ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

850系

はっぴゃくごじっけい

鉄道車両の形式名のひとつ。本項では名古屋鉄道で運用されたものについて解説する。

東武鉄道の850系については東武8000系の記事を参照。


概要編集

1937年に名古屋鉄道が優等列車用として導入した車両。2両編成2本。

1935年の名岐鉄道愛知電気鉄道合併に伴う名古屋鉄道成立後初の新型車両である。

1937年3月に名古屋市で汎太平洋平和博覧会の開催が決定しており、それに伴う利用者増を見込んで名古屋鉄道では新型車両を導入して輸送力の増強を図った。

当時は新名古屋駅も開業しておらず、柳橋駅・押切町駅から岐阜方面に伸びる旧名岐鉄道系統の西部線と神宮前駅から豊橋駅方面に伸びる旧愛知電気鉄道系統の東部線はそれぞれ旧事業者由来の別々の事業部が車両の運行・管理を行っていた。

そのため東部線向けには3400系「流線(→いもむし)」の新造、西部線向けには800系の制御車ク2300形の増備がそれぞれ計画された。

しかし3400系が当時鉄道省52系キハ43000EF55に代表する流線形を取り入れた車両であったことから、これに対抗して急遽先頭部を流線形に設計変更。6両が予定されていた800系増備車のうち4両をこの流線形の車両とし、さらに2両をモ802・803から供出した機器で電装することにした。


急遽設計変更をしたため前頭部を除けば800系に酷似した形態であり、前頭部は製造元の日本車輌南満州鉄道向けに製造した電気式気動車ジテ1形に似た形態になった。

内装は800系同様中央部にボックスシート、車端部と扉付近をロングシートとしたセミクロスシート。

日本車輌でも3400系の図面には「流線形」であることが強調されているのに対し、本形式は単に「半鋼製四輪ボギー車」と記されている、当時の名鉄の内部文書でも本形式に関しては特に流線形であることが強調されていないなど3400系とは明らかに扱いに差があった。


しかしそこは旧名岐鉄道の意地か、竣工自体は3400系より2週間早かった。


押切町・豊橋方に電動車モ850形、岐阜方に制御車ク2350形の2両編成を組んだ。3400系同様他形式との併結は考慮しない設計で前面にジャンパ栓などは設置されなかった。


製造当初は車体前面左右窓上から側面にかけての幕板部に白色の飾り帯が3本施されており、これがナマズのヒゲに見えたことからなまずの愛称を持つ。


導入後は800系と共に名岐線の特急・急行運用に就いた。

ク2350形は製造時はパンタグラフを備え付けており、1940年にはク2350形の電装も計画され、実際に「854」と附番された写真が残されていることから実際に電装されたものかと思われていたが、実際には電装品の入荷が遅れたことから計画は中止され、代わりにク2300形が電装されモ800形となった。

当時の名鉄の申請書類の内容から流線形の前面形態と他形式との併結を考慮していない設計も一因であるとされている。

一方で1941年には長編成での運転に対応するためブレーキをJ作動弁による制御管式自動空気ブレーキから三菱電機製M作動弁による元空気溜管式自動空気ブレーキに改造している。


内装は戦時中に混雑緩和のためオールロングシートに改造された。

このころにク2350形のパンタグラフが撤去され、車体塗装もマルーンからダークグリーンに変更されている。


1948年に西部線が直流600Vから1500Vに昇圧され、本形式も昇圧対応改造を実施。さらに前面にジャンパ栓と常用ブレーキ管を新設して他形式との併結も可能にした。

1952年から1953年にかけて、中間にモ800形モ807・808を組み込んで3両編成での運転が行われた。

1961年に重整備工事を実施。車体各部の補修と電装品の更新が行われた。

1965年からは車体前面の飾り帯が廃止された。

同年12月からはHL車の淘汰が進行したことから中間にモ830形831・832を組み込んだ3両編成を組成した。

1967年にク2350形の台車を3780系に供出するため、台車を鉄道省TR14形台車に交換。交換入場中は編成の一端にモ800形810を併結して全電動車編成を組んだ。

1969年にモ830形が外されて2両編成に戻った。

1971年にク2350形の台車をモ800形806・807の廃車発生品であるD16形台車に交換した。

1974年から1976年にかけて前面ワイパーの自動化、室内灯の蛍光灯化、前照灯のシールドビーム2灯化、車体塗装の名鉄スカーレットへの変更などが行われた。


6000系の導入に伴い852編成は1979年に廃車となった。

残った851編成は1981年に台車を7300系が履いていたD18形に交換し、3880系の廃車発生品である扇風機を設置。末期は西尾線蒲郡線系統で運用され、かつてのライバルともいえる3400系と併結することもあった。


国鉄民営化に伴い発足したJR東海に対抗するため名鉄は6000系の更なる増備を画策、6500系6800系の導入が決定する。

これに置換えられる形で851編成も1988年に廃車となった。

側面車番標記の「1」の文字が3400系モ3403・2403の改番の際に使用された。


852編成は南知多ビーチランドでレストラン「パノラマビュッフェ」として使用されていたが、海に近い立地から塩害による車体の腐食が進行、1992年に解体されてしまった。


関連項目編集

名古屋鉄道名鉄

モ800

850形

関連記事

親記事

AL車 えーえるしゃ

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 3879

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました