製造時
名古屋線標準軌化(改軌)に合わせ、近畿日本鉄道が1959年より投入した特急形車両で、2階建て車「ビスタカー」の2代目(資料により2代目ビスタカー、新ビスタカー、ビスタII世などと呼ばれる)。名阪特急向け。
初代「ビスタカー」10000系は試作車の立ち位置であり、10000系のデータを元に量産されたのがこの10100系である。全台車にモーターの付いた強力な足回りになっていて、青山越えをラクラクとできるようになっている。
他系列の特急形車両との連結運転を考慮して3両連接車として製造され、このうち中央の車両が2階建て(ダブルデッカー)仕様となっている。また、先頭車の前面は非貫通型(流線形)と貫通型の2種類が用され、名古屋方向非貫通型の編成を「A編成」、上本町駅方向非貫通型の編成を「B編成」、両側とも貫通型の編成を「C編成」に分類。全18編成のうち第1~5編成が「A編成」、第6~10編成が「B編成」、残りの編成が「C編成」である。
この貫通型の先頭形状は車掌側を腰辺りまで窓にした左右非対称のもので、車内からの眺望もよくエースカーにも受け継がれた。
車内構成は2階建て車の1階席がボックスシート、それ以外が回転クロスシート配置。座席にはシートラジオがあり、消毒ボックスからイアホンを取り出してラジオを聞けるようになっていた。また、電話室も備え、列車から電話をすることも可能であった。そして2階建て車の1階には車内販売準備室があり、晩年はスナックコーナーに改造して「スナックカー」として営業した。
エアコンは、2階建て車については大型の冷房装置を2機設置し、両側の車両までエアダクトで送り込む形式(他に座席下にヒーターあり)。もっとも両端の車両の先頭よりはあまり冷気が来ない欠点があった。
トイレは中央車両の1階に垂れ流しのものが設けられたが、タンク式のトイレにする際に頭上の2階席を撤去し、1階から階段を上がるタイプに改造された(上げた下のスペースにタンクを設置)。
頭上の2階部分は荷物置き場に使われた。
廃車とその後
ところが、2階建て車の冷房装置の性能悪化、非貫通型(流線形)先頭車の存在による運用制約、乗降扉の数の少なさが問題となり、製造から20年程度になる1977年をめどに廃車を開始することに。1979年までに全編成が営業運転を終了し、また後継の2階建て車として「ビスタカー」の3代目・30000系を開発・製造することになった。
これ以降、近鉄の新造車両はすべてボギー車となっており、連接車は登場していない(※近鉄の連接車そのものは200系の三岐鉄道北勢線移籍によって消滅している)。
床下機器類はまだまだ使用できることから、新造コスト削減を目的として30000系一部編成と2000系に流用している(※なお、30000系は1990年代に床下機器を別の流用品へ交換している)。