概要
東武8000系電車は、1963年(昭和38年)11月1日から導入された東武鉄道の通勤形電車である。混雑具合を解消するため、4ドア20mの長さとなった(片開きの20m4扉車としては、63系が由来の7300系・7800系が既に存在した)。
この形式の一番の特徴が、謎の製造両数(712両:私鉄車両としては第1位)である。20年間で3,000両以上製造された国鉄103系(20m両開き4扉車の通勤形電車というコンセプトも共通、そして運行開始も同年である)になぞらえて「私鉄の103系」と呼ばれることも。多すぎて車両番号でインフレを起こした(番号は「8XXXX」表記。なお、読みはクハ8400形の105号車で車番「84105」の場合、「はちまんよんせんひゃくご」ではなく「はっせんよんひゃくのひゃくご」である)。
ちなみに東武野田線は、10000系以降の形式の運行に設備が対応していなかったため、2010年代前半ごろまで長らく本形式の天下となっていた。
8000系が多すぎた影響からか、後の通勤車両が9000系列を除き、すべて5桁の車両番号になったのは言うまでもないだろう。
新性能電車ではほぼ当たり前といえる発電ブレーキ(モーターを発電機として抵抗器で熱として捨てる構造)を搭載しておらず、制動力はレジン制輪子を用いた踏面ブレーキのみ。制動力そのものは比較的高かったため、平坦線ならそれでも十分だが、延々と続く下り勾配区間で踏面ブレーキを使いつづけると……実際に鬼怒川線での運用は乗客乗務員双方から苦情が上がったと言う。
- ちなみにここで書かれていた回生ブレーキの件だが、回生ブレーキは戦前には実用化されている。半導体による制御装置が出てくる以前は磁気増幅器による位相制御を補助的に使い(基本は抵抗制御)、回制時には補助電源から同一線路別回路で界磁にチョッピングされた電流を流して実行界磁束線を調整し、起電力を確保・調整していた。阪和電気鉄道(現・阪和線)などは回生ブレーキの電流を吸い上げるためき電区間同士の交直変換を行う回転式変換器の同期まで行っていた。
台車
台車にはTD撓み板継手中空軸平行カルダン駆動を採用している。
前期型はミンデンドイツ特有のゴツい台車で、軸守の両側に板バネを配している。
ちなみに金属バネ主流の1960年代において空気バネを搭載するという珍しいもの。
これは車体が軽すぎて満空時の差を金属バネでは吸収できないため。
ミンデン式プラス空気バネというのはかなり高価だったが、ランニングコストを推し量った東武経営陣は結果的に投資分を回収出来ると踏み、この台車を採用した。
後期型は住友金属(現:日本製鉄)内において技術の継承が難しくなった事により設計変更。S型ミンデン式になった。
モノは京都市営地下鉄10系や大阪市営地下鉄60系などと同じもので、見た目は現在主流のモノリンク式や軸梁式によく似ている。
結果的に台車自体の軽量化やホイールベースの短縮などの副次的効果を生むことになる。
車体修繕
1986年から2007年にかけて経年による陳腐化解消のため車両の修繕工事が施工された。この修繕工事はJR東日本・JR西日本が国鉄から継承した103系や113系、115系等の更新・延命工事の手本になったといわれている(JR西の方の体質改善は阪急のリニューアル工事の影響を受けたとの意見もある)。
1987年施工車から前面を6050型に似たデザインに改造。内装一新。運転台変更といろいろハッスルしすぎである。
大体、
1986年更新の原型顔の初期修繕車
1987~96年更新の更新顔の中期修繕車
1997~2002年更新の更新顔+HID前照灯+LED改修の後期修繕車
2003~2007年更新の更新顔+HID前照灯+LED改修+ワンマン対応のバリアフリー修繕車
に大別出来る。
前面改修は謎だが、イメージアップを図るためだったのかもしれない。6050系はそのために車体新造を行っていた。
当時は国鉄211系電車を初めとして、近鉄の省エネ通勤車(紅白の角屋根車)、阪急8000系など、貫通型なら似たような顔が量産されていた時期でもあった。
ワンマン化改造
10000系列などの後継車を投入することで本形式は支線へ左遷されていったが、同時に支線区へ転属した2連と4連に対してワンマン運転への対応改造が行われた。このほか、館林地区向けの派生系列として800型と850型が生まれた。電動車の比率の都合から、8両編成1本から3両編成を2本作り、余った中間付随車2両を廃車にした。800型と850型は5編成ずつ在籍している。
廃車
新系列車両によって置き換えが進み、一番多く残っていた東武野田線にも置き換え用の60000系によって廃車が大量発生、2025年からは80000系の投入により野田線からは全廃となる予定である。
また、日比谷線直通運用から撤退した20000系を魔改造の上、東武宇都宮線へ玉突き転配したり、10000型や10030型の2連にワンマン化改造を施して置き換えたりするなど、少しずつではあるがワンマン線区からも数を減らしている。
すでに東武の最大所属両数からは陥落しており、これで東武版古い車両を大切に末長く使いましょう計画も終了すると思われる。
保存編成
東武東上線で最後まで原型に近い前面を保ち続けていた8111編成は、同線での定期運用を終えた後本線系統に移り、登場当初の塗装にリバイバルされた。この編成は東武博物館所属の動態保存車という位置づけで(博物館所有のため、東武鉄道の所有両数にはカウントされていない)、主にイベント列車などで活躍していたのだが、2023年以降東武野田線に転属して営業運転に使用されることになった。
秩父鉄道乗り入れ
本形式の一部(2両固定編成の8505編成、8506編成、8510編成)には秩父鉄道乗り入れ対応で秩父鉄道専用のATS(東武のATSとの互換性無し)を装備している(マスコンも10000系仕様になっているので区別可能)。8505編成は2014年2月に廃車、事業用として残されていた8506編成も2024年6月に廃車となった。
かつて秩父鉄道には黄色い鉄道集団以外にも東武鉄道も乗り入れ運転をしていたが、黄色い鉄道軍団が乗り入れメインとなったため、2024年現在は伊勢崎線と東上線との車両の入れ替えや検査入出場時のみとなっている。
ちなみに本形式は秩父ATS搭載編成が先頭にいれば秩父鉄道線内も自走可能だが、10000系以降は死重扱いとなり無動力回送となる。