路線データ
路線延長 | 24.5km |
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軌間 | 1435mm |
駅数 | 19駅(起終点含む) |
複線区間 | 全線 |
電化区間 | 全線直流電化(1500V) |
閉塞方式 | 自動閉塞方式 |
最高速度 | 100km/h |
車両基地 | 平井車庫 |
歴史
1910年(明治43年)に阪急で初めての路線として、箕面有馬電気軌道が梅田(現・大阪梅田)-宝塚間、及び石橋(現・石橋阪大前)-箕面間を開業させている。宝塚線系統の路線的には既に最初に完成していたが、当初の計画では会社名通り、有馬方面への延伸も計画されていたが難工事が予想されたことなどのため中止された。また、京阪野江への延伸も計画されていたが大阪市の反対などにより中止されている。当時は沿線にほとんど人が住んでいない状態であったが、それを逆手にとって、創始者小林一三は沿線開発を積極的に勧め、結果人口が増えて利用客も増える、という図式を作り上げ、他私鉄(東急、西武など)の模範ともなった。
一方で最初に開業したとあって、線形が悪く、最初はそれでも利用客が少なかったので対応できたが、人口が増えるにつれてそれが問題視されてくる。後に出来た神戸線や京都線(こちらの建設は大半が京阪)に比べ、車両も小型で輸送力が低く増加する乗客数に対応できず遅延が常態化、遂には庄内事件が起きることになる(詳しくは当記事下部の『庄内事件』の段落を参照)。
これをきっかけに車両の大型化が進むが、線路の悪さは現在にまで続いており、競合するJR宝塚線の普通列車にすら、急行やかつて設定した特急が大阪~宝塚間の到達時間で負けている。十三~池田間は高架化や曲線改良工事などにより、2000年以前と比べると当時よりはいくらかスピードアップしてはいるものの(2000年6月4日に最高速度が90km/hから100km/hへ引き上げられた)、宝塚駅から乗り通すのであれば阪急神戸線と阪急今津線を乗り継いだほうが実は早い。
また、神戸線を退役した車両が宝塚線の主力として回されたり、優等種別の種類や通過駅の少なさとそれ故の速達性の遅さ、行楽シーズン恒例の嵐山への直通特急が設定されないなど、神戸、京都両線に比較すると、やはり若干であるが車両、投資、サービスに「格差があるのでは?」と疑わしき面が見受けられ、それについて不満を覚える沿線住人や、宝塚線そのものを「阪急の掃き溜め路線」と軽んじて、揶揄するたちの悪い鉄道ファンが存在するとの事(同様の問題は近鉄南大阪線、神戸電鉄粟生線、名鉄西尾線、小田急多摩線、東武東上線(末端区間)、西鉄貝塚線など、日本各地の大手私鉄会社において見受けられる)。
1997年に能勢電鉄への乗り入れを開始し、2014年には相互乗り入れとなった。
日中のダイヤは、急行電車と普通電車のみがそれぞれ毎時6本ずつ運行されている。
因み車両は神戸線と同じ規格だが、宝塚線は曲線などが多いため、100km/hに抑えられている。
種別
現在の種別
特急日生エクスプレス
停車駅:大阪梅田・十三・石橋阪大前・池田・川西能勢口・能勢電鉄妙見線(平野・畦野・山下)・日生線(山下・日生中央)
宝塚本線最優等種別で、平日ダイヤのみの設定。朝ラッシュ時に日生中央発大阪梅田行が、夕ラッシュ時に大阪梅田発日生中央行が、それぞれ7本ずつ運行される。なお、2009年4月18日から2015年5月6日まで、春・秋の行楽期の土曜・日曜・祝日にも臨時列車として運転されていた(基本は午前の日生中央発梅田行き2本のみ)。4月下旬に開催されるつるやオープンゴルフトーナメント決勝ラウンドの土曜・日曜日の朝には日生中央行き2本が臨時運行され、春行楽期の臨時と同時間帯で運行されたため、上下の日生エクスプレスがすれ違った。
1997年11月改正で運転を開始した。開始当初は平日3往復のみであったが、能勢電鉄沿線の乗客が川西能勢口駅で福知山線(JR宝塚線)川西池田駅へ逸走するのを少しでも食い止める施策として、2003年8月改正から平日7往復になった。また同改正より、池田駅が停車駅に加わっている。2015年3月改正までは梅田行きの一部が、川西能勢口駅で増結し10両編成で運転されていた。
通勤特急
停車駅:川西能勢口・池田・石橋阪大前・豊中・十三・大阪梅田
2015年3月21日の宝塚本線ダイヤ改正で復活した、平日朝ラッシュ時限定の種別。始発の川西能勢口駅では2号線から発車。
改正前の通勤急行からの種別変更で、停車駅は池田・石橋阪大前・豊中・十三。最後部(宝塚方)の車両には宝塚本線では初の女性専用車両を設定している。
2018年7月改正では1本増発して6本、2022年12月改正ではさらに1本増発して7本を運転。この2022年12月改正までは、宝塚本線唯一の10両編成で運転されていた(現在は全列車8両)。
急行
停車駅:大阪梅田・十三・豊中~宝塚間の各駅
終日運行の代表的種別であり、日中に大阪梅田駅 - 豊中駅間で通過運転を行う唯一の種別。基本的に全線通しで運転されるが、平日夕方と毎日深夜には大阪梅田発雲雀丘花屋敷行きの区間列車も存在する (平日夕方は梅田駅4号線発)。平日朝の大阪梅田行きは準急と交互に運転し、終点まで先に到着する。平日の昼間と土曜・休日18時台までは毎時6本、土曜・休日19時台からは毎時5本の運転。2003年8月の改正で昼間時間帯については当時設定されていた特急・快速急行に置き換えられていたこともあるが、2006年10月28日のダイヤ改正から昼間の運転が復活している。
宝塚線の優等列車としては最も古く、1932年10月に登場した。かつては十三駅 - 石橋駅間無停車で豊中駅と蛍池駅は通過していた(石橋駅 - 宝塚駅間は各駅停車)。1986年12月改正で、平日ラッシュ時に10両運転されたものを除く急行が豊中駅に停車するようになり、1997年11月改正ですべての急行が豊中駅に停車するようになり、2003年8月改正で急行が蛍池駅に停車するようになった。
正月ダイヤを除き日中は、大阪梅田駅 - 雲雀丘花屋敷駅間の普通電車と雲雀丘花屋敷駅で接続する以外追い越すことはなく、基本的には上下線共に先行逃げ切りで運転される。
準急
停車駅:宝塚から曽根までの各駅・十三・中津・大阪梅田
平日の朝ラッシュ時に宝塚発大阪梅田行きを急行と交互に運転し、終点まで先に到着する。
かつては現在の急行の停車駅と三国駅に停車し、基本的に箕面線直通列車を中心に運転されており、一部の列車が雲雀丘花屋敷駅まで運転されていた。1997年11月改正で、通勤準急運行開始と代わる形で一旦運行休止となったが、2000年6月改正で復活した。この時は宝塚発も運転が開始されたが、三国駅は通過となった(当時は現在の急行停車駅と同じ。急行とは蛍池駅に停車するかしないかの違いだけだった)。その後、2003年8月改正で箕面線直通電車が通勤準急に変更され、岡町駅・曽根駅・中津駅に停車するようになったが、2015年3月改正で通勤準急が準急に統合されたことに伴い、準急は宝塚発梅田行きのほか、箕面線箕面駅 - 梅田駅間相互直通、梅田発雲雀丘花屋敷行きで運転された。梅田行きのすべての電車が曽根駅で普通電車に連絡した。
2018年7月改正では箕面線直通と、梅田発雲雀丘花屋敷行きが全廃となり、池田発の普通電車などに置き換えられたほか、曽根駅での連絡がなくなった。
普通
停車駅:各駅停車
各駅に停車する種別で、大阪梅田駅 - 雲雀丘花屋敷駅間の運転が中心(正月のみ昼間大阪梅田駅 - 宝塚駅間の設定もある)。その他早朝・深夜には大阪梅田駅 - 宝塚駅間を運転する電車もあり、平日朝夕ラッシュ時には大阪梅田駅 - 川西能勢口駅を運転する電車、朝ラッシュや夜間には池田駅、豊中駅を始発・終着とする列車もある。川西能勢口駅始発・終着の電車は、川西能勢口駅2号線に発着するが、3号線発の場合もある。平日の昼間と土曜・休日18時台までは毎時6本、土曜・休日19時台からは毎時5本の運転。平日のラッシュ時以外は後続の急行よりも終点まで先着する。
かつては曽根駅 - 梅田駅間の区間列車もあったほか、2022年12月改正までは箕面線へ乗り入れ梅田駅 - 箕面駅間直通の列車もあった。前述の通り急行が豊中駅 - 宝塚駅間で各駅に停車するため、雲雀丘花屋敷駅 - 宝塚駅間は早朝・深夜・正月の日中をのぞいて運転されない。
かつての種別
特急・通勤特急(初代)→快速急行
1986年に福知山線が全線電化とともに本数が増発したため、阪急も日中の急行を10分間隔で運行するダイヤで対抗した。JR化後、福知山線(1988年3月13日に「JR宝塚線」の愛称が制定)は本数の増発、快速電車の運転開始、新型車両の投入、JR東西線・学研都市線直通電車の設定、普通電車のJR京都線直通運転開始により利便性が向上したため、阪急は劣勢に立たされた。
1995年6月4日、平日のラッシュ時に宝塚線初の特急の運転を開始した。当時の途中停車駅は十三・石橋・川西能勢口。朝は10両編成で運転された。
1997年11月の改正で雲雀丘花屋敷を停車駅に加え、朝の10両運転区間を急行と同じ梅田―雲雀丘花屋敷間に短縮した。2000年6月の改正で停車駅を十三・豊中・石橋・池田・川西能勢口・山本に設定し、日中にも設定した。ラッシュ時には初代通勤特急が宝塚発梅田行きのみ運転されるようになった。初代通勤特急の停車駅は雲雀丘花屋敷・川西能勢口・池田・石橋・十三で、川西能勢口から梅田までは現在の特急日生エクスプレスと同じだった。
しかし線形の悪さによる影響、当時の最高速度が90km/hだったことから、スピードアップができず、当時JR宝塚線普通電車が大阪-宝塚間を29分で結んでいたのに対し、阪急宝塚線特急は停車駅を3駅に絞っても30分を切ることができず、JRの後塵を拝する状況が続いていた。大阪モノレールと接続しての大阪国際空港へのアクセスを向上させる必要があり、2003年8月30日の改正で特急を休止、停車駅に蛍池と雲雀丘花屋敷を加えた快速急行に格下げした。日中の急行も快速急行に格上げ・統合され、快速急行は日中に10分に1本の運転となった。
しかしそれでも豊中―山本間が各駅停車で速達性に欠けることから、2006年10月28日の改正で快速急行は運転休止となり、結果的にほぼ1995年以前の運転形態に戻っている(急行と普通電車の組み合わせで、急行が豊中に停車)。
通勤急行
1997年11月の改正で運転開始。平日の朝ラッシュのみ宝塚-梅田間で運転され、当時の停車駅は宝塚-服部(現在の服部天神)間の各駅と十三だった。2000年6月の改正で一旦休止となった。
2003年8月30日の改正で復活。停車駅はそれまでの急行と同様の宝塚-石橋間の各駅と豊中・十三だった。梅田行きのうち4本(1本は川西能勢口発)と宝塚方面行きは10両編成で、雲雀丘花屋敷で増結と切り離しが行われた。
2015年3月21日の改正で運転中止。運転区間を川西能勢口から梅田までの片道に短縮し、通勤特急に種別を変更した。
