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概要編集

1953年より東京都交通局都電に導入した路面電車。前面2枚窓の当時としてはスマートなデザインや淡い色調の塗装(メイン画像一番上)で登場し、当時の都民が大きな関心をもって迎えたとされる。3次にわたって増備され、総数93両が活躍した。のちの荒川線成立時には31両が残存し、後述のワンマン運転開始に合わせた車体更新を行い、それ以降も同線の主力として活躍した。

本稿では本形式に延命工事ならびに足回りの刷新を行った7700形についても記載する。


車両概説編集

ここでは登場時の形態を述べる。3次にわたって製造されたのは上述のとおりであるが、すべてに共通していることとして、2枚窓の前面と在来車より大きな側窓、PCCカーこと5500形と同様の前中扉の車体をもつ。系統板も本形式からアクリル製の四角形のものが採用されている。

以下に製造年次による大まかな形態差を記載する。

1次車:7001号-7030号編集

1953年に製造され、新造車7001号-7020号と、1000形1100形を改造した7021号-7030号に大別される。高性能車の試作車である7020号を除いて直接制御車であった。

最初に登場した7001号-7019号は日本車輌ナニワ工機の2社と芝浦工場で製造され、台車は新設計のD-18形を採用した。このうち7001号-7006号は丸ノ内線開業により、その対抗として新車の配置が必要だった大塚車庫へ配属され、ほかは1-2両ずつ分散配置された。この19両は直接制御用の大きなマスコンを使用しており、2枚窓では視界不良が生じたことから、のちに3枚窓へ改造する工事が施工されており、少なくとも6両へ改造が行われている。メイン画像上から2番目がこの形態。

7020号は高性能車の試作車であり、台車は東芝製のTT-101形を装着した。この台車はのちに改造され、セルフラップ式の空制電制併用ブレーキに変えて空気ブレーキを設けている。特殊車であるため、後述のとおり始終1系統で運用された。直角カルダン駆動で弾性車輪を採用していることから「和製PCCカー」と呼称されることがある。

7021号-7030号は改造車であるため、台車は種車のD-10形を装着し、車掌台の窓が新造車に対して少し異なっていた。

なお本区分の製造初年であるが、一部資料やWikipediaでは1954年と記載されている。しかし「都営交通100周年 都電写真集」(東京都交通局:2011年)や、本項の参考文献にした「都電車両総覧」(江本廣一:1999年)には、1953年(昭和28年)と記載されているため、本項ではそれを引用している。

2次車:7031号-7050号編集

1955年に日本車輌と東急車輛製造(現在の総合車両製作所)で製造された。1次車と異なり、側窓はアルミサッシを採用し、台車も新形式のD-20形を採用した。また車内も車掌台横の座席が縮小されており、座席定員が少し減少している。運転台も拡張されたほか、前面窓も1枚窓が2枚の構成へ変更されている。細かいところでは系統板を差し込む方向が横から上へと変更されている。

のちに函館市電へ譲渡されたのは、このグループである。

3次車:7051号-7093号編集

1955年から1956年にかけて日本車輌と日立製作所で製造された。2次車に比して屋根の形状が異なるほか、前面窓の大きさが天地方向へ拡幅されている。台車もD-20A形を装着する。

製造量数が43両と中途半端なのは、7051号-7073号が製造された際に、本来は30両製造する予定だったうちの7両分の予算を2000形へ回したためである。7069号をはじめ7074号以降の車両ではZパンタを使用していたが、のちに全車がビューゲルへ統一されている(ごく短期間の間だけ7061号と7062号にもZパンタを取り付けていた模様)。

荒川線成立後も残存したのは、このグループである。


運用編集

登場時までに廃止されていた江戸川区内の26系統(一之江線)と、元西武軌道線であるため狭軌だった14系統(杉並線)を除く、ほぼ都内全域で活躍した。しかし8系統だけには使用されたことがなく、3系統、25系統、29系統、34系統の運用に入ることもあまりなかったという。また特殊車の7020号だけは、芝浦工場に近い三田車庫に配置され、1系統を中心に活躍したが、稀に2系統や37系統にも充当されたといわれている。第一次撤去におけるさよなら運転では、37系統で使用された。

1967年の都電第一次撤去の影響で廃車が始まり、まずは改造車7021号-7030号と、特殊車7020号から整理され、1968年までに全廃されている。続いてほかのグループも廃車が開始され、都電第五次撤去前には2次車と3次車が残存した。この過程で1970年に2次車10両が函館市電へ譲渡され、同局の1000形となった。

都電第五次撤去が終了し、荒川線が成立するころには運行に必要な車両が柳島車庫から荒川車庫へ集められ、本形式は3次車31両が残存した。

車体更新編集

軽快電車の始祖

荒川線成立後も旧来の車体で運行されていた本形式であるが、1977年からワンマン運転が計画され、それに対応する車体へ更新されることになった(イラスト右側)。

新造された車体はアルナ工機で製造されたもので、次の2つの大きな特徴をもつ。

  • 前面が大型の1枚窓をもつ角張った車体(同時期にボーイング・バートルが製造した、USSLRVことアメリカ標準型路面電車に類似したデザイン)
  • 停留所のホームかさ上げに伴うステップの廃止と車椅子スペースの設置

軽快な車体デザインや、当時としては珍しいバリアフリーに対応した設計が評価され、1978年鉄道友の会よりローレル賞を受賞している。

集電装置は引き続きビューゲルを採用しているが、ワンマン運転のため自動反転装置を取り付けている。また足回りも引き続き種車からの吊り掛け駆動であるほか、一部電装品も種車のものが引き継がれたため、マスコンには「日本車輌名古屋」など、種車の製造所名がそのまま銘打たれていた。

塗装はワンマン車であることを識別するため、黄色地に青帯の新しいものが採用された。

車体更新に伴い、車両番号は若いほうから順に7001号-7031号を振りなおしており、いずれも2代目の番号である。

冷房化とその後編集

都電7000形 ’2015年春飛鳥山公園(未彩色塗り絵付属)

1986年より本形式も冷房化が開始され、アルナ工機で対応させるための改造が施工された。

冷房化後は塗装が7500形更新車に似た、都営バスに採用されたナックルカラーと共通のアイボリー地に濃淡2色の緑色へ変更された。また当初は引き続きビューゲルを使用していたが、離線した際のスパークが冷房機や補助電源に影響することや、冷房装置と干渉することなどからパンタグラフの使用が検討されるようになり、7500形7506号の試験結果を反映する形で交換が進んだ。

ただし7006号、7009号、7011号、7012号、7014号、7028号の6両は冷房化改造がなされず、1990年代に入ると8500形に代替されて廃車された。このうち7006号と7011号は保存や活用がなされ、7009号と7028号は豊橋鉄道へ譲渡された(いずれも後述)。

その後は運用の見直しや2006年に発生した7500形との追突事故で、一部の冷房車が廃車されたが、2000年以降に残存した車両については、行先表示機のLED化や降車ボタンの更新、一部(7001号、7019号、7020号、7022号、7025号)のシングルアームパンタ化などといった再更新が行われた(ただしシングルアームパンタはのちに元のパンタグラフへ戻された)。2007年現在の地点でも22両が在籍しており、長らく荒川線の主力として活躍した。なお、この間の2005年に7022号が黄色地に青帯の旧塗装へと復元されている。

しかし2011年から再更新車の本格的な廃車が開始され、8900形が登場すると置き換えが加速していった。定期運用は2017年で離脱し、2024年現在も7001号が在籍しているが、保留車として荒川車庫内に留置されている。この7001号は新製配置以来、一度も荒川車庫を離れたことがなく、保存車的な意味合いも含まれていると考えられる。なお、7001号は2013年に車体更新前に纏っていた黄色地に赤帯の塗装へ変更されており、現在もその塗装が維持されている。


7700形編集

【HD都営05】まさかの魔改造【7700形】

上述のとおり2017年をもって新型車へ交代し、定期運用を離脱した本形式であるが、実は姿を変えて現在も生き延びている。

それが本項で解説する7700形である。

都交が新型車・8900形による7000形の代替計画を立てたころ、本来であれば16両の8900形の投入によってすべてを新型車へ代替するはずであった。しかし財政難という事情から、新型車の投入は半数の8両で打ち切られ、残りの8両はなんと7000形の延命改造によって賄われることとなり、対象車両は順次京王重機整備北野工場へ搬出され、大規模な改造を施したのち荒川車庫へと戻ってきた。その結果爆誕してしまったのが7700形である。

