概要
1967年より廃車となった3800系の3807・3808・3809の3編成が名鉄からの借り入れという形で富山地鉄線へ入線。この3編成は翌年5月に正式譲渡され、翌月には同系の3811・3812・3814・3815の4編成が借り入れからの譲渡という流れを辿った。
3800系自体は先に導入されていた自社発注車14750形と同様に運輸省規格型であったこと、また、車体が14750形と同じタイプの「A'形(車体長17m・車体幅2.7m)」であったこと、さらに14750形と同様に東洋電機製の機器を使用していたことから、互換性が高いということで譲渡に至ったとされている。
正式譲渡後は形式を14710形へと改めたが、車内への暖房装置追加と塗装の変更のみで運用された。
なお、本系列の導入によりピクシブに作品のない雑多な旧型車が大量に淘汰された。
その後の沿革
1973年、立山線の特急増発に際して14713・14715・14716・14717の4編成を対象に扉間の座席を固定クロスシートへ交換し、補助席と灰皿を増設し、側窓の日除けを鎧戸からロールカーテンへ交換し、車内壁部をクリーム色のペイント仕上げに改め、塗装を国鉄12系に似た濃紺地に白帯を配したものに変更するなどの特急運用に適した改装を実施。
1975年から79年にかけてモハ14710の台車をD18から日本車輌NA-35形へ交換し、全車を対象にした証明の蛍光灯化、扇風機新設、つり革増設、客用扉の交換などを実施した。
1981年からは車体外板の張り替えや正面貫通扉の埋め込みを実施し、同時に高運転台だった14717・14718の両編成は低運転台へと戻された。
なお地鉄の他の形式とはブレーキなど一部の仕様が異なっていたために併結運転が出来なかったが、阪急電鉄から譲り受けたHSC電磁直通ブレーキの部品を使用して電磁直通ブレーキ化を行い、同時にマスコン段数の4段化と連結器の交換を行い、運用の制約を解消した。
1985年より塗装がオパールホワイトをベースに窓まわりをダブグレー、窓下にシンカシャレッドの帯を配置した標準塗装へと変更された。
1991年より京阪初代3000系を譲り受けることとなり、1993年までに全廃となった。なお運転台のブレーキ弁は10030形へ転用された。