通勤準急
1997年11月の改正で運転開始。平日の朝ラッシュのみ梅田-箕面間で運転され、宝塚線内は現在の急行と同じ停車駅だった。ただし運転開始当初は宝塚・箕面-豊中間の各駅・庄内-梅田間の各駅に停車していた。
2000年6月の改正で一旦運転休止となったが、2003年8月30日の改正で復活。2015年3月21日の改正で運転中止となり、岡町・曽根・中津にも停車する準急に統合された。
駅一覧
凡例
●:停車,レ:通過,‖:運行せず,↑:上りのみ運行
一覧表
阪急宝塚線(大阪梅田~宝塚)
駅番号 | 駅名 | 読み | 特急日生エクスプレス | 通勤特急 | 急行 | 準急 | 普通 | 乗り換え路線 | 備考 |
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HK-01 | 大阪梅田 | おおさかうめだ | ● | ● | ● | ● | ● | ||
HK-02 | 中津 | なかつ | レ | ↑ | レ | ● | ● | 阪急神戸本線 | |
HK-03 | 十三 | じゅうそう | ● | ● | ● | ● | ● | ||
HK-41 | 三国 | みくに | レ | ↑ | レ | ↑ | ● | ||
HK-42 | 庄内 | しょうない | レ | ↑ | レ | ↑ | ● | ||
HK-43 | 服部天神 | はっとりてんじん | レ | ↑ | レ | ↑ | ● | ||
HK-44 | 曽根 | そね | レ | ↑ | レ | ● | ● | ||
HK-45 | 岡町 | おかまち | レ | ↑ | レ | ● | ● | ||
HK-46 | 豊中 | とよなか | レ | ● | ● | ● | ● | ||
HK-47 | 蛍池 | ほたるがいけ | レ | ↑ | ● | ● | ● | 大阪モノレール大阪モノレール線(本線) | |
HK-48 | 石橋阪大前 | いしばしはんだいまえ | ● | ● | ● | ● | ● | 阪急箕面線 | 旧・石橋駅 |
HK-49 | 池田 | いけだ | ● | ● | ● | ● | ● | ||
HK-50 | 川西能勢口 | かわにしのせぐち | ● | ● | ● | ● | ● | ||
HK-51 | 雲雀丘花屋敷 | ひばりがおかはなやしき | ‖ | ‖ | ● | ● | ● | ||
HK-52 | 山本(平井) | やまもと | ‖ | ‖ | ● | ● | ● | ||
HK-53 | 中山観音 | なかやまかんのん | ‖ | ‖ | ● | ● | ● | ||
HK-54 | 売布神社 | めふじんじゃ | ‖ | ‖ | ● | ● | ● | ||
HK-55 | 清荒神 | きよしこうじん | ‖ | ‖ | ● | ● | ● | ||
HK-56 | 宝塚(宝塚大劇場前) | たからづか | ‖ | ‖ | ● | ● | ● |
宝塚方面と神戸・京都方面で乗り換える場合、京都線が止まらない中津と京都方面で乗り換える場合は、十三で行う(中津・大阪梅田での乗り換えは折り返し乗車となるため別途運賃が必要となる)。十三から宝塚方面への乗車の際も大阪梅田で折り返す場合は別途運賃が必要となるが、淀川花火大会開催時は特例として大阪梅田での折り返し乗車が認められる。
阪急・能勢電鉄川西能勢口ではJRへの乗り換え案内はされないが、逆にJR川西池田では阪急・能勢電鉄への乗り換え案内が実施される。
使用車両
宝塚線所属
