概要
東京メトロ5000系とは、東京メトロの前身である帝都高速度交通営団が1964年から東西線及び千代田線向けに製造した地下鉄用通勤電車である。
国鉄(現:JR東日本)中央・総武緩行線直通対応車として国鉄103系をベースとした、営団初の20m級4扉車であり、先に日比谷線用車両として登場した3000系をマイナーチェンジし、コストダウンを図っている。基本は車体の骨組みに普通鋼、外板にステンレスを用いたセミステンレス車(営団ではスキンステンレスと呼称)だが、試作車として製造された3本がアルミ車であった。
ステンレス車
オーソドックスな形態で現在の日本には現存しない。また、増備による設計変更や更新工事の際に戸袋窓を埋められた車両が存在し、晩年には戸袋窓有りの車と無しの車が編成を組む事が多かったが、東西線にて最後に残った5809Fは全車戸袋窓ありであった。
アルミ車
国鉄301系と構体構造・使用形材が同一だが、それ以外の車体寸法、客室内装、走行機器等はステンレス車と同じとされ、7両編成3本を2年間かけて導入した。最初に製造された5950Fは日本初のアルミ製地下鉄用車両である。
東西線と千代田線
本形式はあくまで東西線向けだが、千代田線用の車両である6000系の製造が北千住ー大手町間の開業に間に合わず、本数が出揃うまでの繋ぎとして投入された。後に国鉄常磐緩行線に乗り入れるための改造が施されたが、一方で小田急線への対応改造は受けなかった。
6000系が出揃ったところで予定通り東西線へ転属したが、北綾瀬支線用の3両編成2本のみ残留した。しかし後に東西線からのアルミ車が転属し廃車となった。(廃車後、新木場にて入れ換え車として活躍したが、後に解体された。)
改造工事
- 登場当初、前面帯は側面帯と同じ太さであったが、国鉄の保線員からの要望により千代田線所属車、東西線所属車共に前面帯が拡大された。
- 1980年代後半頃から車両にも冷房搭載を開始した営団地下鉄は、本形式の一部にも冷房装置を搭載することとした。これによるトンネル内の温度上昇を防止するために、界磁添加励磁制御化、それに伴う回生ブレーキ化が行われた。同時にコンプレッサーがロータリー式からレシプロ式へと交換され、特徴的なコンプレッサーの音が消滅した。
- ちなみに冷房化後10年程での置き換えを見込んでいたため、簡易的な改造であった。
- その他にもナンバープレート設置やパンタグラフや電気連結器の撤去、無線、保安装置、戸袋窓閉鎖(ステンレス車の一部のみ)、北綾瀬支線用の改造など、多岐にわたる。
譲渡
1996年の東葉高速鉄道開業用に5000系を10両編成12本を譲渡したが、使用されたのは10本であった。
詳細は→東葉高速鉄道1000形
2006年と2007年には引退した1000形と5000系が、インドネシアのKRLジャボタベックに譲渡され、順次運行を開始した。そして2019年には2形式ともに引退し、2020年の時点では5817Fがデボックバル駅にて留置されていた。(2022年2月現在、5817Fやその他車庫に留置中の2形式全車が廃車回送の上パシルブングールの廃車体置き場に置かれたため、過去の物となった。)
引退
1999年には冷房化から10年経過したため、05N系により置き換えが再開された。また、東西線のCS-ATC化により2006年に1000形が引退し、前述のインドネシアへ譲渡され、2007年には5000系も07系の転属により東西線から引退し、同じくインドネシアへ譲渡された。
その後メトロで唯一の活躍をしていた北綾瀬支線のアルミ車も05系の転属により2014年に引退した。
事故
1978年に5818Fが荒川橋梁を通過中に竜巻と遭遇した為に脱線転覆した。幸いにも川への転落は免れたものの、5818と5252の2両が代替新造された。この際に5次車と同様の仕様で製造されたため、2代目5818は戸袋窓無しで新造された唯一の先頭車である。
引退後の処遇・現在は
当初は日本国内にも多くが残っていたが、現在はほぼ現存しない。
- 1991年に除籍されたトップナンバーの5001号車は3000系3001号車共々地下鉄博物館での展示予定があったが、3001号車が長野電鉄へ譲渡されてしまい、5001号車は解体処分されてしまった。
- 2000年に廃車となった5041号車は、長らく三菱重工の工場に保管されていた。東西線からの完全撤退後はこれが日本国内で唯一台車の残るステンレス車だったが、2013年に解体されている。
- 2001年に廃車となった5833号車は、南砂町駅近くの新砂あゆみ公園にてカットモデルとなって鎮座していた。この車両は後の南砂町駅拡張工事のため撤去されている。これを以て日本国内から5000系のステンレス車は消滅した。
- 2005年に引退した5847編成及び5950編成は深川検車区の訓練車として残されていたが、2010年までに解体された。
- 5811編成及び5846編成(どちらも3両)は有楽町線新木場CR内で入換車などで使用されたが、2005年までにどちらも姿を消した。
- 5817・5816・5809編成は上記のようにインドネシアへ輸出され使用されていたが、2022年までに全てが廃車となり放置されている。既に廃車体ではあるが、これが唯一現存する5000系のステンレス車である。ちなみに同じくインドネシアへ譲渡された東葉高速1000形も5000系と同時に全て廃車となっている(こちらは形式消滅)。
このように殆どが残っておらず、現在は1999年に北綾瀬支線用となった5951Fのみ綾瀬車両基地にて引退時の状態のままで動態保存されている。これが日本に現存する、及び唯一動く5000系である。
経年の差こそあるが、その後に引退した6000系や7000系はフル編成で保存されている他01系や03系は国内で東京メトロのバックアップのもと地方へ譲渡されていることを考えると、その面では少し不遇になってしまっている。
何より、本来の活躍の場である東西線仕様の車両が現存しないことも大きい。だがこれらの車両と違い5000系は運用撤退後もしばらく営団→メトロで再利用されていた為、一概には言えないのかもしれない。
メディアへの露出
東映版スパイダーマンの第2話にて、双頭鬼(マシーンベム)の攻撃を受け脱線した電車として登場するが、そのシーンは荒川橋梁にて竜巻による脱線転覆事故を起こした5818Fが使われている。
1998年発売のR18のOVA「A KITE」にて5000系が登場し、車内で銃撃戦が繰り広げられた挙げ句に爆破されてしまうが、描写が細かく一見の価値がある。
ただしR18なのでエロシーンやグロシーンが多い作品なので注意、エロ要素を無くしたインターナショナルバージョンもあるが、セリフが全て英語なので注意を。
また、2006年の実写映画「地下鉄に乗って」ではアルミ車の5950Fが丸ノ内線用の500形として、車体を赤くラッピングしサインウェーブを巻いた状態で登場する。
2014年には東京メトロから5000系が引退するのに合わせて、タモリ倶楽部にて5951Fが手動運転(本来はATOによる自動運転)で綾瀬と北綾瀬を往復した。
余談
- アルミ車を7両編成3本から10両編成2本へと組み換えた際に、5951Fと5952Fで5+5に組成した際に、5952Fの先頭車を5951Fの中間に組み込んだのだが、その際に中間に来た先頭車の5952と5152は前面貫通扉の撤去、運転台機能停止、前面帯撤去、幌の設置を行ったため中間車として扱われた。(この際5952Fは一時消滅した。)
- 後に5951Fが北綾瀬支線に転属する際に中間の5952と5152の運転台機能が復活した。これにより、5952Fが再び誕生したが、先頭車の貫通扉横の手摺が5951Fに比べて上寄りになり、幌が付いていた痕跡として白い跡が残っていた。
- ちなみに2021年12月現在、5000系のwikipediaのページで、「北綾瀬支線用車両」の項目を見ると
- 「転籍に際して機能停止していた5951号・5152号は運転台設備を復活させた」
- とあるが、これは間違いであり、運転台が復活したのは5952と5152である。(ネット上で探せば5951が東西線10両編成化後も先頭に立っていた写真もあるため、wikipediaが間違っている。なおwikipediaの編成表は合っている。)
- また、7連3本が在籍していたアルミ車を10連2本に組み替えた際に、中間車の5453が余ったのだが、これをステンレス車の編成に組み込んだ結果、E235系のような凸凹編成が誕生した。
- その後5453は別のステンレス中間車と置き換わったが、廃車解体後に05系第24編成にリサイクルされた。
関連タグ
東京メトロ 帝都高速度交通営団 5000系 営団5000系 東京メトロ6000系 05系 07系