ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

東京都交通局6000形

とでんろくせんがた

1947年(昭和22年)に登場した東京都交通局の路面電車。「都電6000形」とも呼ばれる。
目次 [非表示]

本稿では、ほぼ同一の車体を有する更新3000形及び更新4000形についても記載する。



曖昧さ回避編集



概要編集

1947年(昭和22年)より東京都交通局都電の各路線に導入した路面電車。総勢290両の大所帯で、戦後の都電最盛期 - 荒川線成立まで、長い間「都電の顔」として活躍した。

太平洋戦争終戦後、都電においても例に漏れず、多くの被災車や老朽化した木造車を抱えており、早急な体質改善が求められていた。そこで戦災車復旧名義で登場したのが本形式である。長きに渡って増備が行われたため、後述の様な形態差が多いのが特徴。後天的な改造も行われたため、同じ製造ロットの車両でも、異なる形態差を有する。

また、戦前からの30004000形車体も本形式とほぼ同一のものに更新することとなり、それぞれ3000・4000形更新車となった。

3形式共に丸みを帯びた前面で前面窓3枚、正面上部に行先表示器、正面下部に1個の前照灯を備える「昭和の路面電車」を象徴するスタイルの車両であり、他鉄道事業者の路面電車にも影響を与えた。



製造年次による形態差編集

【HD都営10】戦後都電の顔【都電6000形】

ここでは製造年ごとの形態差について記す。


1947年度製造車編集

  • 6001 - 6050号
    • 戦時中に被災した3000形更新名義で登場した。終戦とはいえ、物資に乏しい時代であったため、外板厚1.6mm・側窓10枚、集電装置トロリーポールであった。台車は種車が使用していたD-10形を継続して使用する。前面の救命装置には在来車同様のストライカーとロックフェンダー(人間を巻き込んだ際に電車を急停止させる装置)が装備されていたが、翌年から現在の簡易排障器に交換された。当時は設計図を細部まで煮詰めていなかったため、下記に代表されるメーカーごとの微妙な形態差が存在した。
      • 6001 - 6005号は内装(デコラ)の一部にジュラルミンを使用したため、「ジュラルミン電車」と呼ばれた。
      • 6006 - 6010号及び6041 - 6045号はスチールサッシメーカーが造ったため、内部に製造番号刻印が入ったアルミ製銘板が取付けられていた。
    • 製造当初は全車三田車庫に配置された。

1948年度製造車編集

  • 6051 - 6134号
    • 救命装置が簡易排障器に変更された以外は、前年度の車両と余り変化はないが、前面のバンパー中央に車庫内で接触した際に、前照灯のガラスが割れるのを防ぐため、厚さ50mmの木片を追加したため、図面上で全長が100mm長くなっている。また、この当時も引続き物資不足であったため、前年度の車両同様側窓下段にジュラルミンの板をはめた車両があったという。
    • 製造当初はほとんどが青山車庫、一部は南千住車庫に配置された。

1949年度製造車編集

  • 6135 - 6174号
    • 外板厚が2.3mmに変更され、ビューゲル採用に合わせて車体中央にビューゲル台が設置された。また、メーカーごとの形態差も余りなくなった。
      • 1番最後まで現役であった6152号はこのグループである。
    • 製造当初は青山車庫。南千住車庫の他、大久保車庫にも配置された。

1950年度製造車編集

  • 6175 - 6241号
    • 台車が旧来のD-10→D-16形に変更され、乗り心地向上が図られた。つり革に「リコ式」吊り手(営団地下鉄等で採用された発条仕掛けのもの。6175 - 6181号を除く)が用いられた他、電灯にグローブが付いたり、窓に日除けが付いたり、シートが改良されたりする等、質向上が見られる。
      • 6214号は室内灯に蛍光灯が初採用されたり、床材にゴムタイルが使用(後に撤去)されたりした。
    • 製造当初は三田・青山・南千住車庫に配置された。

1952年度製造車編集

  • 6242 - 6290号
    • 25両ずつ2回に分けて発注されたが、ラスナン・6291号となるべき車両は高性能車試作車・6500形として登場したため、本稿では除外する。このグループで側窓が9枚となり、台車もD-17形に変更された。最後に製造された車両ながら次の形態差が存在する。
      • 6281 - 6290号は交通局芝浦工場で製造され、屋根が平たいため、遠くからでも判別出来た。
      • 上記のうち、6289・6290号はドアエンジン付で、後者はさらに方向幕照明にも蛍光灯を採用した。
    • 製造当初は目黒・広尾・早稲田・大塚・荒川以外の車庫に分散配置された。


