概要
大阪府大阪市天王寺区上本町6-1-55所在の近畿日本鉄道(近鉄)大阪線、奈良線/難波線の鉄道駅。駅番号は大阪線D03、奈良線A03。
当駅には駅長が配置されているが、他の駅の駅長と異なり、当駅のみを管理する。
駅名が「上本町」駅だった時代から、大阪側のターミナルを強調するために「大阪上本町」と案内されることが多かった。
歴史
1914年4月30日、大阪電気軌道(大軌)の駅として上本町駅として開業。この時は現在よりも北に駅があった。駅前に大阪市電が走り、上本町六丁目電停から九条高津線でミナミの繁華街、上本町線で四天王寺、大手前上本町線で大阪城や大阪府庁へと、大阪市の東の玄関となっていた。
1926年9月16日、道路拡張工事により駅が南に移転するとともに、武田五一・片岡安の設計による日本初の駅ビルが開業した。
1936年9月26日に直営の大軌百貨店が開店。これは現在の近鉄百貨店上本町店であり、現在も営業している。
1941年3月15日に大軌が参宮急行電鉄を合併し、この駅は関西急行電鉄の駅に。1944年6月1日、戦時統合により近畿日本鉄道株式会社の駅になる。
1969年11月23日、難波線開業に備え、村野藤吾設計の駅ビル新館(現在の南半分)が完成。
1970年3月1日に地下ホームの使用を開始、15日に難波線が開業。
1971年4月1日に駅ビル旧館を閉鎖。その跡地に1973年6月14日、新たな駅ビルが完成(現在の北半分)。大阪線のりばの上のフロアにボウリング場「近鉄ボウル」が開業(1983年に閉鎖され、現在はシェラトン都ホテル大阪の宴会場となっている)。
1985年10月3日、都ホテル大阪と近鉄劇場が開業し、ターミナル再開発事業が完成。大阪線のりばが10両編成対応となる。
2004年2月4日に近鉄劇場を閉鎖。
2009年3月20日、阪神なんば線の開業と同時に現駅名へ改称。
近鉄劇場跡地に難波から新歌舞伎座を誘致し、2010年8月26日に新歌舞伎座・商業施設とオフィスからなる「上本町YUFURA」を開業した。
駅構造
大阪線の地上ターミナルと難波線・奈良線の地下ホームに分けられている。ホーム有効長はいずれも10両。地下ホームと地上ホームは改札内の階段とエスカレーターでつながっている。
改札は地上に1箇所、地下に3箇所設置されている。
地下コンコースはOsaka Metroの谷町九丁目駅につながっている。そのため地下ホームにつながる出入口には、「近鉄線」「地下鉄(谷町線・千日前線)」が表示されている。
9番のりばは、2018年現在近鉄で最大のホーム番号である。
地下3階(難波線・奈良線のりば)
相対式ホーム2面2線。使われることは少ないが、鶴橋寄りに両渡り線がある。
いずれののりばにもエレベーター・エスカレーターがある。
地上ホーム(大阪線のりば)
櫛形ホーム7面6線。
いずれも種別毎にのりばの区別はなされていない。
ホームの構成は北から4番のりば、降車ホーム、5・6番のりば、降車ホーム、7・8番のりば、9番のりば。8・9番のりばは同じ線路を共有している。大阪阿部野橋駅の5・6番のりばも同様。3番のりばは2024年3月のダイヤ改正で廃止され使用されなくなった。跡地をバスターミナルの拡張とその通路に充てることになっている。
ホーム幅が狭く、発車時刻よりかなり早い時刻より電車が入線する。これは乗客がホームにあふれるのを防ぐためであり、夕方には大阪阿部野橋駅でも帰宅する通勤客でホームがあふれないよう、同様の措置をとる。
7~9番のりばの線路から延びる形で引き上げ線がある。主に特急車両が増結・切り離しを行う時に使われる。
地上のりばから特急が発車することを知らせる際、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの「水上の音楽」第2組曲より第2曲「アラ・ホーンパイプ」が流れる。
特急電車は7時〜19時までに1時間に1本、地上9番のりばから阪伊乙特急(松阪、宇治山田、鳥羽行き)が発車する。なお8時と9時のみ、地上のりばから賢島行き特急が発車し、毎時2本となる。地上のりばから発車する際、構内放送で案内することがある。かつては伊勢方面の特急と平日1本のみ名古屋行き特急が出ていたが、今は大阪難波からの始発となっている。
20時以降の特急はすべて地下1番のりばからの発車となる。
配線の変化
開業時は発着線2本をホーム3面がはさむ構成だった。
