概要
本社を岐阜県多治見市に構える、名鉄グループのバス会社。別名東鉄バス。
多治見市・土岐市・瑞浪市・恵那市・可児市・美濃加茂市、可児郡御嵩町・加茂郡八百津町にネットワークを持つ一般路線のほか、高速路線は名古屋・東京と多治見・可児を結ぶ路線を持つ。また、貸切バス事業も行う。
略称は東鉄(とうてつ)。
傘下に東鉄タクシーがある。
営業所
一般路線バス、貸切バスの両方を担当する営業所のみ掲載。
●多治見営業所(多治見市。後述する旧笠原線の終点、美濃笠原駅跡にある)・・・多治見駅・土岐市駅・瑞浪駅発着路線。多治見駅からの一般路線バスには、愛知県瀬戸市に乗り入れる路線もあるが、これはJR東海バス瀬戸北線の多治見方を引き継いだもの。
●恵那営業所(恵那市)・・・恵那駅・明知駅発着路線。恵那峡への路線もこちら。以前は中津川駅へも乗り入れていたが、恵那営業所を境に東側を北恵那交通に移管し、中津川市からは撤退した。
●可児営業所(可児市)・・・可児駅・西可児駅・美濃太田駅・御嵩駅発着路線、高速バス。
各自治体のコミュニティバス(全路線、もしくは一部路線)も受託する。
なお、北恵那交通が貸切バス事業とタクシー事業から撤退した際には、東濃鉄道が貸切バス事業を、前述の東鉄タクシーがタクシー事業を引き継いだ。
以前は鉄道事業も運営していた
かつては笠原線と駄知線という鉄道線を運営していたが、1978年までに廃線となっている。
戦時統合で上述の笠原線(旧笠原鉄道)と駄知線(旧駄知鉄道)だけでなく、近隣のバス会社数社も統合して成立した会社のため、鉄道事業者であった頃も自動車輸送の比率がかなり高かった。廃線となったのは電化までされていた駄知線が先だったが、それは水害で橋梁が流出し、再建に莫大な費用を要すると判明し、廃止に踏み切らざるを得なかったことによる。
輸送規模も笠原線は駄知線より数段小さく、正式な旅客輸送廃止(1972年)よりかなり前から旅客輸送はバスで代行するほどであった(都心側ターミナル「新多治見駅」の線路配置が取って付けたような妙な代物であり利便性を欠いていたためでもあるが、沿線に街を複数持つ駄知線と、笠原町だけの笠原線とでは当然旅客需要は元から差がある)。笠原線も昼間全く鉄道輸送していないわけではなく、代行の時間帯は専ら貨物輸送をやっていた。
鉄道線が廃止となった後も社名を変えずにそのままバス会社となっている(戦時統合は二段階で、最初にバス会社を統合「東濃バス」となり、次いで鉄道2社もまとめて「東濃鉄道」となった)。
鉄道事業亡き後、駄知線の車両は名古屋鉄道と高松琴平電気鉄道に移籍した。
名鉄に譲渡された車両はモ3791+ク2791を名乗り、短期間ながら、名鉄生え抜きのHL車に混じって使用されていた。ことでんに譲渡された車両には、モハ100形(画像。ことでんではモハ70形)という、貴重な東芝製の車両もあった。
どちらも現在はさすがに廃車済ではある。
車両
名鉄グループに属するため、三菱ふそう車が多く在籍するが、名鉄系列に入るのが遅かったこともあって独自性も残されており、日産ディーゼルの車両も割合として多い。他に日野自動車、ごく少数ながらいすゞ自動車の車両もあり、特にコミュニティバス用車両は日野が大半を占める。
富士重工業がバスボディ製造事業から撤退する際、最後に製造したのが東鉄の観光バスとして導入されたスペースアロー2台である。東鉄としては「今後も富士重工に車体を作ってもらいたい」と考えており、そのような意向を富士重へ伝えていたが、富士重の撤退の意向は変わらなかったため「ならばせめて最後の生産車を購入したい」と、次年度の購入予定を前倒しして実現したという。
高速バス中央ライナー可児号をJRバス関東と共同運行しているが、2019年6月よりJRバス関東便の運行委託を受けるようになったため、同社からエアロエースの貸し出しを受けている。
車体裾の所有社表記こそ東濃鉄道に書き換えられているが、カラーリング・ツバメイラスト・Wi-Fi・ロゴ(JR BUS KANTO)・車番(H654-08415)はJRバス時代のままになっている。
関連タグ
北恵那交通・・・同じく名鉄グループのバス会社。以前は北恵那鉄道の社名で、やはり鉄道事業も兼営していた。現在は中津川市をエリアとする一般路線バスのみを運営する。