国鉄と広島電鉄、豊橋鉄道に3800形を名乗る車両はいたが、3800系を名乗ったのは名鉄の本形式だけである。
概要
1948年に運輸省規格形電車に基づいて新造された電車。自動進段式のいわゆるAL車で、1954年までに71両が導入された。この両数は7000系パノラマカーの導入まで名鉄における単一系列在籍数ナンバーワンである。勿論AL車でもナンバーワン。
名鉄で廃車となった後も一部は地方私鉄へと譲渡され、最終的に1989年まで運用された。
ちなみに本系列の導入数が71両と中途半端なのは、1954年に旧愛知電気鉄道が導入したモ3250形3251号車が荷物電車へ改造される際に不要となる旧車体の台枠を半田市の輸送機工業社(旧中島飛行機系の会社で1960年代までは鉄道車両を製造していた。2004年に富士重工業傘下に入り、現在は航空機部品を製造している)が引き取ることを希望し、見返りとして同社で制御車1両だけ追加新造されたため。この追加分は常に他形式に連結して運用された。
構造
車体は全長17m、幅2.7mの半鋼製片運転台車体で、片側2ドアのオールロングシート車。
モーターは東洋電機製造TDK-528/9-HM直流直巻電動機(出力112.5kw)をモ3800に4機搭載。このモーターは運輸省策定の規格品だが、TDK528系自体は1935年から名鉄で採用例がある。
制御装置は電動カム軸制御の東洋電機製造ES-516-C間接自動進段制御器。こちらも名鉄での採用例が既に存在している。
台車は日本車輌製のD18をモ3800・ク2800の両方で装備しているが、輸送機工業製のク2836のみ国鉄の中古品であるTR14を装備。
運用
現在の名古屋本線の形が出来上がった西部線の1500V昇圧と東西直通運転がスタートした1948年5月12日より運用を開始。ただし車両製造スケジュールの関係で竣工日が運用開始数日前で、試運転なしで営業運転へ就役するという現代ではとても考えられない事態となっていた。
試運転なしの投入が災いして初期故障を連発しすぐに運用を離脱。さらに西部線は急ピッチな昇圧に伴い変電所の故障や昇圧改造車の発火事故も相次いだため、当時の新聞で「罪作りな昇圧」と酷評されてしまった。
しかし戦中から終戦直後の酷使で荒れ果てていた車両ばかりだった当時の名鉄で窓ガラスが完備された新車は乗客・現場の双方から歓迎され、修理を実施して営業運転へと復帰した。
1949年に導入された車両は運用上の制約が大きかった初代3700系を他社に譲渡する代わりに製造された。
更新修繕
1962年より外板の張替えなど構体修繕工事が全車両を対象にスタート。修繕工事を受けた車両のうち過半数は高運転台化、運転台周りの構体強化を受けている。
1968年から70年にかけて一部車両を対象に客用扉間の座席をロングシートから転換クロスシートへ改造。改造を受けた編成はストロークリーム地に赤帯の塗装(メインイラスト中央)へと変更され、従来のダークグリーン一色(メインイラスト上)の重苦しい雰囲気を払拭している。
転換クロスシートへの改造対象から外れた初期編成の廃車が1967年よりスタート。3805・3807・3808・3809・3811・3812・3813・3814・3815の各編成が1970年までに廃車となり、全編成が富山地方鉄道、大井川鉄道、豊橋鉄道へ譲渡された。
7300系への機器供出
1969年には踏切事故に被災して大破したク2835が廃車。相方を喪ったモ3835はモ3818とペアを組んでいたク2818を新たなペアに迎えた。なおモ3835はクロスシートへ改造されていたのに対し、ク2818は初期車のためにクロスシートへ改造されておらず、同じ編成内で車内設備が全く違う異色の編成となった。ク2818は内装がロングシートのままストロークリームに赤帯のクロスシート仕様の車体色に変更されている。
なおク2818を召し上げられたモ3818はモ3816-ク2816の編成中間へと組み込まれ、モ3816を電装解除してク2815へと改番。1M2Tの3両編成で築港線専用車へ転用された。築港線は路線が平坦で距離が短い上に運転速度が低く、1M2Tでも大した問題にはならなかったようだ。
更に3800系の主要機器を流用してセミパノラマカー7700系に準じた車体を持つ7300系の新造が計画されると、クロスシートに改造されなかった編成を対象に廃車が決定。3801・3802・3803・3804・3806・3810・3817・3819・3820・3822・3823・3824・3825・3829の各編成と事故被災車のク2835の29両分の機器が7300系への転用のために廃車となった。なお3822編成と3829編成は車体だけの状態で大井川鉄道へと譲渡された。
