概要
「KRL」とはインドネシア語“Kereta Rangkaian Listrik”の略で、「電車」という意味。
「ジャボタベック」とは
の各都市の頭文字を取った、日本で言う「京阪神」のような造語である。
2000年に東京都交通局の中古車を導入した事で日本での知名度が一気に上昇した。
日本では当時用いられていたこの呼称で紹介される事が多いため本項でもそれを踏襲するが、現地では2000年代半ばからデポック(Depok)を入れた“JABODETABEK”の名が用いられる事が多くなっており、2017年からは“PT Kereta Commuter Indonesia”を公式名称に定めている。
他方で2010年代半ばごろからは、JR東日本を中核とした企業連合が将来的な新車の売り込みを視野に度々視察に訪れるようにもなっており、彼らによって「ジャカルタ首都圏鉄道」という名で紹介される事も多くなっている。
特徴
インドネシアの鉄道は、1925年に旧宗主国オランダによって建設されたものを創始としているが、通勤手段として本格的な整備が始まるのは独立後の1970年代以降である。
この時日本資本を導入した事により、この地域では珍しい軌間1067mm・架線電圧直流1500V・動力分散方式の電車運行という日本の国鉄に準じた規格を標準とするようになった。
ただし、進行方向はオランダ式の右側通行を踏襲しており(かつバックゲージ基準値も10mm違う)、ジャボタベック圏外への長距離列車ではアメリカ等から購入したディーゼル機関車+客車を用いているため日本との縁は薄い。
女性専用車が設定されているが、この国の場合男女を厳格に分離するイスラム教の信者に配慮した側面が強いようで、専ら痴漢対策のために設定している日本とはやや感覚が異なっているようだ。当該車両はやたらとハイセンスな装飾がなされているため一目で識別できる。
先頭車がそれであるため、前面展望を男性鉄道マニアが拝むことは不可能となっている。
場所によっては治安が悪く沿線からの投石があったり、車内や駅構内で商売を始める者が出る、両側も窓ガラスの破損を防ぐために金網や保護シートで強化し、置き石等の被害に備えるために頑丈なスカートを取り付けており物々しい。
一昔前までは屋根上に無賃乗車する者※や非冷房車のドアを勝手に開け放して涼む者など、更なるフリーダムな光景も見られたが、そのあたりは流石に取り締まりが強化されて見られなくなっている。非冷房車自体、2013年7月24日をもってジャボタベック圏内から全廃された。
なお、冷房の有無によって異なる料金体系だったものが全て冷房車の割増運賃に統一された事から、現地では撤退前後に一悶着あった模様。
※特別高圧の交流電化にしてたら最初から物理的に一掃されていた。
路線
- 中央線
- ボゴール線
- 東線
- 西線
- ブカシ線
- セルポン線
- タンゲラン線
- ナンボ線
車両
元々日本に準じた規格であった上、中古車の受け入れに際してはメーカーや元事業者のスタッフを招いて入念な教育を受けた事から日本時代とほぼ変わらないサービス水準を維持できており、この手の路線では頭一つ抜けた優等生と非常に評価が高かった。
他方で都営車には中間車に運転台を増設する改造を行っているが(増設分は右側通行に即した右運転台となる)、その都度あり合わせのパーツを用いたようで2両ごとに全く違う形状になるという牧歌的な側面も見せており、その奇妙な技術力の混ざり具合もまた魅力の一つと捉えられた。
中古車に関しては日本で一度別れた車両達がインドネシアの地で再び並び立つ(メトロ5000系とメトロ05系、メトロ6000系とJR203系など)といった日本の鉄道ファンにはたまらないことも起きており、こういった点もあってか海外の鉄道としては日本からの注目度がかなり高い。
元日本車は基本的に塗装は大幅に変更されている。大きく分けると、赤地に黄帯の車両と帯を青系のオリジナルのものにした車両に二分される。
↑こんな感じ。
勿論他のバリエーションもある他、遊び心満載の塗装だった場合もある(後述)。
近年は前者の赤地のものに統一されつつあった他、最近ではグレー地に赤帯の新塗装が施工された編成も存在する。グレー地になったことで日本時代のイメージに近づいた車種も。