さらなる形態差編集

本形式は使用条件に合わせた改造が逐一行われた結果、次の様な後天的な形態差を生み出した。


ビューゲル化編集

都電では1949年よりビューゲルが使用されたのは先述の通りであるが、それに伴い、トロリーポールを使用した車両は交換が進められた。その際には1エンド側のトロリースタンドに直接ビューゲルを取付けた車両が存在したり、ポール・ビューゲルを双方乗せた車両が存在したりした。

また、1958年以降の巣鴨車庫所属車13両は架線の都合からZパンタが採用されており、これも1エンド側に取付けられていた(ただし、3両を除いて中央移設時にビューゲルに変更)。


ドア交換編集

元々装備されていた外板に鋼板を使用した「フラッシュドア」を鋼板が貼られていないパネルドアに交換したものがあり、2枚1組となっているうちの片側のみ交換したものが多かったという。


更新修繕編集

本形式がさらなる形態差を生み出すキッカケでもある。

1961年(昭和36年)6月以降に初期製造車車体に疲労が見られたことから、以後は適宜修繕や大規模な更新工事を施すこととなった。

1961年度には3両が施工された。

  • 同年9月に検査を受けた6044号が腐食箇所修繕の他、窓下の継目板をなくす工事が施工された。
  • 1962年(昭和37年)3月には6038・6042号が出場したが、これらに変化はなかったという。

同年度には、芝浦工場と交通協力会で計15両更新されたが、それぞれ次の形態差があった。

  • 芝浦工場製5両(6037・6043・6049・6050・6099号)は窓下の継目板消去の他、方向幕上に縁の追加や妻面上の水切り撤去、コードズリが左窓上だけとなる等がされた(後ろ2つの改造は6043・6050・6099号のみ施工)。
  • 交通協力会製10両(6040・6051・6084・6091・6098・6102・6103・6108・6109・6111号)は羽深式と称される大型方向幕取付が行われ、6051号側面上部の水切りが撤去された以外は変化がない。

1963年度には交通協力会・芝浦工場で11両に施工された

  • 6045・○6068○6077○6079○60806081○6089610761146115号が対象で、(太字のものは交通協力会製)前年度に施工されたメニューに加えて窓保護棒が追加されている。また○付のものは窓下継目板が消去されている。

1965年度には芝浦工場・大栄車両で16両に施工された。

  • 芝浦工場製6両(6070・6071・6106・61226128・6129号)は1962年度更新車とほぼ同様のメニューで施工されたが、方向幕に縁が付かず、妻面窓上水切りもそのままであった。太字のものは側窓がアルミサッシ化されている。
  • 大栄車両製10両(6087・6092・6093・6096・6100・6105・6113・6123・6124・6127号)は1963年度に交通協力会で施工されたものと同様のメニューに加え、側窓アルミサッシ化や、コードズリの形状変更も施工された。また、6096 - 6123号の5両は雨どいが窓下までで、他はバンパー上まであった。

1966年度には芝浦工場・大栄車両で15両に施工された。

  • 芝浦工場製10両(6053・6059・6060・6063・6065・6069・6074・6088・6116・6119号)は1965年度更新車同様のメニューであったが、太字の車両はキャピタルクリーム地の旧塗装で出場している。なお、保存されている6152号車内にも当年度内に更新した旨の銘板が取付けられており、同様の更新を受けたものと考えられる。
  • 大栄車両製5両(6052・6054・6061・6076・6086号)も芝浦工場製同様1965年度更新車同様のメニューが施工された。

これ以降は都電撤去が行われたため、更新工事施工は行われていない。ただし、側面窓下の継目板消去は継続して行われたという。

この他、1959年度より屋根に水切り取付が施工されており、こちらは未更新車にも取付けらている。施工したのは芝浦工場・交通協力会で、やはり両者で仕上がりに微妙な差異が存在した。



運用編集

上記の通り、製造当初は目黒・広尾・早稲田・大塚・荒川以外の車庫に分散配置された。その後は転属によって広尾車庫や荒川車庫にも配属される様になり、元西武新宿軌道線故に狭軌1,067mmであった杉並線(14系統)と江戸川区内で離れ小島的な一之江線(26系統:トロリーバスに置換えられて廃止)以外のほとんどの線区(ただし、目黒・早稲田・大塚には一度も配属されていないため、当然それらの車庫が所轄路線では使用されていない)で活躍した。転属は3 - 5回は普通で、中には10回も転属したもの(荒川車庫で保存されている6086号等)がいれば、1度も転属していないものが11両(6012・6182 - 6188・6190・6244・6260号)存在する。