神戸線とは共通の形式となっている(運用は独立)。以前は2000系に対し2100系、3000系に対し3100系と区別されていたが、6000系以降は完全に共通化している。まれに神戸線所属車両を借りることもある。
1000系、8000系すべてと6000系の一部が能勢電鉄乗り入れ対応。
1000系 9000系 8000系 7000系 6000系 5100系
能勢電鉄所属
宝塚線所属車両と同様に運用され、能勢電鉄線内には日生エクスプレスでしか入らない。
庄内事件
1956年2月2日に庄内駅にて発生した乗客による暴動(破壊や負傷者が出るような暴力沙汰は起こっていない為、厳密には列車妨害騒動)である。
先述したとおり、宝塚線はその路線の形状故に、神戸線や京都線に比べて輸送力や速達力が劣り、そのせいもあってか他の二線と比較しても優等種別の本数や種類が少なかったり、他の線で用済みになった旧式の小型車両などを回されるなど待遇が悪く、それが沿線住民の間ではサービス格差と見做されて、以前から不満を抱かれる事も珍しくなかった。
そんな中、この日の午前7時40分頃、服部(現:服部天神)~庄内間で車両故障が発生。該当列車に乗っていた乗客に庄内駅より臨時の電車を回す事を説明し、すぐ後ろで足止めを食らっていた列車の乗客と合わせて約1000人が線路を伝って庄内駅まで歩いた。
ところが、駅に着いても肝心の代走列車が一向にやってこず、そうこうしている内に運転が再開されたものの、後続の列車はどれも満車で、乗れない事に怒った一部の乗客達が線路に下りて列車の前に立ちふさがり、「この列車の乗客を下ろして自分達を優先して乗せるか、約束の代走列車を早く回せ。さもなくばこの後の列車はここから先には行かせない」と座り込みデモを始めてしまった。
当然、宝塚線は再び運行がストップするばかりか数珠つなぎで電車が立ち往生するなど、運行マヒ状態に陥ってしてしまい、焦った阪急側は庄内駅だけでなく付近の駅員や立ち往生した後続列車の車掌達も動員して説得に当たるが、デモ側の怒りは収まる事がなく、とうとう大阪府警に救援を要請し、機動隊一中隊を含む約200人の警察官を動員して沈静化を図るが、その頃には庄内駅は約1000人もの座り込みを決行したデモ勢によって、実質占拠されてしまった。
さらに騒動を面白がった駅周辺の住民もデモ勢に加勢するなどした事で、より大勢に膨れ上がったデモ勢に警察側も強硬手段をとる事ができず、これ以上騒ぎが大きくならないように抑えながら、パトカー、機動隊のトラックなどをタクシーやバスの代わりにして代替輸送に協力する形になり、阪急側も阪急バスを庄内駅に寄越すなど代替輸送に尽力する一方、事態を知った専務の小林米三(創業者 小林一三の三男)が自ら庄内駅に駆けつけ、デモ側と直接交渉すると共に説得に当たった。
米三はデモ側から「宝塚線は神戸線や京都線よりも明らかにサービスが悪い」「古い小型車両ばかり乗せられる自分達の身にもなれ」などと、積もりに積もった不平不満を罵声や暴言として浴びせられるが、落ち着いた物腰で応対し、一人ひとりの意見もとい苦情に耳を傾けるなど、真摯な態度で接した事から、次第に怒りに駆られていたデモ側も落ち着きを取り戻していった。
そして、約束どおりに神戸線から応援の空車が代走列車として入線した事から、座り込みを決行した乗客達もようやく納得し、午前11時。約3時間に渡る座り込みはようやく解散し、一人の負傷者や逮捕者、物的損害なども出す事なく無事に終結した。
なお、この騒動を重く見た米三専務及び阪急側は、宝塚線の車両更新や増結を推し進める事を強いられ、60年代半ばまでに神戸、京都両線と遜色ない輸送力の増強も果たすことができた。