鉄道院3500形
1910年から1911年にかけて2500形(B6形の米国製モデル)5両の軸重を軽減改造した蒸気機関車。軸配置を2-6-4(1C2)型とし、シリンダーをヴォークレイン4気筒複式に、背部炭庫と側水槽を大型化している。
新橋工場製の2両は原型車の特徴を残していたが、神戸工場・鷹取工場製の3両はのちのC11に似た外観になっていた。
東京急行電鉄デハ3500形
1939年に22両が製造された、東急の初代3000系のうちの1形式。東京横浜電鉄時代はモハ1000形を名乗った。
当時の東横線は標準軌に改軌して京浜電気鉄道に直通運転を行う構想があったことから、台車に長軸が組み込まれていた。そのほかにも日本の電車としてはいち早く電動カム軸式多段制御器を採用していた。末期は目蒲線の主力形式として活躍し、東急初代3000系の中で最後まで東急に残った形式のひとつとなった。
標準軌に対応可能であったことから高松琴平電気鉄道から譲渡の打診があったが、長尾線・志度線の重量制限を超過していたことから実現しなかった。
詳細は東急3000系(初代)の記事を参照。
京成電鉄・芝山鉄道3500形
輸送力増強と従来車両の代替を兼ねて1972年に登場した、京成電鉄の通勤形車両。
京成では初めてステンレス製の車体を採用、4両編成24本の合計96両が製造された。
豊橋鉄道モ3500形
元は都電荒川線の7000形。車両の近代化のため4両が導入された。
井原停留所の急カーブに対応するため床下機器の位置変更とドアの移設・ドアステップの新設を実施し、軌間も異なるため台車は種車のものを改造するなど、豊鉄入線時に大幅な手が加えられている。内装は変更せず、移設前のドア跡は車いすスペースになっていた。
台車を改造した結果モーターが収まらなくなってしまい、モ3100形と同型のものに交換している。
- 1992年に導入された2両(モ3501・3502)は冷房化対象から外され8500形に置き換えられた車両(7009・7028)であり、豊橋鉄道入線時に冷房化。
- この2両は導入当時7000形の冷房改造車に似たアイボリーに緑帯の塗装を纏っていた。モ3501は7000形とほぼ同じ塗装、モ3502は窓下の淡緑色帯を省略した塗装だったが、モ3502は1993年にヤマサのちくわの広告車に、モ3501は1994年に開業70周年記念塗装に塗り替えられた。
- 1999年に導入された2両(モ3503・3504)は都電(7017・7021)時代の冷房装置をそのまま搭載。
- この2両は当初から全面広告車である。
- また都電時代は非冷房車はビューゲル、冷房車は菱形パンタグラフを搭載していたが、豊鉄入線時にともにZ形パンタグラフに換装された。
- 豊橋鉄道ではこのほかに7012と7014の譲受も希望していたが、これらの移籍は叶わずに解体されてしまった。
2024年にモ3503号車から、京王重機整備で新造した車体へ載せ替えによる延命工事を施工している。新造車体では座席の追加なども行われたため、着席定員の増加も果たしている。
2024年放送のアニメ『負けヒロインが多すぎる!』にはモ3502号車がオープニングなどに登場している。
広島電鉄3500形
※イラスト左の車両。
1980年に製造された初代「ぐりーんらいなー」。長崎電気軌道2000形とは開発時期が近く共通点も多い。設計段階では2車体連接車だったが、広島電鉄側の要望で急遽3車体連接車に変更されたという経緯を持つ。試作車的な性格が強く、3連接車両1編成の製造にとどまり以降の増備は3700形へ移行した。
急遽設計を変更したことが影響したのか2010年頃から故障が頻発し2012年に正式に運用を離脱、以来休車状態となっている。
智頭急行HOT3500形
普通列車用の気動車。「HOT」は兵庫、岡山、鳥取の3県に、形式の3500は、機関出力が約350PSであることに因んでいる。
特急列車も走るため最高速度を110km/hに設定。両運転台車10両が在籍。