概要
1983年に登場。重装備・要求性能ミスで地方路線には適さなかったキハ40系の後継車の先行試作車として片運転台式のロングシートで、便所付き車両(0番台)2両と便所なし車両(1000番台)3両が製造された。車体断面などはほぼキハ20系の焼き直しであり、前面デザインは2連シールドビームなどの灯火類やタイホン・高運転台化を除けば、ほぼそのままといってよく、結果的に同様の簡略化デザインである東武8000系と類似してはいる。
特筆すべきはエンジンに世代遅れの国鉄型を放棄し民生用エンジンの採用に踏み切ったことである。重量出力比も優れ、整備性も高く構造も簡便なこれらの採用によって気動車の性能は世代交代を始めることとなる。
当初は首都圏色と言われる朱色5号でなく急行用と同じ赤11号で塗られていたが、地域色に変更された後、西日本所属車は朱色5号とされている。
国鉄の特定地方交通線の廃止、もしくは第3セクターへの転換が進んだため、また、国鉄改革にともなって設備投資が極度に抑制されたこともあり、5両のみの製造にとどまった。
動力機構面ではキハ38や鹿島臨海鉄道6000形にそのまま継承されているほか、国鉄末期の新系列DCに継承されている部分も多く地味ではあるが技術的マイルストーンではある。
キハ37-1、1001
新潟鐵工所で製造。国鉄民営化後はJR西日本の所属となり、山陰本線、境線、加古川線などで使用された。2003年に山陰本線の高速化やJR西日本では採用例が皆無のDMF13S型エンジンが搭載されていたため保守上の問題から定期運用を失い、2009年に廃車。
キハ37-2、1002、1003
富士重工業で製造。国鉄民営化後はJR東日本の所属となり、久留里線などで使用された。2012年12月にキハE130系100番台に置き換えられて運用離脱。その後2014年に水島臨海鉄道へ移籍し同年5月から運行を開始した。
なお、水島臨海鉄道への移籍に際して、改番が行われた。
キハ37 1003 → キハ37 101
キハ37 1002 → キハ37 102
キハ37 2 → キハ37 103