都電の撤去計画が浮上した頃にはまず、本形式未更新車を1000形等の小型ボギー車と共に淘汰し、次いで本形式状態不良車を3000形のそれと合わせて淘汰する車両計画が立てられていた。

その後は都電撤去に伴い、段々と数を減らして行き、1972年の第5次撤去終了間際の荒川車庫には60456063607760806086・6152・6166・6167・6171・6175・6177 - 6179・6181・6189・6191号、6194・6196・6209 - 6213・6219・6229・6234号(太字は更新車)が残存した。しかし、直ぐに整理されてしまい、その後は606360806086・6152・6181・6189・6191・6209 - 6213・6219号が残存。7000形7500形と共に活躍した。

1977年(昭和52年)に始まった荒川線ワンマン運転開始に伴う車両改造の頃までは運用に入っていたが、ワンマン運転開始後は後述の花電車用に改造された乙6000形と応急車として唯一残存した6152号を除いて廃車された。


乙6000形編集

荒川線新装営業を記念した花電車を運行することが決定し、1978年(昭和53年)に車歴が新しい6209 - 6213号の5両を種車に改造された。他都市の花電車専用車同様、車体上半分を撤去して下半分のみとし、必要に応じて装飾を施して使用した。なお、都電では無蓋電動貨車に「」の形式を与えており、この車両も無蓋電動貨車ということとなる(ちなみに、以前は花電車専用「花形」が存在しており、これは普段は芝浦工場内の入換機械扱いでイベント時のみ車籍が与えられていたとされる)。

花電車としての使用が終了後は荒川車庫で保管されていたが、急場鎬で無理矢理改造した結果、車体にねじれが生じたらしく、1981年(昭和56年)に廃車・解体されている。


6152号編集

ただ1両のみ応急車として救援や除雪用に残された6152号であるが、1986年(昭和61年)に映画『瀬戸内少年野球団』の撮影に使用されたことがキッカケで、保安ブレーキ新設や車内の営業運行に必要な仕様に改修された上で、営業用として復帰した。その後、1988年(昭和63年)にアルナ工機で更新工事が施工され、MG新設や直管蛍光灯への交換、ドアエンジン撤去(手動ドアに復元)を行い、塗装を昭和30年代の緑・クリームのツートンに変更した。1993年(平成5年)には蛍光灯をカバー付輪形蛍光灯に交換。翌1994年(平成6年)には列車無線新設等の時代ごとに改修を行い、イベント用として活躍していた。この時期に塗装の緑色がやや淡い色合いに変更されている。

前照灯が白熱球1個であることから「一球さん」という愛称が付けられ、列車無線識別番号も語呂合わせで「93」とされていた。

しかし、2000年(平成12年)に入り、京福電鉄福井支社(現・えちぜん鉄道)で予備ブレーキがない車両が衝突事故を起こした影響で、非常時における安全性の問題が指摘され、改修には3,000万円の費用が必要であった。交通局は財政難でこの費用を負担出来ないため、やむなく翌2001年(平成13年)限りで引退させることを決定。都電における本形式運用にピリオドが打たれた。

廃車後は荒川車庫内での静態保存も検討されたが、その際も5,000万円の費用が必要なことから断念。インターネットで譲渡先を募集した所、沿線に所在するあらかわ遊園からオファーがあったことで、同園での静態保存が決定。2003年(平成15年) - 現在に至るまで静態保存されている。

2022年令和4年)のあらかわ遊園リニューアルに伴い、車内はカフェに改装され、「カフェ193」の屋号で営業している。「193」の由来は前述の愛称「一球さん」である。

