイツに発注した1号機にたどり着く。
その後、1941年に新潟臨港開発(途中で社名変更)が国有化された際に、国鉄へ編入され1275形の形式が与えられた。
1943年に国鉄を廃車後は同じ新潟県内日本ステンレス直江津工場へ払い下げられ、信越本線黒井より延びる専用線で活躍。
1970年にディーゼル機関車へ置換えられた後、1971年10月に大井川鉄道が譲受。同年10月25日に入線した。動態復元され、翌11月14日に井川線千頭 - 川根両国間「リバーサイド線」で運用を開始した。1975年には伊予鉄甲1形機関車に外観を似せた上でNHK連続ドラマ「坊っちゃん」へ出演。
1989年にリバーサイド線での運用を終了。その後、新金谷車両区で全検を受け、同車両区で構内試運転が行われたこともあるが、1997年に新金谷駅前の「プラザロコ」に搬入され、静態保存機となった。
形式なし 1 「いずも」
1921年、独国コッペル製。
一畑軽便鉄道が開通時に発注した機関車の1両。軌間が1,067mmであるものの、それ以外はほぼ軽便鉄道の蒸気機関車であり、連結器も自動連結器とピン・リンク式双方を装備する。
一畑軽便鉄道電化後の1929年に廃車後は七尾セメント(後に住友セメントへ買収)に売却され、同社専用線で活躍。
用途廃止後は倉庫内で分解されて放置状態であったものの、鉄道系書籍を多く出版する出版社「プレスアイゼンバーン」の松本謙一・前里孝両氏が購入し大井川鉄道へ保存を委託。
最初に働いた一畑軽便鉄道から連想した「いずも」という名を与えられ、リバーサイド線で動態保存された。
特筆事項としては、1983年に井川線規格に適合させるために煙突と運転台屋根を切り詰める改造を行い、翌1984年には井川線用客車を牽引して終点井川まで乗入れたことがある。
まだ井川ダムによる線路付替えとそれによる急勾配区間が発生していないからこそ出来た芸当であり、井川線全線を走り通した唯一のSLとなるであろう。
1989年のリバーサイド線廃線後は、七尾セメント時の外観へ復元され、1997年からは新金谷前の「プラザロコ」で静態保存されている。
C11形(C11 312)
元国鉄C11形蒸気機関車。
廃車後、1975年12月より三重県松阪市のドライブインあら竹で静態保存されていたものを1987年10月に譲受。
1988年3月19日へ入線。動態復元され、同年7月23日に本線営業運行を開始。単独で客車5両まで牽引可能であった。
しかし、台枠老朽化とそれに伴う軸焼けが多かったため、2007年9月8日さよなら運行最後に運用終了。翌9日付で廃車。
以後は部品取り機となって荒廃していたが、2019年10月頃より復元工事が行われ、2020年11月12日の「KADODE OOIGAWA」オープンと同時に静態保存が開始された。
EL
ED10形(ED105)
元阪和電気鉄道ロコ1000形→国鉄ED38形。1930年東洋電機製造・日本車輌製。
1960年に譲受し、客貨混合列車の牽引に使用された。
電車が導入されてからは大井川水系のダム建設工事に伴う資材輸送に用いられ、工事が一段落した1967年に秩父鉄道に譲渡された。
電車
それまでの大井川鐡道の旅客列車は機関車牽引の混合列車だったが、旅客・貨物列車をそれぞれ独立させるために電車の投入が決定。その第1陣として導入された。
木造車を半鋼体化した車両であり、老朽化と後続の形式と総括制御できなかったことから1967年に廃車となった。
モハ300形・クハ500形
1953年から1980年にかけて導入した電車の総称。譲渡元の事業者・仕様の差異を問わず電動車は300番台、制御車は500番台が附番された。
- モハ301・302:元鉄道省モハ1形→三信鉄道デ300形
- モハ303:元豊川鉄道モハ30形
- モハ304+クハ504:元西武鉄道モハ231形
- モハ305・306:元富士身延鉄道モハ100・110形
- モハ308:元南武鉄道モハ150形
- クハ501:元西武鉄道クハ1201形
- クハ502:元宮城電気鉄道モハ601形
- クハ503・506:元三信鉄道デ300形(鋼体化改造車)