オイルショックに伴う延命工事
当初はAL車の車体更新を推進して7300系を大量投入する予定だったが、高度経済成長に伴う輸送量増加でそれどころではなくなったのとオイルショックによる輸送量激増で廃車が中断。
1973年から車内照明を蛍光灯に更新し、ワイパーの自動化、D18台車の軸受のローラーベアリング化を残存全車に対して施工した。
翌年にはクロスシート改造編成を対象にドア付近のクロスシートを一部撤去して立席スペースを拡大。更に名鉄の保有車両の標準塗装が名鉄スカーレット単色に変更されたため、塗装を名鉄スカーレット単色に変更した。
更に廃線となった東濃鉄道駄知線で使用されていたモハ110・クハ210の譲渡を受け、整備の後に築港線へ3790系として投入。
これによりク2815-モ3818-ク2816のうち、モ3818-ク2816が本線系へ転属。ク2815のみ築港線へ残り、3790系の編成中間へと挿入された。
なおモ3561と編成を組み、1両だけ国鉄の中古品であるTR14台車を履いていたク2836は1979年に7300系のFS-36台車への換装で余剰となったD18台車へと換装された。
退役
本格的な通勤車である6000系の投入開始で残存していた編成の廃車が1981年より再開。3818・3832編成が同年に廃車された。1984年には築港線に残っていたク2815が3790系と共に廃車となった。
なお同時期に東急電鉄から譲渡された3880系が廃車となり、これによって発生したKS-33E型台車をク2818・2821・2826・2827・2828・2830・2831・2833・2834・2836の10両へ転用。それまで履いていたD18台車はHL車の3700系列へと転用された。
1987年から89年にかけて本系列を含むAL・HL車の大量廃車を実施。89年9月の3827編成の廃車で本系列は形式消滅となった。
譲渡車
富山地方鉄道
1967年より廃車となった3807・3808・3809の3編成が名鉄からの借り入れという形で富山地鉄線へ入線。この3編成は翌年5月に正式譲渡され、翌月には3811・3812・3814・3815の4編成が借り入れからの譲渡という流れを辿った。
正式譲渡後は形式を14710形へと改めたが、車内への暖房装置追加と塗装の変更のみで運用された。
その後の動向は14710形の項目を参照されたい。
大井川鐵道
1970年に3805編成の譲渡を受け、310系としてデビューさせた。なお譲渡に際して名鉄鳴海工場で扉間の座席を転換クロスシートに交換している。
運行開始時は電車急行「すまた」に投入され、専用のヘッドマークを掲出して運行した。
1972年には車体だけの状態の3822・3829編成を譲り受け、大井川鐵道手持ちの旧型車の機器と組み合わされ、名鉄時代の形式・車両番号のまま再デビューした。
この2編成は当初は両編成ともロングシートだったが、3822編成のみ初代ビスタカーの廃車発生品とされる転換クロスシートに交換され、電車急行「すまた」運用に就いた。
1986年、310系クハ510をベースにトロッコ客車のクハ861へ改造。これによってペアを失ったモハ310は1992年に廃車された。
クハ861は夏季納涼展望列車に投入され、電車あるいは蒸気機関車・電気機関車牽引の客車列車に併結して運行された。
1988年には3829編成を対象にパノラマカーの廃車部品を流用して転換クロスシートへの改装を実施。両編成共にクロスシートとなった。
しかし老朽化が進行したことから元南海21001系や元近鉄16000系へと置き換えられる形で1997年から98年にかけて廃車され、99年にはクハ861も廃車され形式消滅となった。
クハ861の廃車体は長らく千頭駅に放置されていたが、2014年に新金谷駅の構外側線に移動されて解体された。
豊橋鉄道
1969年に3813編成が入線。入線に際して主要機器を旧型国電(クモハ12形、クモハ14形各1両)のものに載せ替え、軸重制限からモ3818に4機搭載されていたモーターを2機ク2813へ移設しパンタグラフを増設、補助電源装置に実用化間もないSIVへの載せ替えも行った。塗装はストロークリームベースに赤帯を配したものへと塗り替えた。
その他の大規模な改造は実施されず、形式をモ1720・モ1770に改めたぐらいで1970年より運用を開始。後年正面貫通扉を埋め込み、前面腰板中央部に行先表示器を増設する改造を受け、同社渥美線で1991年まで運用された。