なお、同車は元々D-10形台車を装着していたが、応急車となるに当たり比較的新しいD-16形に交換されており、6191号から流用されたものと考えられている。



保存車編集

現在までに次の車両が保存されている。

  • 6009号:埼玉県川口市芝中田南公園で集会室として使用されていたが、現在は撤去。
  • 6063号:文京区神明町電車庫跡公園で乙2形と保存。2023年(令和5年)に一緒に保存されている乙2と共に再整備された。
  • 6080号:北区飛鳥山公園で保存。窓ガラスや方向幕が撤去されているが、近年再塗装が行われた為状態は良好。
  • 6081号:錦糸町駅高架下の寿司店で前頭部のみ保存されていたが、現在は撤去。
  • 6086号:個人宅で保管されていたが、2008年(平成20年)に荒川車庫に30年振りの里帰りを果たし、以降同所で静態保存。2019年(令和元年)に再塗装が行われている。
  • 6152号:荒川区あらかわ遊園で保存。車内をカフェに改装し、「カフェ193」の屋号で営業している。
  • 6159号:町田市内の幼稚園で利用されていたが、現在は撤去。
  • 6162号:豊島区の南大塚公園で保存。部品の欠損が多く、1990年代に行われた改修の際に方向幕の部分が埋められているが、近年再塗装されたため、外見の状態は良好。
  • 6175号:三鷹市内の団地で車体が集会室として使用されていたが、現在は撤去。
  • 6177号:西東京市内でプール更衣室として使用されていたが、現在は撤去。
  • 6181・6189号:静岡県熱海市熱海城で保存されていたが、1993年(平成5年)頃の崖崩れに伴う損傷で撤去(駐車場工事に伴って撤去されたという説もある)。
  • 6191号:府中市の府中市郷土の森公園で保存。かつては放置されていたが、2004年(平成16年)頃にボランティアによって修復が施され、2025年(令和7年)1月現在も進行中である。台車が6152号と振り返られたとされ、D-10形を装着している。
  • 6219号:埼玉県宮代町東武動物公園で保存していたが、1998年頃に撤去。ウサギ小屋として使用されていた。
  • 6263号:世田谷区内の個人が車体の3/1程を保存していたが、現状は不明。
  • 6267号:あきる野市内で個人が6272号と保存していたが、現在は撤去。
  • 6272号:東京都府中市内の個人に売却された後、府中市外で保管されていたが、あきる野市内に移転。6267号と保存された後に撤去され、現存しない。


更新3000形編集

東京都電3000形【塗ってみた】

1949 - 53年(昭和28年)にかけて、戦後間もない頃に老朽化した車体を使用していた木造3000形を6000形に類似した車体に更新して登場した。種車には木造3000形の他、1400形や4000形、荒川線の前身に当たる王子電軌の車両も使用された。製造は芝浦工場の他、民間6社が担当した。

改造初年に3001号が大塚車庫に投入されたのを皮切りにまず、213両が駒込・三ノ輪・早稲田・大久保・荒川・柳島・錦糸堀・神明町に配置された。番号を車庫別に揃える計画で投入されたものの、目先の体質改善工事を優先したため、一先ずは適当に投入。後から整理を行うといったこともされた。このため転属回数も多く、8 - 10回も転属した車両がいる反面、やはり1度も転属していない車両もある。これらのグループは台枠の都合で4000形より一回り小振りで、台車もD-10形を用いていた。

その後は1953年度までに3214 - 3242号の29両が増備された。これらには次の形態差が存在する。


3214 - 3218号編集

芝浦工場の手持ち部品を用いて造られた完全新造車。


3219 - 3226号編集

3219 - 3223号はトロリーポールを装備せずに登場した最初の車両。このうち2両は新造車であるが、他2両及び3224 - 3226号は王子電軌継承150形を改造したものである。


3227 - 3232号編集

木造4000形改造車。側窓が10→9枚に変更され、車体幅が杉並線用2000形同様2,124mmに変更されており、これ以降に登場した車両も同一である。この車両から都電標準型となるビューゲルスタンドが採用された他、都電初のドアエンジンを採用している。3232号は蛍光灯を採用した2番目の車両であった。

また、どういう訳かこの頃には採用されなくなったロックフェンダが取付けられていた(後に簡易排障器に変更)。


3233 - 3242号編集

このグループは大型方向幕・ドアエンジンを採用している。3233 - 3235号は王子電軌引継ぎ170形・木造3000形改造車。3236 - 3237号からは完全新造車となり、台車がD-16形に変更された。この2両は側面スカートを取付けていた。3238 - 3239号は全鋼製車体で側窓が8枚の変形車であった。最後に増備された3240 - 3242号は芝浦工場製で、3240号のみ側面スカートを取付けていた(後に撤去)。


本形式は5年に渡る増備により、総数242両と6000形に次ぐ大所帯となった。

その後は7両のみ側窓がアルミサッシ化された他、適宜更新修繕が行われた。

これらも杉並線(14系統)・一之江線(26系統)以外のほとんどの線区で使用されたが、都電撤去に合わせて数を減らして行き、1972年の第5次撤去に合わせて全廃された。