- クハ505:元富士身延鉄道クハユニ300形
- モハ307+クハ307:元西武鉄道モハ151形
- モハ309+クハ508:元名古屋鉄道3300系(初代)
- モハ310+クハ510:元名古屋鉄道3800系
- モハ311+クハ511:元国鉄50系→西武鉄道クモハ371形
- モハ312+クハ512・モハ313+クハ513:元西武鉄道351系
モハ310+クハ510以降は「310系」、「311系」、「312系」と別形式として扱われる場合もある。
1980年代までに大部分が廃車となり、2002年に312編成が事故廃車、313編成も運用を離脱し、2016年に惜別撮影会を開催した後に解体された。
クハ505は1977年にSL列車用の客車に改造されナハフ505と改称され、1980年代まで多客時の増結車として運用された。
元岳南鉄道1100形。同形式で唯一のステンレス車体の試作車であり、モハ300形引退後唯一の単行運転可能な車両として重宝された。
足回りの老朽化により1996年に廃車。長らく千頭駅で倉庫として留置されていたが2016年に他の千頭駅留置車と共に解体された。
前述のモハ310+クハ510に続いて2両編成2本が譲渡された。
こちらは機器類を7300系に供出したため、廃車になった従来車の機器を組み合わせた。
420系
元近畿日本鉄道6421系。製造時の塗装に復元されたが、それ以外の外観は近鉄時代末期のままだった。
2005年頃にツリカケ駆動の従来車が一斉淘汰された際に唯一残ったが、非冷房だったことから2009年に運用を離脱。2016年に廃車・解体された。
元北陸鉄道6000系・6010系。6000系は「あかいし」、6010系は「しらさぎ」の愛称があった。
ほぼ同型の車両だが6000系は鋼製車体・カルダン駆動、6010系はアルミ車体・ツリカケ駆動と仕様に差異があり、これが譲渡後の命運を分けた。
6000系は1996年に、6010系は2002年に廃車となった。
元小田急電鉄1900形。前述の6000系と併結して運用された。
1996年に廃車。
元伊豆箱根鉄道1000系。3扉車であることから重宝されたが、1998年に土砂崩れに乗り上げたことで大破、1999年に廃車となった。
長らく新金谷駅側線に留置されており廃墟ファンの間でも話題になっていた。
2005年に解体された。
3000系(初代)
元小田急電鉄3000形(初代)。
「ロマンス急行」として運行されたが、SL急行ほどの集客は確保できず1987年に運用を離脱、1992年に廃車となった。
3000系(2代目)
台車と電装品を帝都高速度交通営団5000系のものに交換して運用された。
末期は千頭方先頭車の行先版が外されて鳩マークを掲出していた。
2017年廃車。
大井川鐵道は機関車が好き?
現在、JR貨物を除くほとんどの鉄道会社では、車両故障などの際に電車・気動車の別編成が救援に向かうことが常態化している。しかし、大井川鐵道は現在でも救援や甲種回送は機関車が担当することが多く、特に重く粘着力の高いE10形救援出場が散見される。挙句の果てには、SLを使う場合も。
また、「きかんしゃトーマス号」のシーズンになると電車予備車がなくなるため、車両故障が起きた際はEL牽引の客車列車が運行されることがある。
2019年には牽引可能なSLも不足してしまい、SL故障により「かわね路号」をELが牽引する日が続いた。ただし、令和時代においては非常に珍しくなったELが旧型客車を牽く光景はコアなファンに好評であり、これを目当てに乗り鉄や撮り鉄が集まった。なお、この時初めてE31形が重連運転を披露し、ファンを沸かせた。
その後、味を占めたのかファン向けにEL牽引客車列車で以前の長距離鈍行を再現する(11時間29分乗りっぱなし)企画なども行っている。
関連タグ
南海電気鉄道 近畿日本鉄道 京阪電気鉄道 東急電鉄 西武鉄道 国鉄 JR北海道
SLマン:1998年にイベント列車として運行されたことがある。
ゆるキャン△:大井川沿いでキャンプする話で登場。単行本10巻と11巻の背景にも描かれている。