中の人にその筋の者がいた節もあり、特に2010年前後は東急車を1本ごとに違う色にしてみたり、日本で消滅して久しい103系のJR東海色を再現してみせるといった手の込みようであった。この頃は行先を窓内に置いた板に掲示していた事から、使わない方向幕にマニアックな表示(例:メトロ車で「快速高田馬場」)を出して走ったりもしていたという。
暖色系の色が好みなのか、東葉高速車や205系の南武線車を中心に色を変えずそのまま走らせた車両も存在した。
しかし、近年は輸入過程での汚職の発覚や運営組織の再編、現地メーカーの育成要請等の事情が複雑に重なり、そうした雰囲気を感じ取る事は難しくなってきている。
先述した非冷房車の一掃に続いて日本製中古車からも保留車の廃車処分が始まり、遂には部品の尽きた形式から編成単位で廃車される例も出てきた。一時は中古車の受け入れ禁止や導入後一定期間での廃車義務付けといったかなり強い意見も飛び交ったといい、先行きはかなり不透明になっている。
現時点では国産車両の不振もあって再び中古車を主体とする方針に回帰しており、特に主力車両となった205系は長期間の使用を前提に日本へ再教育を依頼するなど態度を軟化させているものの、未だ内政的な緊張が続いている事には変わりが無い。
不法行為の取り締まりも、治安や安全性を向上させた一方で以前ほど自由な見物が許されなくなった事を意味しており、その証拠に以前は当然のように出回っていた明らかに車庫内で写したような写真などはほとんど見られなくなっている。
塗装も非冷房車の全廃前後から全車を赤と黄色の帯に統一し、行先表示も本来の位置にLEDでインドネシア語を表示するように改めているなど、良くも悪くも緩いファンサービスは期待できなくなったと捉えて良いだろう。
それとは別に、運行本数の増加に保安設備の更新が追いついていないという問題も浮上してきた。早い話が衝突や脱線等の事故が起こりやすくなっており、これによって廃車を余儀なくされた日本製中古車も出てきている。
乗車するのであれば、これらの事情を踏まえた上で常に最新の情報と万全の準備を心掛けておきたい。
会社別一覧
等級・製造(中古車は購入)年・竣工順から成る管理番号が付けられているが、中古車は概ね元の形式名でも通用するようである。
長らく抵抗制御、チョッパ制御や界磁添加励磁制御の車両ばかりを受け入れてきたが、該当車両の払底もあって2016年からは東京メトロ6000系でVVVF改造車の購入も始めている。
編成は都営車とJR103系を除いて8両編成に統一していたが、近年は10両編成、12両編成を組む例も出てきた。
元東急車・都営車を除いて柴田式密着連結器装備であり、現地の本来の標準である自動連結器(ジャニー式系統)とは互換性がなく、中間連結器を装備している。ただ日本の標準(880mm)より100mm程度取り付け高さが低いため、下に自連側ナックルを伸ばした仕様となっている。(表題イラスト通り)
本来であれば東急車など自連装備車も高さを変えるはず・・と思いきや、現地機関車とかととりあえずナックルが互いに噛み合い連結できるからと、取り付け高さの変更を行っていないのが特徴。
斜字は引退済。
東京都交通局
- 6000形:無償譲渡であったため「贈り物」を意味する“HIBAH”の愛称で呼ばれた。最も混乱した時期に老朽化問題が持ち上がり、全車の処分が決まった。
東京急行電鉄
- 8000系
- 8500系:使い勝手の良さとアフターサービスの手厚さから“Tokyu”の愛称で主力候補に位置付けられた。しかし東急側の計画変更で売却が途絶えた上、1本が重度の故障を起こした事から廃車候補に転落し、既に半数ほどに減少している。界磁チョッパ制御車=複巻電動機使用車両であり、電圧降下の激しいセルポン線などへ入れない弱点もある。
東京メトロ
- 5000系
- 05系:1~4次車が譲渡されている。2024年1月に更新工事のため一部編成がINKAの工場に入場している。
- 6000系:譲渡時期に差があり、チョッパ制御車とVVVF車が混在。2023年頃から一部編成でパンタグラフがシングルアーム式に換装されている。
