概要
1971年にAL車の3800系29両と800形1両の機器を利用して新造された車両。4両編成3本・2両編成9本の合計30両が製造された。
車体は7700系に準じた2ドア・転換クロスシート・固定窓・冷暖房を装備。車体は7700系に準じているものの先頭部が平らで貫通扉の窓が大きく、先頭部の連結器が並型自動連結器になっているという違いがある。
特急運用も想定していたためミュージックホーンと座席指定表示器も備えていた。
機器類は3800系及び800形と同一だが、電動発電機は冷房電源のために出力60kVAの大出力タイプを搭載。台車は登場当初は日車D-18形を装備していたが、1978年よりFS-36形に交換されている。また台車の交換と同時にコンプレッサーもC-1000形へと更新されている。
7700系同様パノラマカーの派生形式でありながら前面展望型ではなかったため「セミパノラマカー」と呼ばれていたが、機器流用車であることもあって登場時は「パノラマもどき」、「似非パノラマカー」とも揶揄されていた。
当初はAL車全車両を本形式に更新する予定だったが、完全新製車への要望が強かったため製造は全30両にとどまった。
名鉄時代
1971年に支線直通特急用として登場。後の7700系の増備進行で支線直通特急だけでなく1500V線区での普通列車から特急まで幅広く運用されるようになり、他のAL車との共通運用を組んでいた。
全車両が冷房化されていたため、SR車ながら非冷房の5000系・5200系よりもサービスの良い車両だった。
末期は三河線のほか小牧線、各務原線、広見線、拳母線などで運用され、800形や3400系との混結も見られた。
1997年4月にさよなら運転を実施して名鉄の車両としては廃車され、FS-36台車を3400系へ供出するために解体されたサ7401とモ7451以外の28両が豊橋鉄道へ移籍した。
豊橋鉄道時代
豊橋鉄道では自社渥美線の架線電圧を600Vから1500Vへ昇圧し、列車の増発を行うこととした。
この際に名鉄で廃車となった7300系を譲り受けて従来車全車を置き換えることになり、28両を譲り受けた。なお従来車全車が対象なので、せっかくカルダン駆動で竣工させた1900系も廃車対象となっている。
塗装は赤色をベースにクリーム色の帯を配したものに変えられたが、7302Fは黄色をベースに黄緑の帯を巻いたものに、7307Fは水色をベースに白の帯を巻いたものに変更され、それぞれ「なのはな号」「なぎさ号」と名付けられた。
入線当初は方向板を使用していたが、間もなく1900系から電動式行先表示器を移植して行先表示器が前面に新設された。この時に正面貫通扉は閉鎖されている。
豊橋鉄道では渥美線用車両について4桁の車両形式のうち、千の位と百の位で車体長を示しているが7300系については名鉄時代の形式のまま営業入りさせている。
多客時には4両固定編成または2+2で4両編成の運用もあったが、高師駅はホーム有効長が3両であり最後尾のドアはホームからはみ出していた。締切でおなじみの名鉄由来の車両だったが本形式にはその機能がなかったようで、ホームからはみ出したままドアが開いていた。
昇圧と同時にダイヤ改正を行って列車増発も実施したが、起動加速度の低さと2ドアクロスシート車のためにラッシュ時の遅延も発生しやすくなった。結局増発ダイヤは元に戻され、2000年より東急電鉄で廃車となった7200系を購入して置き換えられることになり、2002年に最後まで残った1編成が廃車されて形式消滅となった。
なお大井川鉄道から譲渡の引き合いがあったが、現地調査の結果足回りの劣化が激しいことがわかり立ち消えとなった。これを受けて後に近鉄の16000系16003Fが譲渡されたとも言われている。
廃車後、車両代無料(輸送費は自己負担)という形で一部が譲渡された。
以下は2020年10月現在、Googleストリートビューで現存を確認できる車両である。
形式 | 所在地 | 備考 |
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モ7302 | 奈良県吉野郡野迫川村 | アドベンチャーランドという山間のキャンプ場敷地内。一体どうやって運んでいったんだという細い山道の先にある。 |
ク7202 | 愛知県豊橋市 | 譲渡車の中で最も渥美線に近い位置に保存されている。建設会社の所有で「ナノハナ電車広場」と銘打たれており、公道からもその様子を見ることが出来る。 |
モ7307 | 静岡県周智郡森町 | 個人所有。白いフェンスに囲まれた敷地内に保存されているが、柵の高さは低く目の前を通る静岡県道58号線からも十分見える。 |
モ7311 | 大阪府河内長野市松ケ丘東町 | 同地の運送会社の所有。公道からはやや見えにくい奥まった位置にあるが、隣接する快活CLUBの駐車場から見ることが出来る。 |