概要
1956年より東京都交通局が都電に導入した路面電車。路面電車の撤去が取り沙汰された時期に製造されたため、耐用年数を十数年程度とした簡易的な車体構造をもって導入された。ゆえに後述の様々な問題を抱えながら短期間のみ活躍した。
車両概説
1955年までに5500形や7000形などの優秀な車両を製造していた都電であるが、モータリゼーションの進展による自動車の増加や、それに伴う警察の反応等から、将来的に都電の撤去を考慮せざるを得なくなっていた。そこで車両の耐用年数を十数年程度に設定し、工作方法をできるだけ簡易にして、軽量・低価格の車両を造ることとなり、登場したのが本形式であった。
1956年度に最初の20両が日本車輌とナニワ工機で製造され、12月中旬に登場し各車庫へ1-2両ずつ配置された。登場時より利用者の声は賛否まちまちであったが、全体としては否とする声が多かったといわれている。これは採用したD-21形台車や軽量車体(6000形とほほ同じ車体長ながら、自重は3tほど軽い12tであった)に由来する騒音やビビリ振動が多く、乗り心地も悪かったことに起因している。
1957年5月には2次車11両が就役している。これは本来であれば10両を投入する予定だったのが、1両分の予算が余ったことで、その分を多めに製造したためである。
その後1957年度中に100両を50両ずつ2回に分けて日本車輌、ナニワ工機、日立製作所に発注し、11月までに1-3両ずつ杉並以外のすべての車庫へ配置した。このグループは都電の車両において、最後に日立製作所へ発注された車両でもある。
簡易的で角ばった車体の車両が短期間で大量に製造されたこともあり、一見するとすべて同一の構造であるように思えるが、実際は次の形態差が存在する。
まず系統板であるが、1956年度製は在来のどくろ型のものを使用していたが、1957年度製は7000形で採用されたアクリル板を用いた行灯型を採用した。
車体前後の雨樋は1956年度製が側窓下端までであるのに対し、1957年度製は車体裾まで延長されている。ビューゲルのコードと滑車の組み合わせも1956年度製が8001号-8012号、8013号-8020号で2種類存在したのに加え、1957年度製もそれとは異なる仕様であったため、都合3形態が存在した。
日本車両製の8001号-8012号、8032号-8041号、8112号-8131号は、側窓にユニットサッシを採用したうえ、東京支店で製造された分は運転台上の屋根がのっぺりとした造りになっていた。その他のメーカーで造られた分は、方向幕の横に段が付いていたという。
一部の車両(8034号-8038号、8109号、8110号)は短期間のみZパンタを試験的に採用していたほか、8028号が一時的に弾性車輪の試験を行っていた。
運用
先述のとおり、狭軌であった杉並線(14系統)を所轄する杉並を除いたすべての車庫へ配属されたため、都内全域で活躍していた。
軽量車体ゆえに速度が出しやすいことから、元運転士の座談会にて、本形式を運転中に速度超過でパトカーに捕まったという証言が出たほか、運転しやすかったため東京駅付近の直線でぶっ飛ばしたとの証言もある。
また乗り心地が悪かったことから、1963年から車輪を鋳造品から鍛造品へと交換したものがあり、これらはビビリ振動を幾分か低減させることに成功している。このほか台車を改良型のD-25形へと交換したものも存在したといわれている。
転属は路線廃止に伴う車庫の閉鎖によるものが多く、ほとんどは1-3回行っているが、全体の約1/4は転属歴がなかったという。廃車は1969年2月から開始され、柳島と錦糸堀に残存した20両が1972年の第五次撤去に合わせて廃車されたことで、形式消滅している(なお唯一残った荒川車庫においては、1971年に全廃されている)。
廃車発生品である間接非自動制御の機器類は札幌市電へと譲渡され、同局の330形や210形、220形のワンマン化に伴う改良に用いられた。また台車は荒川車庫をはじめ、末期まで残存した車庫内にて検査時の仮台車などとして用いられていた(荒川車庫のものについては後述)。
保存車
現在までに次の車両が保存されている。
- 8001号…神奈川県川崎市の小学校で利用されていたが、現在は撤去。
- 8002号…葛飾区の交通公園で保存されていたが、現在は撤去。
- 8005号…調布市の公園で保存されていたが、現在は撤去。
- 8014号…神奈川県川崎市の団地で保存されていたが、現在は撤去。
- 8052号…江東区の錦糸堀車庫跡地付近の公園で保存予定のため仮置きされていたが、荒廃のため撤去。
- 8053号…千葉県八千代市でスナックやカフェとして利用され、現在は鍛冶屋の工房として利用されている。
- 8060号…新潟大学の研究用として利用されていたが、現在は撤去。
- 8107号…江東区の個人が倉庫で利用していたが、現在は撤去。
- 8125号…埼玉県越谷市で図書館として利用されていたが、現在は山梨県韮崎市で保管中。
これらのほか、荒川車庫内には本形式の台車(D-21形)を流用した仮台車1組や作業台など存在し、後者には2015年のイベントからモックアップが設置され、子供向けのフォトスポットに用いられている。
影響を受けたとされる車両
本形式に類似する車体をもつ車両が、各地の軌道事業者に存在する。
余談
本形式は過去にプラレールで「ちんちんでんしゃ」の名称で製品化されたことがある(ただし発売されたのは、全廃となった1972年のことである)。
動力とリン打ち機構の都合から2両連結になっており、先頭車に動力とリン打ち機構、後部車に電池ボックスが装備されていた。屋根のビューゲルは可動式で、系統板は8系統(中目黒-築地間)のものが貼られていた。
試作品では前面窓が開いていたが、子供が誤って指を挟むのを防ぐためか量産先行品ではメッキ加工された金属板で塞がれ、量産品では金型の改良で完全に塞がれた上に運転士のステッカーが貼られた。
なお、2000年にプラレールの日を記念して発売された復刻盤は6000形がモデルとなっており、本形式を模したものではないことから厳密な復刻ではない。また一部プラレール関連の書籍やサイトでは、旧製品が本形式を模しているにもかかわらず、6000形と誤解されたまま記載されているものが多いため注意されたい。
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都電8000形…表記ゆれ
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