解説
1924年3月17日、豊橋電気軌道株式会社として創業。
愛知県豊橋市を中心とした東三河地域で鉄道・軌道事業を行う鉄道会社で、名古屋鉄道(名鉄)の連結子会社である。かつてはバス事業も行っていたが、2007年に子会社の豊鉄バスへバス事業を分離している。
以前は名鉄の中古車両を走らせていたが、90年代末期以降は乗客数の増加に伴い、通勤用車両を東京急行電鉄から購入し走らせている。
路線
廃線
車両
渥美線
東急時代は電装品のメーカーごとに車番が異なっていた。豊鉄移籍後は特に車番が区別されていないが、編成ごとに電装品のメーカーは揃えられている。第10編成は1編成中2両が上田電鉄からの譲渡車である。
東田本線(市内線)
- モ780形
元名古屋鉄道モ780形。7両が在籍。
名鉄600V線区の廃線に伴い名鉄から譲渡され、現在市内線の主力車両として活躍。名鉄時代には連結運転を行うために連結器が装備されていたが、豊橋移籍後は撤去されている。豊橋鉄道初のVVVFインバータ制御車両である。
- モ800形
元名古屋鉄道モ800形。801・802・803の3両が在籍。
こちらも名鉄600V線区廃線に伴い譲渡された。譲渡後しばらくはほぼ名鉄時代のカラーリングで運行されていたが、パトカーと同様の塗装に変更された「とよはし安全安心号」を経て現在は金属リサイクル業者の紅久のラッピング広告電車として運行中。
構造の問題で井原の半径11mのカーブを通過できないとされていたが、車高の嵩上げ、台車カバーの撤去などの改造を行い、通過が可能になった。現在は他車と共通運用となっている。
福井鉄道に移籍した802・803も2019年に豊鉄入りした。802は3201から引き継いだブラックサンダーのラッピング、803はNHKの朝ドラ『エール』のラッピングを経て、現在は豊橋けいりんの広告電車になっている。
803は2024年4月から7月までJR東海とカプコンのコラボ企画「CAPCOM TRIP TOKAI」の一環で「モンスターハンター」のラッピングが施されていた。
豊橋鉄道にとって1925年以来、83年ぶりの自社発注車両としてデビュー。愛称は「ほっトラム」。
製造はアルナ車両。リトルダンサーシリーズの1つで、国産の狭軌用の100%低床車としては日本初の車両である。1編成しか存在しないため、毎週木曜日は検査運休する。以前は800形が代走車として指定されていたが、800形が他車と共通運用になったため、代走の指定も解除されている。
元名古屋鉄道580形。1両が在籍。
3201号は名鉄時代、台車の形式が他の車両と異なり、豊橋移籍後も長くそのままだったが、2005年に他の車両と同じ台車に交換されている。
2019年に3202号が800形802号に、2020年に3201号が800形803号に置き換えられて廃車され、現在はイベント兼用車の3203のみが残る。
後述する大改造の末に入線している。
過去の車両
市内線の車両はボギー車のみ記載。
渥美線の車両は「渥美線」の記事を、田口線の車両は「田口線」の記事を参照。
最盛期には9両が在籍したが、冷房化改造の対象から外れた2両が90年代に廃車され、残った7両は2006年3月までに780形に置き換えられて全車が運用を離脱。
イベント用として3102号だけが長らく残されていたが、2011年2月にイベント運用からも離脱。運用離脱後も赤岩口の車庫で定期的に電源を入れていたが、年数の経過と共に荒廃が進み2018年2月に解体のために搬出された。
元北陸鉄道金沢市内線2300形。1968年に金沢市内線廃止に伴い2両が譲渡された。
金沢市内線時代のツートンカラーを纏い異彩を放った。
小型車体故に冷房化が難しく1999年に廃車となった。
元名古屋市交通局1200形。1963年に4両が導入された。
東田本線のワンマン運転開始や3200形の導入などで3両が廃車となったが、残った3702号はイベント用車両として長らく残され、1996年には製造当時のチョコレート色に塗り替えられダミーのトロリーポールが設置された。