1926年9月に移転した際には、出発線と到着線が立体交差するようになった。櫛形ホームの手前に降車用ホームがあり、電車はここで乗客を降ろした後乗車ホームに入線した。
1930年に参宮急行電鉄(大鉄の子会社で直通運転先)が山田駅(現在の伊勢市駅)まで開通するのに備え、3両編成用の発着線を2線設置。1933年にはそのうち1線を6両編成分まで延長し、1939年にはさらに6両編成分の発着線を南に1線設置。これらのホームに発着する4両編成以上の電車は直接下り線に合流できず、しばらく上り線を逆走し、当駅と鶴橋駅の間にある渡り線で下り線に合流するという非効率な運用を余儀なくされた。
戦後の1956年には、大阪線と奈良線を分離し、線路別に複々線化する工事を行った。上本町駅も改造が行われ、降車ホームと立体交差を廃止し、櫛形ホーム9面8線となり、奈良線と大阪線がそれぞれ4線ずつ使用した。1969年11月23日までに大阪線ホームを8両編成対応に延長した。
1970年3月1日には、難波線完成に伴い奈良線を地下ホームに移転、この時は難波線では営業運転を行わず、難波まで習熟運転として往復し、上本町に到着後再び客扱いを行った。3月15日に営業運転を開始し、この時から地上6線は大阪線専用となった。
1985年10月3日、大阪線ホームが10両編成分に延長。1993年には引き上げ線を新設。
利用状況
- 2021年(令和3年)度の1日平均乗降人員は60,382人である(令和3年近鉄移動円滑化取組報告書より)。
年度別
年度 | 乗降人員 |
---|---|
2008年(平成20年)度 | 72,992人 |
2009年(平成21年)度 | 70,950人 |
2010年(平成22年)度 | 71,856人 |
2011年(平成23年)度 | 71,492人 |
2012年(平成24年)度 | 71,718人 |
2013年(平成25年)度 | 72,908人 |
2014年(平成26年)度 | 70,868人 |
2015年(平成27年)度 | 71,384人 |
2016年(平成28年)度 | 71,982人 |
2017年(平成29年)度 | 72,644人 |
2018年(平成30年)度 | 72,780人 |
2019年(令和元年)度 | 77,990人 |
2020年(令和2年)度 | 56,938人 |
2021年(令和3年)度 | 60,382人 |
駅周辺
駅の所在地の町名並びに駅前にある千日前通と上町筋の交差点の名前が「上本町6丁目」であることから、「上六」の通称で知られる。
中学・高校が多く立ち並び、帰宅時間帯ともなると制服姿の彼らが多く乗り込み、主要な利用客となっている。また駿台予備校の大阪校なども上六近くに立地。
また創価学会の関西拠点(現在は関西池田記念会館)も長年上六近くにあり、行事の日には関係者が多く見受けられる。
地下鉄の「谷町九丁目駅」やその名前の由来の谷町筋と千日前通の交差点も徒歩圏内の位置であり、上六と谷九はまとめてひとつの街とされることも多いが、谷九は江戸時代来の寺町であり町としての性格は異なる。
- 近鉄グループホールディングス株式会社・近畿日本鉄道株式会社本社
- 近鉄百貨店上本町店
- シェラトン都ホテル大阪
- 上本町YUFURA
- 新歌舞伎座
- ハーベス
- うえほんまちハイハイタウン
- KOHYO
- 成城石井
- 阪急オアシス
- ドン・キホーテ
- 大阪明星学園 (明星中学校・高等学校)
- 清風中学校・高等学校
- 上宮中学校・高等学校
- 大阪国際交流センター
- 大阪赤十字病院
- 谷町九丁目駅
- 生國魂神社
- 高津宮
バスのりば
- 2階のバスセンターから、大阪国際空港に向かうリムジンバス(大阪空港交通)が発車する。
- 1階のシェラトン都ホテル大阪からは、谷町筋もしくは松屋町筋経由であべのハルカス(大阪阿部野橋駅)に向かう「あべの・上本町シャトルバス」(近鉄バス)、関西国際空港に向かうリムジンバス(近鉄バス・関西空港交通の共同運行)が発車する。
- 1階の上本町YUFURA前からは、大阪赤十字病院に向かう近鉄バス01番、天王寺区役所と大阪警察病院を経てJR桃谷駅に向かう近鉄バス66番が発車する。土日祝日など向かう病院の休診日は運休。
- 上六交差点付近から大阪シティバスが運行する系統が発車し、あべの橋・大阪城・大阪駅前・なんば・生野区・東住吉区・平野区・諏訪神社方面に向かう。
隣の駅
大阪線
- 快速急行・急行・準急・区間準急・普通
- 大阪上本町駅(D03)-鶴橋駅(D04)
難波線・奈良線