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長良川鉄道

ながらがわてつどう

長良川鉄道は岐阜県美濃加茂市の美濃太田駅と郡上市の北濃駅を結ぶ越美南線を運営する鉄道会社で、第三セクターである。
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概要編集

岐阜県関市に本社を置く第三セクター鉄道。現JR東海高山本線美濃太田駅より北濃駅までの72.1kmを結んでいた旧国鉄越美南線(特定地方交通線)を第三セクター形式で引き継ぎ、運営を行っている。 1986年12月11日転換。


経営状況編集

この路線は当初より一日あたり利用者が1,392人と、厳しい状況(これよりも多い路線であっても鉄道を廃止した事例も存在する)でありダイヤグラムの改良やレールバス等の車両の改革で利益が出るというものでもなさそうであり、沿線の過疎化や高規格道路の開通などによるモータリゼーションの進展により移管以前より乗客の減少が見られる(2005年の時点で600人を切っている)。

さらに長期間の運休を余儀なくされる災害にも見舞われた(一週間以上の運休を伴う災害が譲渡後4回発生している)ことなどが重なり、苦しい経営が続いており、さらに路線整備も追いついていないらしく、2003年にトロッコ列車(この列車の機関車は本来車籍を有しないモーターカーを車籍を取得して運用していた)が枕木劣化が原因で脱線、運転を中止する、という事態にも陥っている。


路線に関して編集

この会社が運営する越美南線は本来福井と岐阜を結ぶ路線として計画されたものの、その後の状況の変化により一部未着工となり、経営状態も思わしくなかったものを引き受けたものである。

越美線編集

この会社が所有する越美南線は、本来美濃太田駅と福井県までを結ぶ越美線として計画され、まず大正時代より岐阜側から工事が行われ、第二次世界大戦以前には現在の72.1kmの路線が完成していた。戦後、1960年から1972年にかけて福井側の工事が行われ、九頭竜湖までの52.5kmが敷設された。

ところが、その時点で越美線自体が赤字83線(1968年に地方赤字ローカル線を「使命を終えた」としてその廃止を促した日本国有鉄道の取り組み)により、残りの約24kmの工事は凍結され、結果未成線となった。なお、この路線は非電化単線である。

特定地方交通線編集

その後越美南線のみが特定地方交通線に指定され(越美北線自体は「代替輸送道路が積雪で年10日以上通行不可能」であるため国鉄に残された)、廃線のうえバス転換または運営業者を選定することとなった。

そこで名古屋鉄道が出資し、自社の路線と連絡させるという提案があったがこれは却下され(後述)、自治体および関連会社の出資による鉄道経営となった(ちなみにこのとき岐阜県内において特定地方交通線に指定された路線はすべて第三セクターに転換、うち神岡鉄道は廃止されているものの、樽見鉄道明知鉄道は存在している)。岐阜県側は第三セクターの長良川鉄道となった一方で、現在福井県側はJR西日本越美北線として営業している。


保有車両編集

車両形式には、社名から「ナガラ」が付けられている。

非電化ゆえに当然在籍するのはすべて内燃動車(気動車)である。


現行車両編集

ナガラ3形(300形)編集

1998年から7両が富士重工業で造られたもので、いわゆるLE-DCである。同型車は近隣の樽見鉄道明知鉄道にも投入されている。301号と302号は観光列車「ながら」用に改装され、水戸岡鋭治氏のデザインした塗装を纏う。305号はヤマト運輸との貨物混載サービスのPRラッピングとなっている。

後述のナガラ600形の導入で、303号が廃車となった。


ナガラ500形編集

2007年から3両が新潟トランシスで造られたもので、ナガラ3形に準じた構造となっているが、塗装や側窓の大きさなどが異なる。502号は観光列車「ながら」用に改装されている。


ナガラ600形編集

2022年からナガラ2形とナガラ3形の置き換え用に導入されている新潟トランシスで造られた内燃動車。京都丹後鉄道に導入されたKTR300形の同型ではあるが、国鉄時代に用いられたキハ58系キハ40系をイメージした塗装に塗られていたり、座席のモケットに青色のものが使用されたりと、昭和レトロを意識した仕様であるほか、すべての座席がロングシートとなっている点や灯具の配置と形状などが異なる。首都圏色で投入された602号には、「パーシモン美濃里(みのり)」の愛称がある。