2007年に廃車となり、市民病院前電停跡地付近に新設された「こども未来館」に保存されている。
元三重交通神都線541形。1961年に神都線廃止に伴い3両が譲渡された。
東田本線初のボギー車だったが、扉配置の都合上ワンマン運転に対応できないことから1971年に全車廃車となった。
2014年から三重交通で運行されている「神都バス」は本形式がモデル。
元名古屋市交通局900形。1963年に6両が導入された。
もともとは呉市電向けに製造された車両で中央の両開き扉が特徴だった。
1989年までに全車廃車となった。
元名古屋市交通局1150形。1964年に2両が導入された。
木造車の機器類を流用した車両であり高床構造になっていた。
そのため3100形に置き換えられる形で1971年に全車廃車となった。
余談
豊橋鉄道の奇跡
地方中小私鉄の例に漏れず、豊橋鉄道も一時期は自動車普及による鉄道離れにより、経営状況は芳しくなかった。ただでさえ愛知県はトヨタと三菱自動車という2大自動車メーカーの「お膝元」であり、自動車志向が高く、中小どころか最大手の名古屋鉄道でさえアクロバットのような経営を強いられているのが実情である。
かつて存在した貨物輸送が、1984年の国鉄貨物縮小合理化の煽りを受けて廃止されたこともそれに拍車をかけた。特に輸送力増強と給電設備統廃合を狙った1997年の渥美線1500V昇圧工事が裏目に出て、実施後から経営危機に陥っていた。一時は鉄道・軌道線全路線廃止も視野に入れていたという。このパターンで多くの地方鉄道が姿を消していった。
だが豊橋鉄道の判断は違った。
「どうせ廃止しかないのなら最後に大バクチを打とう」
そう経営陣は腹をくくった。縮小傾向をやめ、渥美線の日中15分ヘッドパターンダイヤ化という、見ようによっては暴挙としか思えないダイヤ改正を実施したのだ。しかし、減少の一途をたどっていた利用者数は一転、増加に転じたのだ。東三河の鉄道の要衝であり新幹線も停まる豊橋駅へ乗り入れている(豊鉄では新豊橋駅と名乗っている)のも功を奏したといえよう。あまりラッシュを考慮していない2扉の元名鉄車では輸送力に限界が生じ、東京の東京急行電鉄から3扉車を調達しなければならなくなるまで増加したのだ。
さらに12分ヘッドへの短縮を目論んだが、乗務員と整備員の人数不足が生じたため、15分ヘッドに戻さざるを得なくなったほどだった。在も渥美線は豊橋鉄道の稼ぎ頭として、経営危機にまで陥った地方中小私鉄とは思えない豪華設備で運用をしている。しかも、ワンマン運転を実施していない(全列車に車掌が乗務)。この事実は豊橋鉄道の奇跡として、地方中小私鉄ファンに知られている。
車両改造に定評のある豊橋鉄道
豊橋鉄道は車両改造のレベルの高さに定評がある。一例として市内線のモ3500形(元都電7000形)を例に見ると、
市内線だけでなく、かつて渥美線で活躍していた1900系(元名鉄5200系)も大改造の末に入線している。
- 足回りの機器類はほとんど5300系に譲って何も残っていなかったので、国鉄101系・111系の廃車発生品のDT21形台車、MT46形主電動機、名鉄3800系の主制御装置を組み合わせて電装。
- 名鉄時代、軽量構造が災いして不可能だった冷房化を路面電車用クーラーを使って実現。・・・親会社の名鉄の遺伝子をしっかりと受け継いでいるのだろうか。
日本一の急カーブ
路面電車である市内線の井原停留所から運動公園前停留所に至る支線の途中には半径11mの急カーブがある。これは日本の鉄道の中では最も急なカーブでこの区間を低床車のT1000形のみ通過できない。なお通過可能車両でも、カーブを通過すると車体正面が線路から完全に離れてしまう。
関連タグ
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