初代京阪3000系
当初
当時の京阪特急車両を7両編成化、増発させる際、特急用の1900系だけでは足りない為、不足する特急用車両の補充として1次車3両編成4本計12両が1971年7月から投入されたのが始まり。この時、1900系以上の質の良さと好評により特急車を全車3000系に統一することになった。
これ以降18年間は特急用車両の地位を維持してきたが、京阪鴨東線開業で特急用車両が不足するのに伴い京阪8000系が導入されると、車内の内装や外観などで8000系が好評となったため、特急用車両全車が8000系で置き換えることになった。この際、7両1編成と予備先頭車2両が京阪にとどまった。京阪に残った1編成は1995年に中間車1両がダブルデッカー化改造され、さらに8両編成化の際は予備先頭車2両から中間車1両を仕立て上げて組み込んだ。
残らなかった3000系は先頭車のみ富山地方鉄道と大井川鉄道に譲渡された。富山地方鉄道の車両は現在も活躍している(レールの幅が異なるため、台車は別会社から調達)。
晩年
二代目3000系の運転開始に伴い、初代3000系のうち京阪に残った1編成は8000系30番台に改称の上、編入となった。その後、2013年の退役が決まり、2012年9月29日に前面の特急サボと車番が登場当時の物に変更され、2013年3月31日に運行終了。
引退後、中間に挿まれていたダブルデッカー3805(元車番3608、8831)号車が富山地方鉄道に譲渡され、各種改造の後、以前に譲渡済みの10030形第2編成を原色に戻したうえで組み込まれ「ダブルデッカーエキスプレス」として2013年8月から運行を開始した。富山地鉄でのダブルデッカーの形式番号は「サハ31」で、側面の時代祭絵巻イラストもそのままで運行されている。なお、「ダブルデッカーエキスプレス」は特急(特急うなづき号)運用時にダブルデッカーを利用する際には特急料金のほかに座席指定料金が必要となる。京阪時代とは違い気軽に乗れなくなった。
京阪で最後まで残った編成の大阪寄り先頭車8081(元番3006→3055)は、ニコニコ超会議のイベントにおいて公開解体が行われ、解体部品はオークションにかけられた。その際、復刻した前面の鳩マーク特急サボが70万円で落札された。
また、京都寄り先頭車・8531(元番3505。テレビカー)については、寝屋川工場で整備の上、京阪樟葉駅前の「KUZUHA MALL」内の「SANZEN-HIROBA」にて車内を含めて一般公開されている。公開に際しては、可能なかぎり登場当時の姿に復元(シートモケットも登場当時のと同じタイプに張り替えられている)されており、「デジタル動態保存」として運転台を使用した運転シミュレーターも設けられている。
その他
特急運用の主力だった時代、貫通幌の車内側にトイレボールを目に付かない状態で置いていた。これは、当時は京阪間の無停車区間が長く、乗客が密かに放尿に及ぶケースが絶えなかったためという。
二代目京阪3000系
京阪電気鉄道中之島線開業にあわせ、2008年に営業運転を開始した3扉転換クロス車両。座席は2列+1列配置となっており、快速急行、特急として使用されている。愛称はコンフォート・サルーン。
2009年度鉄道友の会ローレル賞、及び2009年度グッドデザイン賞受賞。新種別「快速急行」用に導入された車両であるが、僅か3年で快速急行の仕事を奪われ、元ハズレ特急9000系に代わり、8000系とともに京阪特急の仕事がメインである。
2021年9月の減便ダイヤ改正で特急毎時6本のうち2本が快速急行に格下げされ、その運用に就く形で快速急行運用が復活した。