本形式は7000形に対し、車体など大まかなところはそのままに、内装の更新や更なるバリアフリー化、前扉の拡幅、足回りのVVVFインバータ制御化、台車の更新などが行われ、レトロ調の塗装と相まってそのイメージを刷新した。7000形3次車として生を受けてから度重なる改造を受けており、もはや路面電車界のサイボーグである。

塗装は車両によって異なり、7701号と7702号が「みどり」、7703号-7705号が「あお」、7706号-7708号が「あか(えんじ色)」である。

譲渡車編集

先述のとおり、本形式は以下の2社局へ譲渡されている。


函館市電には1970年に2次車10両(7032号-7034号と7036号-7042号)が譲渡され、1000形となった。導入当初は番号の変更のみで、都電時代のまま使用されたが、ワンマン化に伴い運転席側の前面窓を拡幅し、変則的な2枚窓となった。部品取りで廃車になった1010号を皮切りに、路線縮小や老朽化などでだんだん数を減らし、2010年に最後まで残っていた1006号が廃車されたことで全廃された。また1005号は廃車時に1007号と番号を交換しているという。

営業運転においては、主電動機出力が60kWと在来車より大きく、坂の多い2系統では電制使用時に抵抗器を痛めるため、主に5系統で使用していたとされる(ただし後年は2系統でも営業運転を行っていた模様)。


ちょっと一休み

一方本形式の更新車のうち、7009号、7017号、7021号、7028号の4両は豊橋鉄道へ譲渡され、3500形となった(イラスト左側)。譲受にあたり赤岩口工場にて、次の主な改造がなされている。

  • ステップの新設並びに扉の交換・移設
  • 中扉移設に伴う窓配置の変更
  • 輪軸を長軸のものへ交換と、それに伴う主電動機の交換(従来のものでは寸法が合わなかったため)
  • 非冷房車の冷房化

なお、豊橋鉄道は都電に残った最後の非冷房車である7012号と7014号の譲受も希望していたが、叶わずに解体処分されてしまっている(この2両は当時計画されていた都電博物館に展示する構想があったという説もある)。

3501号と3502号の登場時は都電における本形式の冷房化後の塗装(3502号車は側面窓下の淡緑色帯を省いていた)が施されていたが、1994年までに広告塗装へ変更されたため消滅している。現在も東田本線をはじめとする軌道線で活躍しており、全車広告塗装を纏っている。

2024年には3503号が京王重機整備にて新造した車体へ乗せ換える大規模なリニューアルを受けており、座席定員の増加や運転台へデッドマン装置の取付などが施された。


保存車編集

現在までに次の車両が保存されている。

  • 7021号…福島県いわき市内の小学校で車体のみ保存されていたが、現在は撤去。
  • 7022号…埼玉県入間郡毛呂山町の「新しき村」で車体のみ保存。
  • 7023号…千葉県市川市の東京養老院で保存されていたが、現在は撤去。
  • 7024号…静岡県吉原市の小学校で保存。C57形蒸気機関車と同じ建屋に収められている。
  • 7033号(函館市電1006号)…函館市の函館酪農公社敷地内で保存されていたが、現在は撤去。
  • 7006号(更新)…前頭部のみ東京都交通局の研修施設で利用。
  • 7008号(再更新)…東京都大田区の萩中公園で保存。
  • 7011号(更新)…千葉県市川市の大和田公園で保存。

影響を受けたとされる車両編集

土佐電気鉄道(現在のとさでん交通)の600形は本形式をモデルに製造されたとされており、2枚の前面窓を備えた丸みを帯びた車体形状が共通する。

また更新車の車体デザインも広島電鉄3500形などの「軽快電車」と呼ばれる1980年代に製造された車両に影響を与えている。


関連イラスト編集

長らく荒川線の主力車であったことから、更新車や再更新車のイラストが多数投稿されている。

都電荒川線(併用軌道区間)都電荒川線

夏の朝。飛鳥山交差点踏み切り


関連タグ編集

路面電車 都電 都電荒川線

都電7000形…表記ゆれ

こちら葛飾区亀有公園前派出所…作中に本形式が登場するほか、過去に7004号(更新)に本作品のラッピングが施されたことがある。

トデーン三ノ輪橋ひな…本形式がモデル

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