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概要編集

400形とは、鉄道車両の形式に用いられ、400系とは会社の慣例から明確に区別されて用いられる。

長らく鉄道業界において4と9は忌み数とされ、製造番号による連番以外では用いられないことが多く、また4を用いたとしても、ほとんどの会社で4000形の方を用いるため、歴史上400形はそこまで多いものではない。


内閣鉄道局400形蒸気機関車編集

内閣鐡道局が1886年に英國のネイスミス・ウイルソン社に発注した軸配置2-4-2の中型のタンク式蒸氣機関車。

先んじて使用された27號機関車、29號機関車の使用成績が奮わず、更にA號機関車、B號機関車(A號、B號共に軸配置0-4-2)の第一動輪の摩耗の早さが鑑みられ、軸配置が決定したとされる。また、蒸気弁装置は当時主流のスチーブンソンリンクではなく、簡便かつ正確な動作のジョイ式弁装置に変更されている。

4両が輸入され、69、71、73、75の番号が与えられた。導入された当初は内閣鐡道局が保有、車輛整備を委託していた日本鉄道へ貸し出されていた。1892年3月をもって鐡道局の業務は全面的に日本鉄道へ移管され、その時に正式に日本鉄道へ移籍した。

1899年に全車両が外房線の前身にあたる房総鉄道に譲渡され、1907年に房総鉄道の国有化に伴い400形となった。

1914年に403号機が川越鉄道(現在の西武鉄道国分寺線および新宿線の一部)に、ほか3両が東上鉄道(現在の東武鉄道東上線)に譲渡され、東上鉄道の3両は1938年から1939年までに2両が日本製鐵に、1941年に三井鉱山三池港務所に譲渡された。

403号機は1965年に廃車になったのちユネスコ村に保存されたが、1993年に横瀬車両基地に移動。2022年には芝浦工業大学附属中学高等学校に寄贈され、高輪築堤の敷石とともに保存されている。


京浜急行電鉄400形電車(初代)編集

京浜急行電鉄 デワ40形43号 

京浜急行電鉄が保有した3扉ロングシートの電動客車の総称。東京急行電鉄品川管理部湘南線に充当されたデハ5300形とデハ5400形、東京急行電鉄からの分割後に400形として製造された車両をルーツとする車両群である。由来ごとに番台区分もされており、東急デハ5300形→京急300形グループはデハ400形、東急デハ5400形グループはデハ480形、分割後に新造されたグループはデハ420形とされていた。

車体長17.5m、車幅2.7mの車体規格はその後の京急はもちろん直通先の都営浅草線京成電鉄の標準規格となった。

導入当時としては高性能な方になる車両で、さらなる高性能化が図られても見劣りしない性能を誇っており、穴守線(現:空港線)に封じ込められていた一世代前の車両の置き換えに集結し、1980年代まで現役であった。


京浜急行電鉄400形電車(2代目)編集

1953年から1958年にかけて製造された初代600形湘南顔が特徴的な車両だが、後期に製造された車両(600B/600C)はデハ420形を付随車化した際に取り外したモーターを流用していた。

2両編成で製造されたが1965年に一部車両を中間車化して4両編成化、モーターを流用した後期車は新造したモーターに交換され、400形に改称された。

搭載するモーターごとに440形・470形・460形と番台区分され、末期は初代400形とともに3両編成化され空港線に投入された。この際に余剰中間車を組み合わせ1本のみ6両固定編成が組まれ、京急のツリカケ駆動車で唯一の6両固定編成を組んだ。

1986年までに全車廃車となった。


湘南モノレール400形電車編集

ものれーる

湘南モノレールが運用したサフェージュ懸垂式モノレール車両。サフェージュ式モノレールの製造技術を持っていた三菱重工業が、千葉都市モノレールへの導入に向けて1980年に製造した低騒音車両の試験車両に端を発する車両で、2両編成1本のみの形式となった。モノレールでは前方に支障物が存在する可能性がほとんどないとされたため、前照灯が省略され、種別灯と尾灯のみ設置されるなど、次世代車輛を模索していた跡が多々見受けられる車両である。

ただし湘南江の島方先頭車の402号車は事故復旧の際に500形と同じ灯具類に交換されたため前照灯が設置されている。

1986年に中間車の421号車が増備され、3両編成で運行された。

末期は冷房が設置されていないことから予備車となり、2004年に廃車となった。


東京市電気局400形電車編集

1924年に東京市電気局(東京市電)が導入した路面電車車両。関東大震災で焼失した車両の補填分として200両が製造された。東京市電としても最後の木造単車である。

骨組は鋼鉄、外板は木造、オープンデッキ構造で集電方式はトロリーポールと、1920年代時点でも前時代的と見られる車両であった。

集電装置は当初ダブルポール式だったが後にシングルポールに改められた。

玉川電気軌道(後の東急玉川線渋谷駅が玉電ビル(現:東急百貨店東横店西館)に移動した際に分断され、東横百貨店(現:東急百貨店東横店東館)前の停車場に移転した天現寺橋線・中目黒線にも投入され、系統板の代わりに玉川電気軌道の社章を掲出して運行していた。

後に玉電が東京横浜電鉄(後の東急東横線)に合併されたことで東京横浜電鉄の社章に変更された。この路線は1948年に正式に東京都に買収され都電の路線となった。

戦後に鋼製ボギー車が出そろってくると順次廃車となり、末期は26系統(通称:今井線)に4両が配置された。

この今井線は都電では唯一荒川の東岸を運行していた路線で、城東電気軌道時代に荒川を渡る橋梁が建設されなかったことで都電唯一の離れ小島となっていた。

1952年に同線がトロリーバスに置換えられたことで全車廃車となった。


戦中・戦後に一部の車両が電動貨車に改造され、甲1形・甲400形となった。


広島電鉄400形電車編集

1938年に広島電鉄が改造した車両。1921年と1927年に導入した広島瓦斯電軌B形電車の鋼体化改造車両である。小柄ではあるものの、後の単車の軌道線車両に通用する車体であった。

1945年8月の原爆投下で宮島駅に停車していた417号以外の全車が被爆。5両が全焼の被害を受けた。このうち八丁堀付近で被爆した421号車または430号車が中国新聞によって写真撮影され記録されている。

8月9日に広島電鉄が運行を再開した際に、413号車が使用されている写真が残されている。

この413号車は広島を訪れた学術調査団が被災状況を検分する際に乗車したとされている。

1969年に全車廃車となり解体された。


平成筑豊鉄道400形気動車編集

鉄面画 平成筑豊鉄道400形

2007年から2010年にかけて平成筑豊鉄道が導入した気動車。第三セクターに転換した当初より使用していたレールバス車両の置き換えのため、新潟トランシスへ12両が発注された軽快気動車(NDCシリーズ)である。

外観は肥薩おれんじ鉄道HSOR-100形と類似しており、401号~407号は黄色を基調とした塗装で「なのはな号」、408号はマスコットキャラクター「ちくまる」を描いた「ちくまる号」、409号は行橋市のゆめタウン行橋の広告車「ゆめタウン号」、410号は往年の筑豊炭田を描いた「炭都物語号」、411号はこちらも「ちくまる」を描いた「ちくまる号(グリーン)」、412号は上画像の平成筑豊鉄道標準色となった。