- 7000系:チョッパ制御車のみ在籍。2021年頃日本でVVVF車の廃車がなされたが、その当時のインドネシア政府の方針によって売却はされていない。
東葉高速鉄道
- 1000形:メトロ5000系の改造車。足回りにも大きく手が入っているが、廃車の中断によって中途半端な両数になってしまった事から、現在は5000系と混用されている。中古車の淘汰が再開されれば諸共真っ先に処分されると見られていたが、2020年についに5000系ともども日本からの譲渡車でそれぞれ3車種目、4車種目の廃形式となった。
JR東日本
- 103系:元は武蔵野線用の8両編成だったが、閑散区間用にあえて4両に短縮させて購入している。輸送力増強でそうした運用が無くなった上、中古車唯一の普通鋼車体でもあった事から外国製新車の後を追う形で廃車となった。
- 203系
- 205系:現在の主力。埼京線・横浜線・南武線・武蔵野線の所属車が大量に転入している(VVVF車の5000番台も含む)。6扉車が混ざっているが、積極的に求めたわけではないようで連結位置も一定していない。現地技師にはかなり気に入られているようで、1番欲しい車種を尋ねると「新造された205系」と答えたそうな。
現地生産車
- KRL-I形:インドネシア初の国産電車として、2001年にPT INKA社にて製造されたVVVF制御の冷房車だが故障により限りなく廃車に近い状態で保留扱いとなっている。
- KfW I-9000形:KRL-I形の発展型で、2010年よりドイツ復興金融公庫からの支援を受けてPT INKA社で製造された。こちらも満足の行く性能が出なかったようで、10本を造った所で中断している。
外国製新車
このグループは全て非冷房車で、4両編成で製造された。
無賃乗車対策か非常に深い屋根をしていた事が特徴だったが、現地住民の逞しさには勝てなかったようだ。
- Rheostatik:意味は「抵抗制御」。日本の各社で分担して製造された。次第に扉の数が増え、最終的に車体が普通鋼からステンレスに変化している。2000年代後半には延命計画も持ち上がったが、1本に実施した所で一転して廃車対象に。
- Hyundai:意味はそのまま韓国の「ヒュンダイ」。1992年から1993年にかけて増備され、初のVVVF車となった。ただしこの制御装置はスイスのアセア・ブラウン・ボベリ社製である。
- 全車が電気式ディーゼルカー(KRDE)に改造されて地方路線に転出しており、Hyundaiおよびジャボタベック通勤車としての運行を終了。現在はKRDEとしても運行がなくなっている。
- BN-Holec:意味は電装品を製造したオランダの「Holec社(当時)」。1994年から2001年にかけて導入されたVVVF制御車で、なんとも言えない前衛的な前面デザインをしていた。
- Hyundaiに続いてKRDEに改造されて数を減らしてゆき、2012年からは電車のまま冷房の搭載と8両固定編成化を伴う延命を受ける車両も出てきたものの、後者は3本で中断され残る車両は廃車処分された。延命車も長期間走行が確認されていない。なお、改造車ではいずれも欧風のマイルドな前面形状に改められている。
- HITACHI:意味はそのまま「日立製作所」。1997年に導入されたが、HolecよりもHyundaiに近い構造をしていた。
- 日立は前2形式の稼働率の低さを見て、更に遡ってRheostatikと同等の性能にする事を提案したと言われるが、結局はVVVF車として導入されている。そして案の定故障を頻発し(とはいうものの上記のHolecに比べれば少なかったようだが)、何の改造も受けないまま2013年までに全廃された。不憫。
余談
ジャボタベックでは基本的に廃車を解体しない。理由は不明だが廃駅等の空き地に固めて置いておくのが一般的で、特に非冷房車の大量廃車があってからは縦方向にも重ね始めてさながら現代アートのようと地味に別方面のマニアからの注目も高まりつつある。
もっとも、流石に当局も崩落の危険がある事は承知しているため、周辺は立ち入り禁止である。
事故車もそのまま積まれてしまっている上、中にはスラム化して良からぬ輩の縄張りになっている場所もあると言われているため、警告を破れば本気で命の保証は無い。絶対に妙な考えは起こさない事である。