譲渡車編集

本形式のうち5両(3185・3215・3240 - 3242号)が、1972年(昭和47年)に当時路線延長を計画していた長崎電軌に譲渡された。しかし、当時同社では在来車ワンマン化改造が優先して行われた上、肝心の路線延長が道路幅員の問題から中止されたこともあり、移籍から3年が経過した1975年(昭和50年)に台車振替を行った2両が800形として登場した。さらに悪いことに同時期に仙台市電ワンマンカーが購入されたこともあり、801・802号の2両以外は入籍しないまま車番・塗装変更並びに台車振替がされたのみで、車庫内に放置された。

入籍した車両も大柄な車体(入籍した車両は2000形を譲受した700形と同じ狭い車幅のタイプではなかった)が持て余され、ラッシュ時に走るのみで大した活躍をすることもなかった。また、現車はワンマン化改造認可を受けていたが、始終ツーマン車として運行された。

1982年(昭和57年)に長崎大水害で被災したことがキッカケとなり、冷房車登場もあったこと等から同年内に全車が廃車・解体された。

余談であるが、『こちら葛飾区亀有公園前派出所コミックス26巻収録『ガンコ電車の巻』作中において、登場する轟が本形式に対し、「日本のどこかで解体を逃れて走っていると思います」と希望を語っている。しかし上述の通り、執筆当時の1981年(昭和56年)においては、解体こそ免れたものの余り使用されておらず、皮肉にも不憫な余生を送っていたこととなる



更新4000形編集

戦後間もない頃に老朽化した車体を使用していた木造4000形を6000形に類似した車体に更新して登場した。種車には4000形の他、4100形や4200形、荒川線の前身に当たる旧王子電軌車両も少数使用された。

1949年度に117両が投入された。製造は4001 - 4049号が日本車輌、4050 - 4103号が帝国車両、4104 - 4117号が日本建鉄で、やはりメーカごとの差異が見られた。詳細は次の通りである。


日本車輌製編集

1949年にトプナン・4001号が柳島車庫に投入されたが、日車でストライキが起こったことから、納車が遅延したという。続いて4045 - 4049号が大久保車庫へ投入されたが、これらには6000形の特徴が見られるため、その見込み生産車であると考えられている。

その後製造された4002 - 4044号はウィンドシル幅が広く、側面窓上に水切りがないといった特徴がある。


帝国車両製編集

最初に4051号が投入されているが、これは同社が割当てられた車番を勘違いしたのが原因といわれている。

車体に差異はないが、D-10形台車を装着したもののうち、4071・4073・4075・4076号の4両はD-11形を装着するつもりで新造したため、台車 - 車体間に隙間があるだけ若干車高が高かったという。


日本建鉄製編集

6000形と概ね同一の車体を有するが、若干変化があるという。発注当初は予定より多く増備する予定があったらしく、同社から最初に出て来たのは4126・4127号であった。117両に下方修正されてからは4114・4115号に改番されている。また。その次に出て来た4018号も合わせて4013号に改番されている。これにより、メーカ側の製造番号と実際の車両番号との間に乱れが生じている。


その他の特徴編集

特に更新修繕等が施工された訳ではないが、1959年(昭和34年)に4071・4082・4087・4096号の4両が側窓をアルミサッシに交換している。また、6000形同様屋根上に水切を取付けている。

種車によって台車がD-10・D-11形の2種類が存在し、前者が40両・後者が77両に使用されていた。

4033 - 4034号・4037 - 4043号・4051 - 4055号は王子電軌継承120形が種車で、警笛もホイッスルを用いていたことから、聞き慣れない人が驚いたという逸話もある。

本形式は大久保・巣鴨・柳島の3ヶ所にしか配属されず、他は一時的に三ノ輪・南千住で活躍したのみであり、基本的には3ヶ所内で転配属が行われていた。都電の撤去に合わせて数を減らして行き、1969年の第4次撤去に合わせて全廃された。

現在は江戸東京博物館で本形式で使用されていた台車が1基展示されている。



影響を受けたとされる車両編集

日本最大の路面電車である都電主力形式であったことから、後に製造された他事業者向け路面電車にも類似した形態の車両が見られる。

具体的には以下の形式が挙げられる。




関連イラスト編集

都電13番の朝王子駅前

単行本表紙と線画「踏切時間」2



関連タグ編集

路面電車 都電 都電荒川線


関連記事

親記事

都電 とでん

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 3

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました