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概要編集

1962年より東京都交通局都電に導入した路面電車1957年8000形の増備が終了したのち、久々に新造された電車であり、当時は「都電最後の新車」とも言われた(荒川線成立後の1990年に8500形が製造されたため、幸い都電最後の新車ではなくなっている)。

1950年代後半以降は都電の撤去が取り沙汰されており、ひとまずは耐用年数を10年程度とした8000形が131両導入されていた。しかし情勢の変化などで江東地区のように存続が検討される線区が出てくると、同形式の増備は得策でないと判断され、結果として本形式の製造が決まった。ただし製造数は最低限の20両に抑えられたほか、前照灯尾灯などの灯具類に自動車用の部品を用いるなどのコスト低減策が用いられている。


車両概説編集

1962年に20両が次のメーカで製造された。

7511号-7520号は新潟鐵工所(現在の新潟トランシス)で製造されているが、これは2024年現在においても都電では最初で最後の同社への発注となっている(ただし都交全体でみると、2000年代以降に日暮里・舎人ライナー用の300形320形が発注されている)。

メーカーによって避雷器の取り付け方が異なっており、日本車輌製はビューゲルスタンド横へ箱をつけて、その中へ収めているが、新潟鐵工所製は箱がなく、ビューゲルスタンド内へ取り付けている。

台車は7000形が採用したD-20形に類似したD-23形(D-20形との主な相違点は、下揺れ枕の吊リンクが台車枠の内側に通されていることが挙げられる)を装着しているほか、主電動機出力なども7000形に準じた性能になっている。

前面デザインは8000形に準じた3枚窓に、前照灯と尾灯が縦に並んだ灯具のほか、その間に電照式の系統板を配置した新しいものが採用された。側面も8000形のように前扉に引き扉が採用され、側窓も上段がHゴムで固定された2段窓となっている。そのため形式は、7000形の性能に8000形のスタイルを併せ持ったことから、7500形と命名されている。

車体塗装はこれまでのキャピタルクリーム地ではなく、黄色地に赤帯を採用しており、在来車にも波及した。


運用編集

製造当初は20両全車が青山車庫へ配属され、6系統、9系統、10系統で使用された。1968年に青山車庫が閉鎖されると日本車輌製と新潟鐵工所製の半々で、それぞれ存続が見込まれた路線を所轄する荒川車庫と柳島車庫へ転属した。

その後1971年に7511号と7512号が荒川車庫へ転属したのち、1972年の都電第五次撤去に合わせて7517号と7519号を除いた全車が荒川車庫へと集結している。7517号と7519号は柳島車庫閉鎖前に入出庫線にて追突事故を生じてしまったため、そのまま廃車になっている。荒川車庫集結後の変遷は後述のとおりである。


ワンマン化改造編集

都電少女

存続の決まった27系統と32系統は、一部区間の縮小を経て、早稲田停留所-三ノ輪橋停留所間を荒川線として存続させることが決定した。しばらくは車掌乗務のツーマンで営業していたが、1977年からワンマン運転を行うことが計画され、車齢が若い本形式は車体の改造でこれに対応することとした。主に次に述べる改造が行われた。

  • バックミラーや放送装置取付によるワンマン運転対応改造
  • 停留所のホームかさ上げに伴うステップの廃止と、前面前扉側下半分を車外へ張り出させることで隙間の縮小
  • 前面中央窓の1枚窓化
  • ビューゲル自動反転装置の取付

このほか塗装もワンマン車であることを識別させるため、7000形更新車同様の黄色地に青帯へ変更された。この改造は7509号と7514号を除く16両へ施工され、改造対象から漏れた2両はワンマン化後の1978年に廃車となった。このうち7509号は都営新宿線大島車輛検修所の車両移動機へ機器が流用された。


車体更新とその後編集

三ノ輪橋にて

ワンマン化改造を行った車体は老朽化が進んだため、冷房化に合わせて新造した車体へと更新することになり、1984年から順次施工された。

新造された車体は7000形に更新車に準じているが、独自の前面形状や塗装が採用された。この前面形状は更新前の車体の面影を継承し、縦並びの灯具類が採用されたといわれている。また冷房が搭載されたことで、天井に風洞を設けたことで、旧車体より車高が若干高くなっている。塗装も都営バスに採用されたナックルカラーと共通のアイボリー地に緑色が採用され、7000形更新車も冷房車がこれに合わせたものへと変更された。

なお、この車体更新は13両に施工され、7502号、7504号、7508号の3両は対象外とされ、うち7502号と7508号は1986年3月で廃車された。

更新当初は新調されたビューゲルを使用していたが、離線した際のスパークが冷房機や補助電源に影響することや、冷房装置と干渉することなどからパンタグラフの使用が検討されるようになった。1987年から7506号で試験を行い、その後他車へと波及した。

唯一更新されなかった7504号は、しばらくイベントに使用されたが、1995年からしばらくは学園号として朝ラッシュ時に大塚駅前停留所-町屋駅前停留所の間を行き来する運用に就いていたものの、1998年に再度運用離脱し、以後は荒川車庫内で保管されていた(保存については後述)。

車体更新された13両は8500形に置き換えられることなく7000形とともに活躍していたが、車齢の都合からか7000形のように再度の車体更新が行われることなく使用されたため、2008年8800形が登場すると廃車が進行し、2011年度までに全廃されることも発表された。

2010年には阪堺電気軌道との共同キャンペーンで、7511号が南海軌道線時代に使用していた塗装に塗りなおされ共同イベントを行い、廃車時までこの塗装で活躍した。

その後2011年3月13日で最後まで運用していた7511号と7512号が運用を離脱したため、記念イベントが計画されたが、3月11日の東日本大震災ならびに長野県北部地震の影響で中止となり、6月12日の「路面電車の日」イベントで改めて記念イベントが行われた。


花100形編集

2011年3月3日に東京都交通局が創業100周年を迎えるにあたり、記念の花電車を運転することが計画され、引退した7500形更新車の中から7510号が種車に選ばれ、京王重機整備にて改造された。車体は側面を一切撤去し、塗装を白一色として登場。運転時は100周年の節目を祝うバースデーケーキをイメージした装飾が施された。

プレス発表当初は6月に運転される予定であったが、先述の震災の影響から10月に延期され、1日、10日、16日、23日、30日の5日にわたって運転を行った。

運転終了後も荒川車庫で保管されていたが、今後は使用することがないためか2018年に廃車となった。


保存車編集

現在までに次の車両が保存されている。

  • 7502号…大田区の萩中公園に保存されていたが、現在は撤去。遊具として設置されている面もあったため、保存状態はとても悪かった。
  • 7504号…荒川車庫に隣接する「都電おもいで広場」で保存。それまでは車庫内で保存されていたが、2007年にこちらへ移設された。
  • 7506号…台東区の池之端児童遊園で保存。更新車唯一の保存車で、一番最初に廃車となった更新車でもある。
  • 7508号…板橋区の板橋公園(板橋交通公園)で保存。都営バスのいすゞBU04と共に保存されているが、園内の改築計画で今後が危ぶまれている。
  • 7512号…国立市の幼稚園で保存されていたが、現在は撤去。かつて保存されていた1000形の台車の上に更新で不要になった車体が乗せられていた模様。
  • 7514号…小金井市江戸東京たてもの園で保存。屋外での保存だが美しく整備されている。

余談編集

かつてバンダイから発売されていた鉄道玩具「Bトレインショーティー」では、本形式も何度か製品化されており、ブラインドパッケージの「路面電車編」や、2両セットのオープンパッケージが存在する。このうち本形式のワンマン車は、なぜか7000形(原型車体)とセットで発売されており、活躍した時代が異なることから、合わせて楽しむには中途半端な組み合わせとなっていた。


関連イラスト編集

【drawr】都電荒川線


関連タグ編集

路面電車 都電 都電荒川線

都電7500形…表記ゆれ

こちら葛飾区亀有公園前派出所…表紙や作中に本形式が登場するほか、過去に発売された食玩では両津が本形式を見つめるシーンがフィギュア化された。

ウルトラQ…初回放送時には放送されなかった幻のエピソード「あけてくれ!」に7514号が登場。

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