概要
大阪府大阪市北区(梅田及びその周辺)にある私鉄・地下鉄各社と、同地にかつて存在したJR貨物の駅。
相互乗り入れはされておらず、乗り換えには改札を出る必要がある。
同地または隣接地にはJR西日本の駅も所在するが、こちらは大阪駅(東海道本線〈JR京都線・JR神戸線・JR宝塚線〉・東海道本線貨物支線〈梅田貨物線・おおさか東線〉・大阪環状線)または北新地駅(JR東西線)と称する。
ただし、(大阪市外から電車が来る)阪急と阪神の梅田駅も、大阪側のターミナルを強調するため「大阪梅田」「大阪」と案内される事がある。また、JR西日本でもごく一部だが「梅田」と表記することがある。なお阪急と阪神は外国人観光客にわかりやすくするため、2019年10月1日に「梅田駅」を「大阪梅田駅」に改称した。
日本国最強のダンジョン駅
ともかくその地下街の方向感覚の狂わせっぷりは有名で、地下街に限れば新宿駅を上回るダンジョンとも評されるほど。
地上に交通量が多い大型道路が走っているために、地上に横断歩道を作るよりも地下街を活用したほうが安全と判断されたのか、駅から外へ移動する場合の移動手段のほとんどが一度地下街に降りて道路の下を通り、再び地上に出るという形をとっている。
しかし、その地下通路を作る過程に迷路の原因があったと思われる。
なぜならこの地下街、元から中心的な都市開発計画の下で一度にまとめて作られたものではない。
そもそもの話、JRを中心に乗り替え等の利便性を考えて各鉄道会社が隣接し合う様に形成された新宿駅と違い、大阪・梅田に中枢駅を置く鉄道会社勢には発足時から競争・住み分け意識しか無く、結果現在同じエリア内に(西梅田&東梅田を含めれば)大阪・梅田駅がそれぞれ離れて6つも存在しているという心優しくない都市状態に成り果てている。
これら駅ビルの地下街同士を後から連絡通路で無理やり連結したような構造体になってしまっており、したがってほぼすべての通路が直角に交差しておらず、三叉路や五叉路も結構な数がある上に、ビルの地下街との深度の兼ね合いで通路に複雑な高低差があるために、自分の居場所を把握するのが非常にややこしい。『迷ったら最悪一度中心であるJR部まで戻ってやり直せばいい』という新宿等でのやり方が通用しないのである。
ビル地下はほぼ同一内装による似たような景色が多いうえに、階層を間違えると同じ座標でも行ける場所が変わってしまうため、地図アプリなどに頼りすぎると、階層が間違っていてよけい混乱することも有る。
地上に出ようにも出れる場所自体がそんなに多くなく、出たとしても高層ビルが多く見通しがあまりよくなく、おまけにビルが乱立する地上と閉鎖的な地下とでは距離感も方向感も全く異なるため参考にならない場合が多い。
そもそも地上からでは近づけない・あるいは途轍もない大回りをしなければならない場所が多いため、嫌でも地下街の迷宮に足を踏み入れなければならないケースもあり、このダンジョンで迷う人が余計多くなる。
流石に不味いと判断されたのか、最近地上に歩道橋が数本建設され、多少は利便性が改善された。
阪神電気鉄道 大阪梅田駅(HS01)
所在地は梅田3丁目。阪神電気鉄道本線の頭端式ターミナル駅。5面4線。阪神百貨店の地下にある。甲子園球場で試合がある時は賑わう。
1〜3番のりばには急行列車や山陽電気鉄道の姫路まで向かう直通特急が発着する。4番のりばは普通列車専用ホーム。
2015年3月より阪神百貨店建て替え工事とともに駅自体の拡大による改良工事が行われていたが、2024年3月16日に完了した(阪神電車HPより)。※1
阪急電鉄 大阪梅田駅(HK-01)
所在地は芝田1丁目。頭端式ターミナル駅。阪急ターミナルビル内の高架駅である。
京都本線・神戸本線・宝塚本線が発着。10面9線は大手私鉄ターミナル駅としては最大級の規模である。当駅から十三駅までは京都・神戸・宝塚各本線の3複線区間である(正確には京都線部分は宝塚線の別線)。
かつてはJR線南側・阪急百貨店の位置にあったが、手狭になり、北側に移設されている。南側にあった時は地上駅→高架駅→地上駅と変わった。高架駅から地上駅への変更は国鉄の高架化によるもので、国鉄高架化及び阪急地上化変更工事は一夜にして行われた。
2014年までは他社の車両が乗り入れたことはなかったが、同年に6000系1編成が能勢電鉄に譲渡されたため同編成が乗り入れるようになった。
阪急梅田駅の北東部に毎日放送(大阪市北区茶屋町に所在)の社屋が存在する。
駅構造
のりば | 路線 | 方面 | 備考 |
---|---|---|---|
1〜3 | 阪急京都線 | 十三・淡路・北千里・高槻市・嵐山・京都河原町方面 | 梅田〜十三間にある中津駅は通過。行楽シーズンには嵐山との臨時列車を運行。 |
4〜6 | 阪急宝塚線 | 十三・箕面・川西能勢口・宝塚・日生中央(能勢電鉄)方面 | 日生中央とは特急日生エクスプレスが平日朝・夕に運行。 |
7〜9 | 阪急神戸線 | 十三・伊丹・西宮北口・神戸三宮・仁川・宝塚(今津線)方面 | 宝塚から今津線経由の準急が平日朝に運行。阪神競馬場開催時には仁川から臨時急行も運行。 |
切符の表記は「梅龱」となっている。「龱」の文字は源ノ角ゴシック(複数言語OTF版以上)、あるいは繁体字フォントが対応。
これは阪急線内には、漢字2文字の「○田」という駅が梅田の他にも5つ(園田、池田、富田、吹田、山田)もあり、係員が駅で改集札していた時代に特に利用客が多い梅田駅からのきっぷであることをすぐに認識しやすくするためのものであった名残で、自動改札が導入され、さらに大阪梅田に改称された現在でも継続している。
