概要
愛知電気鉄道(愛電)が最後に製造した電気機関車。400が1930年に、401が1932年に製造された。車体は日本車輌製だが機器類はアメリカのウェスティングハウス社製となっている。台車とデッキ、連結器が一体となった台車牽引式という構造であり、これは名鉄で唯一のものである。側面と前面の砂箱には金属切り抜きのローマン体で車両番号が表記されている。愛電の機関車としては唯一の箱型機で、その無骨な外観から愛電の機関車のシンボル的存在でもあった。
その後愛電が名岐鉄道(名電)と合併し現在の名古屋鉄道が誕生するとデキ400も名鉄に継承された。形式名は変わらなかったもののこの時起番が変更され、400は402に改番された。内外装にも手が加えられ、前面に警戒色のストライプの追加し前照灯の2灯式シールドビーム化、パンタグラフを2基から1基に変更するなどの改装を行った。
名鉄が貨物輸送を行っていた時期にはもっぱら貨物牽引機として運用されており、他の名鉄デキと比べ出力に余裕があったため「大デキ」と呼ばれ重宝されていた。本線東部や常滑線、三河線での運用がメインで、急勾配を走行する必要がある豊橋行きの貨物はデキ400やデキ600といった「大デキ」が主力として運用されていた。一時期401が三岐鉄道や岳南鉄道に貸し出されて運用されていたこともある。
名鉄が貨物輸送を廃止してからも事業用車として残され、1993年に特別整備を施工した。具体的には塗装を黒からメイテツブルーに変更し標識灯を角形のものに換装、老朽化していた機器の更新などを行った。平時は矢作橋駅に留置され、主にホキ80形をプッシュプルで牽引しバラスト散布に使用されていた。時折新車の輸送等に使用されることもあった。
デキ400も製造から80年以上が経過し、次第に老朽化が目立ってきていた。そのため新型の電気機関車「EL120」に置き換えられることが決定、2015年に甲種輸送されてきたEL120の2両をデキ400がプッシュプルで舞木検査場まで回送し、EL120が運用開始するとデキ400は予備車となった。保存運動も起こったものの諸事情により実現せず、2016年6月の引退直前に舞木検査場で撮影会が実施され、その数日後に東名古屋港まで廃車回送され搬出、解体された。製造から85年、愛電出身の車両としては最後の生き残りであった。