2019年に401号、402号が観光列車「ことこと列車」へ改造されている。


公称において形式記号+400形とされる車両編集


南武鉄道モハ400形電車編集

現在の南武線の前身にあたる南武鉄道が1935年に導入した電車。製造は汽車製造

大元は鉄道省の木造車モハ1形で、特に改造を施されずに運用されていた。

1936年に鶴見臨港鉄道に譲渡され同社モハ400形となったが、競馬開催時の応援運用で南武鉄道線に入ったこともある。


相模鉄道トフ400形貨車編集

相模鉄道の前身にあたる神中鉄道が1928年に導入した貨車(無蓋車)。製造は服部製作所。

無蓋車の車体中央に車掌室を設けた凸型の貨車で、当時の私鉄には多く見られる形態の貨車だった。

1994年までに全車廃車となり、最後まで残ったトフ400がかしわ台車両センターに保存されている。


伊那電気鉄道サ400形電車編集

1929年に製造された伊那電気鉄道の電車。製造は汽車製造東京支店と日本車輌

三等荷物合造車で車体記号は「サハニフ200」となっていた。

伊那電気鉄道が国有化し飯田線となってからも付随車として使用されていたが、1952年に運用合理化のため2両が荷物室を運転室に改造し制御車化、1953年にクハ5900形に改称された。

この2両は後に交直両用車の電源車に改造され、クヤ490形となっている。


愛知電気鉄道デキ400形電気機関車編集

現在の名古屋鉄道常滑線および名古屋本線の一部の前身にあたる愛知電気鉄道が1930年に発注した箱型電気機関車。2両が日本車輌製造にて製造された。電気部品は米国ウエスティングハウス製である。

詳細はデキ400の記事を参照。


三河鉄道デ400形電車編集

現在の名古屋鉄道三河線および蒲郡線の前身にあたる三河鉄道が1940年に導入した電車。製造は木南車輌製造

輸送力増強を目的に導入されたもので、大元は鉄道省の木造車モユニ2形。

改造中に三河鉄道は名古屋鉄道に吸収合併されたため、竣工届は名鉄によって提出されている。

当時の名鉄にはモ400形を名乗る車両が既に存在しており、将来的な改番を条件に重複が認められていた。

その後名鉄の車両称号規定改正に伴いモ3100形となった。


名古屋鉄道モ400形電車(初代)編集

現在の名古屋鉄道犬山線および名古屋本線の一部の前身にあたる初代名古屋鉄道が導入した1500形電車の一部。製造は名古屋電車製作所。

1500形は名岐鉄道時代の1935年に製造年次・仕様ごとに区分され、1923年に製造された7両がデボ400形となった。

14m級車体の木造車で、3扉車だが両端の扉のみ両開きとなっていた。

1941年にモ400形に改称、1948年に犬山線・津島線・名古屋本線一部区間の直流1500V昇圧に伴い制御車ク2260形に改造。直流600Vのまま残っていた支線に投入されたが、1965年までに全車廃車となった。


名古屋鉄道モ400形電車(2代目)編集

名古屋鉄道名古屋本線の一部区間と美濃町線岐阜市内線揖斐線の一部区間の前身にあたる美濃電気軌道が1926年に導入した高床4輪単車セミシ64形が前身。製造は日本車輌

美濃電気軌道初の半鋼製車であり、谷汲線への直通運転にも投入された。

名古屋鉄道の成立後に形式名をモ60形に改め、1949年にはモ110形に改称。この際に2代目モ100形から転用した自動加速制御装置を搭載して制御装置を間接自動制御に改め、SME非常直通空気ブレーキを装備した。