特徴
発車メロディは鎌田浩宮による作曲。発車30秒ほど前から以下のイメージの楽曲が流れ、行き先別の終電車が発車する場合は最後の1音が1分以上も鳴り続ける。
- 神戸線:海(音色:アコースティックギター)
- 宝塚線:高級感(音色:トイピアノ)
- 京都線:竹(音色:アナログシンセサイザー)
終電が近づくと名作映画『第三の男』のテーマ曲が流れる。
大きな発車標
3階改札口付近に大きなLED式発車標が設置されている。
駅のホームが現在の場所に移転してからは幕式の号線別発車標が設置されたが、わかりにくいという指摘と老朽化のため、光ファイバー式の発車標「ラガールビジョン」に更新され、1993年から2006年まで使用された。
同時発車
日中は10分ごとに神戸線特急、宝塚線急行、京都線特急が同時に梅田駅を発車する。同時発車シーンは阪急の出版物や広報資料などに使われ、阪急を象徴する。
Osaka Metro 梅田駅(M16)
所在地は角田町。地下鉄御堂筋線の駅。大阪市営地下鉄の駅として営業していたが、2018年に民営化された。Osaka Metroには他に四つ橋線西梅田駅と谷町線東梅田駅があり、改札を一度出て乗り換える必要があるが、乗り換えについては各種特例がある(30分以内に再入場すれば、通常の乗り換えと同様に、運賃を計算する際に乗車距離を通算してもらえる)。北改札と中改札・南改札は直接改札外では繋がっていないため、各線との乗り換え時などは注意が必要。
1933年5月20日に1号線(御堂筋線)の駅として仮駅が開業。1935年10月6日、現在の位置に本駅が開業。東隣に松屋町筋の地下を通る2号線と同一乗り換えができるようもう一つのトンネルが掘られた。のちに2号線専用ホームに計画を変更。軟弱な地盤と闘いながら基礎工事を行ったが、1936年2月10日19時50分ごろ、大崩落事故が発生。雨の影響で土留めに使われていた鋼矢板が一気に崩落し、2人の圧死者を出しただけでなく、大阪駅仮駅舎の東口も翌日まで閉鎖された。これにより2号線との接続計画は中止となった。
1989年になかもず方面行きのホームを移設し、島式ホームの幅が9.1mから24.5mに広げられた。スペースは谷町線計画のものを利用している。なお増設工事の際、国鉄→JR大阪駅の下を国鉄→JR西日本が掘り、それ以外を大阪市が掘った。
中津寄りには南北両方向をつなぐ渡り線がある。
JR貨物 梅田駅
JR西日本の大阪駅の北側に存在した、JR貨物の貨物駅。当時の所在地は大深町で、東海道本線の貨物支線(梅田貨物線)上に位置していた。吹田貨物ターミナル駅・百済貨物ターミナル駅に機能が移転・集約され、2013年3月16日のダイヤ改正で営業終了(同年4月1日付で正式に廃駅)となった。
廃駅後も構内の列車交換設備等の一部はJR西日本に移管され、「梅田信号場」として残されており、駅(跡地)構内の脇を京都から関西空港・和歌山方面へ向かう特急「はるか」・「くろしお」などの列車が通過していた。
梅田貨物線の一部地下線への切り替えに伴い、2023年2月12日を以って梅田信号場は使用停止。地下線への切り替え完了に伴い、同年2月13日に信号場跡地の地下に大阪駅の地下ホーム(21〜24番のりばの通称「うめきたエリア」。駅名の正式決定前は仮称であった「北梅田駅」に因み、「うめきた(大阪)地下駅」とも称された)が設置され、同ホームが暫定的に信号場と同様の扱いで運用された。大阪駅の地下ホームは同年3月18日のダイヤ改正から供用を開始し、特急「はるか」・「くろしお」やおおさか東線の列車が停車するようになった。今後はなにわ筋線も同ホームに乗り入れる予定。
利用状況
阪急電鉄
阪神電気鉄道
利用状況比較表
事業者名 | 阪急電鉄 | 阪神電鉄 |
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年度 | 乗降人員 | 乗降人員 | 乗降人員 |
2008年(平成20年)度 | 543,168人 | 180,210人 | 415,015人 |
2009年(平成21年)度 | 516,280人 | 182,875人 | 415,015人 |
2010年(平成22年)度 | 507,202人 | 165,344人 | 415,015人 |
2011年(平成23年)度 | 522,790人 | 166,427人 | 415,769人 |
2012年(平成24年)度 | 524,578人 | 165,032人 | 424,026人 |
2013年(平成25年)度 | 535,905人 | 165,977人 | 430,526人 |
2014年(平成26年)度 | 540,568人 | 164,755人 | 438,055人 |
2015年(平成27年)度 | 545,067人 | 166,010人 | 442,507人 |
2016年(平成28年)度 | 536,909人 | 164,391人 | 431,007人 |
2017年(平成29年)度 | 540,287人 | 165,237人 | 438,763人 |
2018年(平成30年)度 | 543,518人 | 167,929人 | 440,974人 |
2019年(令和元年)度 | 542,824人 | 169,732人 | 442,297人 |
2020年(令和2年)度 | 435,566人 | 135,627人 | 345,789人 |