概要
1958年に試作された近畿日本鉄道10000系電車以来、日本国有鉄道が新幹線100系を開発するまで国内で唯一、運用されてきた2階建て特急形電車。
ビスタカーは当時近鉄社長であった佐伯勇が海外に出張した際、アメリカ合衆国の鉄道にあった「ビスタドームカー」と呼ばれる展望車からヒントを得たと言われている。
「ビスタ」とは「展望」を意味し、ビスタカーとはすなわち展望車である。
ちなみに近鉄の車両で愛称を持つ形式はラビットカーに次いで2例目。
「ビスタカー」の愛称がついている形式は以下の5形式が該当する。
「ビスタカー」は編成内に2階建ての車両が組み込まれた形式が該当し、塗装が同一でも編成全体が平屋建て構造の形式は「ビスタカー」には該当しない。
大井川鉄道には元近鉄特急の16000系が在籍しているが、その車両は「ビスタカー」ではなく南大阪線系統で活躍していた平屋建ての「吉野特急」である。汎用特急形車両の愛称については以下のリンク先を参照してほしい。
特にエースカーとサニーカーはビスタカーと併結されることが多く混同されがちである。
近鉄特急栄衰記
10000系の後、連接車の10100系が開発された。当時近鉄の看板列車と言えば国鉄と激しいバトルを繰り広げていた名阪ノンストップだった。10000系登場時は名古屋線が改軌前だった(当時は国鉄と同じ1067mm軌間だった)のと善光寺の急カーブのため名阪甲特急は伊勢中川で乗り継ぎ、大阪線側の列車は間合いで山田線に足を伸ばしていた。
しかし名古屋線改軌にあわせて量産型ビスタカーである10100系が登場し、名阪ノンストップは直通列車となり、「ビスタカー」は近鉄特急のスターとなった。
ところが1964年、東京オリンピックに日本中が沸く中でただ1人近鉄は大凋落をする。
そう、東海道新幹線の開業である。
当時は国鉄運賃も安く所要時間も半分とあってはてんで勝負にならず、乗客は激減。それまでビスタカー3連接×2で運転されていたものが、ビスタカーは1編成のみとしそれにエースカー10400系・11400系2両程度を組み合わせた編成にグレードダウン。名阪ノンストップに対する停車駅の多い乙特急用に開発されたはずのエースカーはこのあおりで名阪ノンストップにも投入されるようになった。
しかしながら、特に前面デザインが共通の旧エースカー10400系との組み合わせはビスタだけの編成ともまた違った趣があり、VstaとAceの組み合わせであることからVA編成と呼ばれて親しまれた。
だが、名阪ノンストップの凋落はとどまらず、ついにビスタカーの名阪ノンストップ撤退が決定した。以降、ビスタカーは阪伊特急・名伊特急など、名阪ノンストップの仇である新幹線からの乗り継ぎ観光特急へと転用されることになった。
一方名阪ノンストップにはスナックカー12000系・12200系が開発されたが、これでとうとう2両編成にまで落ちぶれた。廃止論や単行特急案まで出る状態だった。
この間、京都線・奈良線など600V電化の区間の1500V昇圧が完成。近鉄特急網の広がりに合わせて、ビスタカーはあらゆる線区に進出していく。
ところがその過程で問題が起こった。名阪ノンストップで使用することが前提の10100系は、停車駅の多い観光特急には乗降効率など問題が多かったのだ。
そこで開発されたのが30000系である。
ここで近鉄は当初、30000系を「ニュービスタカー」と呼称した。が、それまで10000系が「旧ビスタカー」、10100系が「新ビスタカー」と呼ばれていたのだが、「『新』と『ニュー(New)』じゃ意味が同じやろと方々からツッコミが入る。さすが大阪。
そこで、それまでも近鉄特急の追いかけで有名だった「鉄道ファン」誌が10000系を「ビスタI世」、10100系を「ビスタII世」、30000系を「ビスタIII世」と呼称するようになった。1978年12月の試乗会の広告では近鉄側でもこの呼称を用いており、これも合わせて広く定着した。1979年の10100系のさよなら運転でも「さよならII世運転」というヘッドマークが掲げられている。
ちなみにこの時点で10000系は引退しており「ビスタI世」は引退後に付けられた通称という形になる。
さて名伊特急・阪伊特急など観光特急用に開発された30000系だったが、ここでまたしても転機が訪れる。
1970年代後半、国鉄は労使闘争とそれを原因とする急激な収支悪化に伴う値上げの頻発、さらには労組が夜間作業に反対したため特定日の日中運休など、今のJRですら信じられないグダグダの泥沼に転がり落ちていったのだ。
ここに名阪ノンストップは不死鳥のごとく蘇る。
スナックカー2連では当然足りず4連、6連、と増結が繰り返され、もとより小所帯のスナックカーだけでは定数が満たせず、エースカー、サニーカー(12400系・12410系・12600系)にいたるまで動員されさながら近鉄特急オールスターの様相を呈した。
そしてついに1985年、名阪ノンストップ定数一部8連化に伴い、10100系の無念を晴らすべく30000系ビスタIII世の名阪ノンストップ充当が始まった。これに伴い、5年ぶりに30000系1編成が増備された(30215F)。
ビスタIII世はビスタカー同士の重連は基本的にやらない(設計当初の構造では出来ない)が、エースカーを連結した8連の堂々たる編成は近鉄特急ファンに大いに溜飲を下させた。
1988年、名阪ノンストップの更なる拡大を狙って21000系アーバンライナーが登場、30000系は名阪ノンストップから退いた。
だが、アーバンライナー登場以前は近鉄特急の紛れもない代表格、フラッグシップであったビスタカーの人気も根強い。後継のアーバンライナーはスピード感ある流線型とはいえ6両とも平屋建てであるため、1980年以前に生まれた近鉄ファンからは「やっぱり近鉄と言えばビスタカーだよなぁ」と言われがちである。
「ビスタII世」、「III世(ビスタEX)」はブルーリボン賞の栄誉にもあずかっている。
なお、(“しまかぜ”を除けば)現在も“最新”である30000系の登場は1978年。
2018年でデビュー40周年を迎えた。
特急用車輛は鉄道会社の“顔(イメージリーダー)”であり、古くさい、みっともない車輛は表に出せない。
性能、サービス面の陳腐化などから20年前後で引退する例も少なくないところ、2度も更新工事を受けて、なお第一線で活躍するあたり、特急車両界の異能生存体とも言えるだろう。
新幹線100系の引退などで、ダブルデッカーの希少性が再び高まっている点も幸いしているのかもしれない。
関連タグ
2階建て車両 近鉄特急 近畿日本鉄道 ダブルデッカー ビスタEX
しまかぜ(50000系):これも2階建て車両付き。VISTA CARのロゴこそついていないが、電算記号(編成番号の頭文字)はSV(Shimakaze Vistaの頭文字)である。
ひのとり(80000系):2階建て車両は連結していないが、電算記号はHV(Hinotori Vistaの頭文字)である。