これは谷汲山華厳寺御開帳を控えて輸送力を増強するための措置だった。

しかしこの装置の搭載によって重量バランスが不均衡となり脱線事故が頻発。

その対策として2両を1組とした2車体連接車への改造を計画、モ110-111が改造された。

収容力が増強し現場では好評だったものの、予想以上に改造費用が高額だったため改造はこの1本で打ち切りとなり、単車のまま残されたモ112は1959年に廃車となった。

瀬戸線から転入したモ700形に置換えられる形で1973年に廃車となり、1974年から岡崎市南公園に保存されている。


名古屋鉄道ト400形貨車編集

三河鉄道が1914年から1918年までに導入した木造無蓋貨車ト60形・ト70形が前身。製造はいずれも天野製作所。

1931年にそれぞれト90形・ト100形に改称され、1941年の名古屋鉄道への合併に際しト400形に統合された。

重量物の運搬に用いられ、三州瓦や土管などを輸送していた。

1963年までに全車廃車となった。


名古屋鉄道ワ400形貨車編集

名古屋鉄道尾西線の前身にあたる尾西鉄道が1924年に導入した有蓋車。

従来の有蓋車を国鉄への直通運転に対応するため車体更新、台枠・車軸の強化、扉の鋼板化などの改造を施した。

名鉄合併後も引き続き国鉄直通貨車として使用されていたが、大元が明治時代に製造された貨車であり空気制御が設置されていなかった頃から昭和30年代後半ごろに国鉄直通貨車から抹消され、1968年までに全車廃車となった。


高千穂鉄道TR-400形気動車編集

高千穂鉄道が2003年に導入したレトロ調のトロッコ車輛。製造は新潟トランシス

「トロッコ神楽号」として2005年の運行休止まで高千穂鉄道で使用された。

高千穂鉄道が災害復旧を断念した後は九州旅客鉄道に譲渡され、キハ125形400番代へ改称。「海幸山幸」号として運行されている。


松浦鉄道MR-400形気動車編集

松浦鉄道が1998年に導入した軽快気動車。茨城交通キハ3710形や津軽鉄道津軽21形に類似した車体を持つ新潟鐵工所製の軽快気動車(NDCシリーズ)である。

2024年現在現役最古参の車両で1両のみのワンオフ車だが、現状新型車両による置換には指名されていない。


形式群の中の1形式の400形編集


帝都高速度交通営団400形電車編集

帝都高速度交通営団が1956年に導入した電車。

1953年の丸ノ内線開業時に製造した300形電車の改良型で、換気ダクトをモニター(二重)屋根構造から屋根肩部に換気口を組み込むシングルルーフ構造に改めるなどの設計変更を行い、製造コストの削減、車重の軽量化が行われたのが特徴。

全38両が製造されたが、当時の営団は車両の保有両数の把握に重きを置いた附番法則が取られており、300形のラストナンバー330の続番としてトップナンバーは431となった。

1991年までに全車廃車となり、9両が民間に売却されたが西武池袋線仏子駅付近の幼稚園に保存されている440号車と千葉県いすみ市の「ポッポの丘」に保存されている454号車を除きすべて解体あるいは消息不明となっている。


北海道旅客鉄道キハ400形気動車編集

北海道旅客鉄道(JR北海道)が保有していた急行形気動車群のうち、キハ40形気動車100番代を改造したグループのことを指す。

1988年に宗谷本線の高速化を目的に、それまで14系客車で運行されていた急行「宗谷」、「天北」、「利尻」の気動車化を目的に改造された。

キハ40では出力に対して車重が重く、低性能と評価されていたが、運行密度の高い函館本線や勾配の多い宗谷本線での急行運用に対応するためにエンジンをキハ183系550番台・1550番台に搭載されたDMF13HZ形に、変速機を同時期に製造されたキハ85系キハ100系に採用されたN-DW14B形へ交換。特急形車両と比べてもそん色ない性能を手に入れた。

車内の一部を機器室に改造し、サービス電源用の発電機を積むことで冷房装置の採用も実現。急行列車の高速化とサービス向上を両立することに成功した。便所も改良し更に洗面所も設置している。

内装も座席をキハ183系500番台と同等のリクライニングシートに交換、横引カーテンも採用されたが側面窓はキハ40形据え置きのため眺望は利かなかった。

キハ48形を改造したキハ480形とともに運用され、2000年に宗谷本線の急行が特急に昇格されたため運用を離脱。札沼線向けの一般車に再改造されキハ40形330番台となった。


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鉄道

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