過去の車両編集

ナガラ1形編集

1986年の開業時と翌年の1987年に導入された、富士重工業製のLE-Carで、いわゆるレールバスである。前面は非貫通とされている。最後まで在籍した10号は樽見鉄道が車両故障を起こした際のピンチヒッターとして貸し出された経歴がある。9号は廃車後に沿線の関市内で保存されていたが、のちに解体・撤去されている。10号は廃車後に沿線の個人が保存している模様。


ナガラ2形編集

1994年に1両のみ増備されたもので、富士重工業製のLE-DCである。ナガラ3形以降の車両に類似してはいるが、屋根のアールや前面窓の形状、そして塗装などが異なる。2019年に廃車となっているが、車両自体は2024年3月現在も残存している。


トロッコ列車用車両編集

除雪作業に用いられるモーターカーNTB209号に、国鉄から譲受した車掌車無蓋車で、トロッコ列車として運転されていた。トロッコ列車の運転を模索していた、同じ岐阜県内で営業していた神岡鉄道へ貸し出されていたこともあり、それがきっかけで同社はタンク車魔改造したトロッコ列車を走らせる計画が浮上したという。前述の脱線事故の影響で運転が中止され、それ以来NTB209号は元のモーターカーとして使用されている。


連絡バス編集

戦後より路線の終着駅である北濃駅より、京福電気鉄道越前本線を結ぶ、後に越美北線の終着駅九頭竜湖駅の間の未開通区間をつなぐ国鉄バスが運行されていた。このバスを運行していた国鉄バス大野自動車営業所は三国線(国鉄がかつて所有していた路線、実は京福電気鉄道が路線のほとんどを利用していた)の代替バスおよび大野市のバス路線事業を行ったりしていたものの昭和62年にすべて廃止、連絡バスは季節運行となった。民営化後はジェイアール東海バスが運行していたが2002年廃止されている。


のうりん」との関係編集

ライトノベルのうりん」(白鳥士郎著)にもこの路線は長良川鉄道の社名で登場している。この作品はアニメ化され、アニメオープニングでは美濃田茂駅(美濃太田駅がモデル)に入線するレールバスが登場していたり、駅名表に当社の社章がデザインされていたり、美濃田茂の隣駅が実在する「まえひらこうえん」(前平公園駅)となっていたりする。なお、アニメの放送が終了した2014年以降も美濃太田駅の長良川鉄道線ホームにはのうりんの顔出しパネルが置かれている(この作品、アニメに関してはたぶん地域には貢献していないとは思われていた…が、長良川鉄道も黙って見過ごしたわけではなく、「のうりん聖地巡礼きっぷ」を発売して聖地巡礼を行うファンのサポートや集客に努めている)。


新岐阜駅乗り入れ計画編集

国鉄越美南線の廃止が不可避となった1984年頃、第三セクターへの大口の出資者として中部財界の大物であり、大手私鉄名古屋鉄道が名乗りを上げ、それと同時に当時運行していた路面電車美濃町線と越美南線を関駅付近で線路を接続し、新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)と郡上八幡駅などの間に直通列車を走らせる計画を考えていたとされる。

ところが、出資の条件として越美南線の関駅-美濃太田駅間の廃止という提案があったらしく、それが同区間の沿線自治体(美濃加茂市および富加町など)の怒りを買い、出資計画自体がおじゃんとなり、鉄道会社の出資は西濃鉄道(大垣市で貨物運送を行う会社、樽見鉄道を子会社としている)くらいとなってしまった。美濃町線は1999年に越美南線と平行路線であった新関駅-美濃駅間の廃止と引き換えに新関駅-関駅間の路線延長を行い、越美南線と接続したものの、2005年に名鉄は600V区間全線を廃線とした(減価償却は完了していたのかどうかが気になる点である)。

もし出資の提案を受けていたら鉄道の運営がどうなっていたか(電化されるのかとか気動車が岐阜を走り回るのかとか)、名鉄の気動車や600v区間廃線以降の越美南線はどうなっていたのかということが気になる点である(この会社への車両や路線譲渡が発生したか、それともこの路線も同時に廃止されていたのかもしれない)。


関連項目編集

第三セクター第3セクター 中小私鉄 ローカル線 越美南線 越美北線越美線 のうりん


水戸岡鋭治ドーンデザイン研究所水戸岡鋭治デザイン:観光列車「ながら」が2016年4月27日運行開始


外部リンク編集

公式ホームページ

wikipedia:同項目長良川鉄道越美南線およびリンク先

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