6000形と名乗る形式
鹿島臨海鉄道6000形
1985年(昭和60年)から日本車輌および新潟鐵工所のライセンス生産で製造された鋼製車体、両運転台式の大洗鹿島線用気動車である。開業時に6両製造され、以後1993年(平成5年)までに合計19両が製造された。車体デザインは国鉄型から脱却し当時最新のアウトラインと塗装にされたが(それでも、実は細部は国鉄型の影響が強い)足回りは冷房関係を除けば、国鉄キハ37形の直系の発展型とみなしていい。
6006号、6011号、6018号は「ガールズ&パンツァー」仕様の痛車になっていた。(⇒ガルパン列車)
戦車などの兵器の作画に定評がある同作であるが、劇中に登場する車両はややデフォルメ気味の作画であり、鉄道オタクの間では「マトモな鉄道車両の体を成していない」と揶揄されることもあった。しかし奇しくも「Bトレインショーティー」に似たフォルムになっていること、そしてBトレインショーティーで実際に商品化されたこともあって鉄道オタクの間でネタにされている。何が偶然幸いするかわからない。
東京都交通局6000形(都電)
1947年(昭和22年)より製造された、東京都交通局の軌道線用の路面電車車両(都電)。
詳細は→東京都交通局6000形
東京都交通局6000形(都営地下鉄)
1968(昭和43)年に登場した都営地下鉄三田線専用車両。日本で初めて静止型インバータを補助電源装置に採用した。6300形登場と東京メトロ南北線・東急目黒線直通運転非対応のため引退し、一部は熊本電気鉄道・秩父鉄道・KRLジャボタベック(インドネシア)へ移籍。
熊本電気鉄道では、都営時代と同じ車番のまま「熊本電気鉄道6000形」として使われていた。
西日本鉄道6000形
詳細は→西鉄6000形
札幌市営地下鉄6000形
1976(昭和51)年の東西線開業時からの車両。翌年に鉄道友の会からローレル賞を受賞する。開業当初は4両編成だったが、1983年に中間車2両を追加し6両編成化された。この時、24編成144両の陣容となった。電機子チョッパ制御。
1975(昭和50)年に落成した試作車(第1編成)の前面は、量産車とは異なっていた。
1999(平成11)年に7両編成化される際、後継の8000形の中間車8300形1両を組み込んだ(8300形はモーター車でVVVF制御)。2008年までに8000形に置き換えられ、7両編成化の時に組み込んだ8300形は8000形の編成へ組み込まれた。
名古屋市営地下鉄6000形
詳細は→名古屋市交通局6000形
神戸市営地下鉄6000形
詳細は→神戸市交通局6000形
長崎電気軌道6000形
2022年営業運転開始。アルナ車両製・リトルダンサーシリーズの低床車両の1形式。単車の路面電車としては珍しくオールロングシート構造となった(※連接車のオールロングシートでは鹿児島市交通局(鹿児島市電)1000形などの事例がある)。
鉄道院6000形蒸気機関車
1906年にアメリカン・ロコモティブ社ピッツバーグ工場で12両が製造された蒸気機関車。
車軸配置4-4-0の飽和式テンダ機関車で、もともとは関西鉄道が平坦線区向けに発注した車両である。
関西鉄道時代は110形「追風」を名乗っていたが、1909年の鉄道院車両称号規定改正に伴い6000形となった。
国有化後も亀山駅~加茂駅間の旅客列車で運行され、大正期には参宮線や京都駅、木津駅方面の運用に就いた。
昭和期には一部が姫新線で運行され、戦後は入替機として使用された。
1950年までに全車廃車となった。
鉄道省6000形電気機関車
東海道本線・横須賀線電化に備えて1923年に6両が製造された電気機関車。1928年の車両称号規定改正に伴いED52形に改称され、後にED17・ED18に改造された。
国鉄チキ6000形貨車
国鉄が1977年から1981年にかけてコキ5500形を改造して製作した長物車。
チキ6000の記事を参照。
国鉄ヨ6000形貨車
国鉄が1962年から1969年にかけて製造した車掌車。当時の国鉄のローカル線向け緩急車は有蓋緩急車のワフのみが存在していたが、居住性の改善と慢性的な緩急車不足に対応するために製造された。
戦前に製造された車掌車に近いスタイルになっているが、車体を短縮したため側面窓が従来型の片側4枚から3枚に減っているのが特徴。
国鉄の主力車掌車として多用されたが、1986年の貨物列車の車掌乗務が廃止されたことに伴い余剰となり民営化を前にして全車廃車となった。
1992年に2両が長良川鉄道に譲渡されトロッコ列車の客車として使用されていた。